あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自分の容姿についての評価の難しさ

2019-12-16 | from:sachiaki
眠いので寝言です。
今日は朝提出のため早起きをして
無事に提出を終えたので仮眠するぞ〜っておフトゥンに戻ったら
電話だの通知音だので寝入るとすぐに起こされるという
大変イヤ〜な出だしをしていたsachiakiです。

眠いんじゃい。

風邪っぽいというか、月一のアレがきそうなのもあって
ともかく眠いんじゃい。

ってことでね、そういうブルーなあれってことも含んで書くんだけど、
自分の容姿ってあんまり上げて見るもんじゃないじゃん?
でもなんていうか、そこまで悪いか?とも思ってるじゃん??
っていう不安定なところで前に出るようなことを始めるとさ
なんだかんだで見られる機会も増えるわけでさ、
そうすると今まで使っていたような
「あたいみたいなゴリラ」とか「ブスだ死にたい」とか
そういった気持ちになっても書くのってどうなのかな?
って今更気づいたわけですよ。
なんだかんだとフロントメディアに出る知人が多かったので
そういった人たちが
「やばーい!超ブスでごめんねー」って上げる自撮りとかで
ちょ!待てよっっっ!!!
っていう気持ちになったり
(自撮り上げる時点でそれなりに自信があることは分かっていてても)
「本当痩せないと!!お目汚しでごめんね!!」って上げるコス写真とかで
ちょ!お前、それより太い人地球上の8割!!
みたいな気持ちになったりしてね
(自撮り上げる時点で...ry)
これって、自分を下げることで持ち上げてもらおうという
非常に面倒臭い承認欲求だってことは分かっていてても
上げている子たちも不安で不安で仕方なくやっているのも分かっているけれど
上げられたのを見せられて、さらに自分の容姿が醜いと思っている人にとって
ガッツリ精神削られてしまう恐ろしい攻撃でもあるのよなぁ
なんてことを思ったりしたのですわ。

そう思うと、ビッグマウスと言われそうだけど
「可愛く撮れました!」とか「良い感じに撮ってもらえたよ!」とか「盛れた!」
っていうコメントの方が誰も傷つけずに済むんだろうなぁ
なんてボンヤリと思ったりしていました。

そんなことを思いながら自分の画像レタッチをしたりしてるんだけど、
自分の持ち味は自然に良い感じに上げる。
なのでやり過ぎず、でも嫌味なくbeautyな仕上がりになるように
そんなことを考えながらいじったりしています。
iPhoneで撮った場合はいじるのダルいので明るさ調整しかしてないけどな!
自撮りアプリもいじって遊んでいた頃があったけれど
なんか不評だったのであんまり使わなくなってしもたよwww

そんなこんな。
ともかく顔の劣化は年だから仕方ないとして
筋肉維持はしたいなぁと思っているところです。

ちなみに昨日はいつもお世話になっている配信スタジオさんが1周年記念だというので
の〜んびりとパーティモードを楽しんで参りました。

クリスマス会の準備をしなくちゃならないのに、
お前マジでやばいぜ!!なんて思いながらね。

夏休みの宿題を最後の最後でやるか、放置するという
大変よろしくない性格だけに
さっさと手をつけようと思います。オス。
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弱さと強さは裏表

2019-12-16 | from:sachiaki
長短というものは裏表、という話を聞いたことは多いと思いますが
強さと弱さも裏表だなぁ、なんてことを最近感じるsachiakiです。

私が人の長所と短所は裏表で
状況や関係性によって良しと捉えるか、悪しと捉えるか
そういうものがあるなぁというのを知ったのは
小学生の時に読んだ『無責任艦長タイラー』の中で
主人公の無責任(に見える)奔放さに最初は嫌悪しかなかった
山本副艦長が彼に心酔するようになってから
全てが好印象にひっくり返っていったのを読んだ時でした。

このことって分からない人もいたりするのかな?

