あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

ツーと言えばカー

2014-12-21 | from:sachiaki
なんで「ツー」で「カー」なんですかね?
てことで語源探してみたけど、明確な発祥は分かりませんでした。
一応
明治から大正にかけて漢語がやたらと流行った時があるらしく
「通過の仲」すなわち「ツーカーの仲」。
物事が通過するように、こちらの意思が相手に伝わるというような意味で使われた。
というものと

話の前置きも無いまま江戸っ子が突然「◯◯つぅことだ」と言ったことに対して
相方が「そおかぁ」と答えるだけで互いに理解し合う様子を見た人々が
「つうかあの仲」と呼んだ事に由来するとの説

と大まかに二つあるっぽいです。

いずれにしても一言で相手に伝わるってのはとても楽で気持ちよいですね。
「あ、母さんそれとって」「はいよ」みたいなもんか。

と、年の瀬も迫る寒い日曜日に眠気との間に考えていたsachiakiです。

言葉が通じる通じないというものはこれだけグローバルな世界になっても
民族同士のミックスがうまく行かないことをみて
やはりとても大きな壁が存在するのだろうなって思います。
「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」「それください」
なんていう通り一遍等の言葉はだいぶ使える人も増えて
それだけで世界へ出て行く強者も多いけれど、
言葉というものに文化が乗っかっていると、その言葉を理解する為に
その人たちが過ごした悠久の時間について考えないとならないなって思うわけです。
国内ですらよく話題にのぼる「関東:関西」もあるし
ものによったら「???」では済まされないからいちいち説明をしなくちゃいけなかったり。
そういうのがストレスになって身近な人たちとこじんまりとするっていうこともあるでしょう。

そういう意味ではカップルや夫婦というものが
どれだけ短い言葉で受け答えできるかというのは
少なくともその人たちの関係性にストレスがあるかないかという
とても大きな指針になるような気がします。
どんだけ仲悪そうに見えてもその短い会話の流れを見れば
その人たちの関係性ってのは見えるかもしれないね。

法律家や研究職という人たちは「それ」が「なん」であるかということはとても大事で
その長ったらしい、ともすれば冗長に感じる言い回しをするけれど、
それは正確さを伝えるために長い前置きが必要なのだと分かるけれど
聞いている一般人にしてみたら、その正確さは余計に「?」となることが多く
もっとスパッと言って欲しいということもある。
逆にものすごく感覚的に生きてきた人にとって「それ」が「なん」であるかは大事だけれど
それに対する「気持ち」の方が大事だったりするから、真実を言うより感想を述べることが多い。
なんていうこともあるんじゃないかなぁ。





なーんてことを書いて思考をシャッキリさせないと
もー、眠くて眠くてパソコンの前にいらんないのよ。。
お仕事追加来てるからがんばらなくっちゃな時間なのに。。

お互いが共にする時間が長くなればなるほど共通項目が増えて
心の垣根は取り払われるものだと思うけれど
ちょっと自分の喋りが長いという人は短めにする努力を、
言葉が足りない(私はよく言われる)人はもう少し説明する努力を
した方が良いのでしょうね。

いつかは世界中の人たちが違う言葉を喋っていても
「それな」で通じる日がきますように。

さて、作業に戻りますわぁ。モイモイ
コメント
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