ちょっと前にもペルソナについて考えていた気がするので
お前本当にそのテーマ好きな!?
って言われても仕方ないな、なんてことを思っているsachiakiです。
それはさておき今日はなんで*ペルソナについて考えていたかというと、
私がやっている「赤鬼ちゃん」というペルソナは大変にキャッチーというか
ポップで表面に出す上でとても便利だなぁと思うのと、
ペルソナ本来の意味である「仮面」としての役割も優秀で
例えば同じような背格好の人が肌を赤く塗り
緑色のウィッグをつけ、白ビキニをつけておけば
すなわちその人が「赤鬼ちゃん」になるので
必ずしも私が「赤鬼ちゃん」でなくても良いということがありがたいのです。
私=赤鬼ちゃん
のままであると、なにかをやりたかったりする時に
「私」のままで主観のまま頭が切り替わらなかったら
どんなサポートが必要か?とか
どんなことをしたら喜ばれるか?とか
そういったものを考えるのがひどく難しい。
少なくとも照れがだいぶ入るし、恐縮してしまう。
けれど「赤鬼ちゃん」という役割のために用意するんだ
って思えば、ほんの少しだけ必要とするサポートとかを
「自分のため」と思うより心理的負担が少なく頼みやすいのです。
こういう心理的壁があまりなく、
常にオープンな人間であるならペルソナは必要ないかもしれないけれど、
自分のことを客観視する冷静さを保つためにも
ペルソナを持っておくと良いんじゃないかなって思いました。
ちょっと違うけれど、多重人格である方が戦略的に便利
っていう話をしている人と会ったことがあって
その人は「仕事」「プライベート」その他もろもろと
いくつかの人格を作っておいて
場面によって感情などを引きずらないようにスイッチするのだと言っていました。
それができれば相当楽だよね、なんて思ったりもしたけれど
そんな器用なことなんてできるかい!って反発も覚えたりしたんですよ。
だけど、今このペルソナの考え方を持ち出すなら
器用にスイッチして感情までスイッチできるかは不明だけど
少なくとも「公/私」を分けろと言われ続けて育っている
一般社会人にとって、難しすぎるってことはない概念なのかもなって思ったり。
次のことを考えながらゴールをどこに設定するか
そもそもゴールなんてないしなぁとか
そんなことを思いながら最近会った偉い人との会話とかを噛んでいるところ。
有名になってなにかをしたいというものなのか
ただちやほやされたいというものなのか
有名無名関係なくなすべきことをなすために必要なことはなんなのか
アフガニスタンで亡くなった中村哲医師のことを考えながら
世の中を嘆いている暇があるならなすべきことを為さねばって思うし、
そのなすべきことはなんなの?ということがボンヤリしたままではダメなんだな
ってことだけハッキリしてんなぁとか
そんなこんな。
夜学をやっている意味も含めて、
考えることを楽しめる仲間を増やすことと
引きこもっている人を外に連れ出すためのきっかけや
シェルター代わりになるための場所作りだったりを
もっと真剣に具体的に考えなくちゃなぁって思ったりしてました。
とりあえず今日はそんな感じ。
超絶少なくなってしまったお仕事をこなしながら
やらなくちゃならない動画や音声ファイルの編集をやりますよ。
土曜日に久しぶりに会ったラジオ仲間たちとバカ話に花を添えてきたので
またゲスラジの方も頑張れそうだなって思ったりしてました。
では!モイモイ
*ペルソナ(Wikiより転載)
ペルソナ(英: persona)とは、カール・グスタフ・ユングの概念。
ペルソナという言葉は、元来、古典劇において役者が用いた仮面のことであるが、
ユングは人間の外的側面をペルソナと呼んだ。
お前本当にそのテーマ好きな!?
って言われても仕方ないな、なんてことを思っているsachiakiです。
それはさておき今日はなんで*ペルソナについて考えていたかというと、
私がやっている「赤鬼ちゃん」というペルソナは大変にキャッチーというか
ポップで表面に出す上でとても便利だなぁと思うのと、
ペルソナ本来の意味である「仮面」としての役割も優秀で
例えば同じような背格好の人が肌を赤く塗り
緑色のウィッグをつけ、白ビキニをつけておけば
すなわちその人が「赤鬼ちゃん」になるので
必ずしも私が「赤鬼ちゃん」でなくても良いということがありがたいのです。
私=赤鬼ちゃん
のままであると、なにかをやりたかったりする時に
「私」のままで主観のまま頭が切り替わらなかったら
どんなサポートが必要か?とか
どんなことをしたら喜ばれるか?とか
そういったものを考えるのがひどく難しい。
少なくとも照れがだいぶ入るし、恐縮してしまう。
けれど「赤鬼ちゃん」という役割のために用意するんだ
って思えば、ほんの少しだけ必要とするサポートとかを
「自分のため」と思うより心理的負担が少なく頼みやすいのです。
こういう心理的壁があまりなく、
常にオープンな人間であるならペルソナは必要ないかもしれないけれど、
自分のことを客観視する冷静さを保つためにも
ペルソナを持っておくと良いんじゃないかなって思いました。
ちょっと違うけれど、多重人格である方が戦略的に便利
っていう話をしている人と会ったことがあって
その人は「仕事」「プライベート」その他もろもろと
いくつかの人格を作っておいて
場面によって感情などを引きずらないようにスイッチするのだと言っていました。
それができれば相当楽だよね、なんて思ったりもしたけれど
そんな器用なことなんてできるかい!って反発も覚えたりしたんですよ。
だけど、今このペルソナの考え方を持ち出すなら
器用にスイッチして感情までスイッチできるかは不明だけど
少なくとも「公/私」を分けろと言われ続けて育っている
一般社会人にとって、難しすぎるってことはない概念なのかもなって思ったり。
次のことを考えながらゴールをどこに設定するか
そもそもゴールなんてないしなぁとか
そんなことを思いながら最近会った偉い人との会話とかを噛んでいるところ。
有名になってなにかをしたいというものなのか
ただちやほやされたいというものなのか
有名無名関係なくなすべきことをなすために必要なことはなんなのか
アフガニスタンで亡くなった中村哲医師のことを考えながら
世の中を嘆いている暇があるならなすべきことを為さねばって思うし、
そのなすべきことはなんなの?ということがボンヤリしたままではダメなんだな
ってことだけハッキリしてんなぁとか
そんなこんな。
夜学をやっている意味も含めて、
考えることを楽しめる仲間を増やすことと
引きこもっている人を外に連れ出すためのきっかけや
シェルター代わりになるための場所作りだったりを
もっと真剣に具体的に考えなくちゃなぁって思ったりしてました。
とりあえず今日はそんな感じ。
超絶少なくなってしまったお仕事をこなしながら
やらなくちゃならない動画や音声ファイルの編集をやりますよ。
土曜日に久しぶりに会ったラジオ仲間たちとバカ話に花を添えてきたので
またゲスラジの方も頑張れそうだなって思ったりしてました。
では!モイモイ
*ペルソナ(Wikiより転載)
ペルソナ(英: persona)とは、カール・グスタフ・ユングの概念。
ペルソナという言葉は、元来、古典劇において役者が用いた仮面のことであるが、
ユングは人間の外的側面をペルソナと呼んだ。