例えばある人が騒々しくて空気も読まなくて
粗暴な感じがして嫌だなぁって思われていたりしたとするじゃん?
でもそんな人を含めて、まったく見知らぬ土地にチームで派遣されたりすると
その粗暴な人の方があっという間に現地の人と馴染んでしまい
自分たちが動きやすい空気にしてくれたりすることって往々にしてあると思うんですよ。
そうでなくとも動き出せずにいた不正な空気などを
良い子な人たちは声を上げることができないのに
そういう雑な人だからこそ「俺(私)はそういうの好きじゃない!」って
いきなり空気を壊して新しい方向へ転がることってけっこうあると思うんです。
逆もしかりで、役に立たないドン臭いヤツ!って思っている人が
実はものすごくピンチな時に気づかなかった小さな突破口を見つけてくれて
九死に一生を得るなんてこともあると思うし、
そんな大げさなことでなくとも
やたらと物忘れが多い人なので、ものを任せるわけにはいかないって思うような人が
その物忘れのおかげで色んなことを水に流してくれて不破にならずに済んだりとか、
だから人の何かを見た時に一概にその人の人格を否定するのは違うと思うわけです。

で、こういったことを踏まえて「弱さと強さ」について最近思うのは
マイノリティだった人が声を上げられる様になったことで
強さと弱さがひっくり返っているなぁと感じているんですね。
マジョリティとマイノリティというのは状況や環境によって
ひっくり返るものだと思ってはきたものの、
繊細さのかけらもない人間に対してバッシングが強すぎやしないか?
なんてことを思ったりするんです。
今までされてきた積年の恨みというものがあるのも
なんとなく理解できなくはないんだけど、
対等になりたくて自分たちの権利を主張するのは大事なことだと思うけれど
状況を利用して相手を打ちのめそうとするのは
それは復讐はなにも生まないってことと同義だと思うんだけど
そこんとこどうなの?って感じるわけです。

例えば女性は筋力が男性よりだいぶ劣っていることが大多数だけど
女性の涙にはテストステロン濃度を低下させる化 学信号が含まれているという結果があって
男性の攻撃性を減退させる効果があるという。
子供は守られる存在ではあるけれど、
子供を盾に扱うと無下に扱うことは非難されるので意見が通りやすくなったり。
そういった強弱というものの二面性が最近はよく感じるんですよね。

別になにかを咎めようとかそういった意味合いで書いてるんじゃないんだけど、
これからの時代は「繊細さ」というものが一つのキーになると思っていて、
私みたいなガサツな人間はきっと淘汰されていく側なのだろう
という漠然とした不安がよぎったので
自衛のためにこんな日記を書いてみましたw

ガサツさは大胆さだったりするので
何かを進める時の推進力にはなったりするんだけど、
ものごとの中盤からはこのガサツさのために細やかなことが抜け
人を傷つけたり、組織やチームを追い込んでしまったりするので
さっさとその場から立ち去って、次のエンジンとなるのが良いと思ってたりする。
そして今はその立ち去るべきなんだろうなぁ
っていう案件が二つあって、さてどうするかなってお気持ち。
権限の委譲とかしたいから引き継いだりもしたいんだけど
そもそも委譲するもなにもないっちゃないしなぁとかナントカ。
根本的なところを言えば、私がいなくても回るものというのが理想なので
ある意味ちょうど良いタイミングとも思っているんだけど、
形を作り上げないとだしなぁとか色々。

gdgdしてきたので今日はこの辺にて。
ともかく人が集まってそれなりに時間を過ごせば
それなりの摩擦というものは起こるものだよなぁ
って当たり前のことを考えていたってことです。

面と向かって言われたわけではないけれど
政治的駆け引きの裏側をチラチラと見せられれば
なんとなく察するものもあるよねって感じ。

まぁ杞憂なのかもしれないけどね。
ってことで本当に今日はこの辺にて!モイモイ
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