ツイッターを見ててもフェースブックを見てても
はぁ?って思うことが増えてきたなぁと思う。
それこそ3.11と呼ばれるようになった東日本大震災から
ほんの少しずつだけど「見える化」されてきたそれは
今やそれら災害の直接的な脅威より
「不安」に対しての対応について
こんなにも人は分かり合えないのか……と驚くわけです。
今まではそういった分かり合えそうにない者同志が
出会うことって少なかったけれど
これからはそうはいかないのだなぁと
そんなことを感じるようになっているsachiakiです。
なんていうか「見えない脅威」というものを
人類はずっと恐れてきて
それの対応策として宗教(信仰)があったり
習慣があったりしたんだと思うんです。
それらは生きるために必要なもので
それを否定しようとは思わないです。
統一なんちゃらだって洗脳してくるような行為や
とんでもないあれやこれやについてはギャッて思うものの、
彼らの献身性や「尽くしたい」という欲望を受け止めていることなどは
それなりに評価できるものだと思っているので。
生活や本人のアイデンティティを奪いことが良くないのであって
本人の欲望を叶えるシステムとして
カルトも自己啓発本の類もサロンもホストも風俗も
どれも変わりがないと思ってるんです。
身を滅ぼすって意味でいうなら、社畜するのだって同じだし。
結局理解の範囲に及ばないものが怖いことには違いなくって
それをどういう風に受け止めるかって話で
例えば幽霊が出るホテルっていうものがあった時に
そこに宿泊することになってしまってしまったら
どういう風に対応する?みたいなもんで、
ど偉いお坊さんからたっかいお札やらなんやらを買って挑むのか、
そもそもそんなものはいないとタカをくくって挑むのか、
部屋の構造などからおそらくこういうカラクリなのでは?と思考して挑むのか
それはそれぞれの性格や信心の差なんだと思います。
で、幽霊が出るホテルっていうと被現実感が強すぎるぶん
まだ笑い話になるんだと思うんですけれど、
これが現実で起こっている目に見えない脅威となると話は別で
せめて積み上げられてきた知識体系から導きされているものについて
不審になる前に、それらがどういう風に物事が理解されてきたか
それをまずは理解してからが大事なんじゃないかな。
学術的な知識は後ろをずっと辿っていけて
どういったものから成り立っているかがわかり、
自分の不審に感じていたことがどういったものだったのかが
その過程で開かれることもあるかと思います。
過程はうまく説明できないけれど答えに辿り着くという
直観もバカにはできないので
それはそれとして一目置くんだけど
それを他の人にも押し広げていくのは
やっぱちょっと説明責任を果たしてない気がするんですよねぇ。
なのでワクチンを打つか打たないかなどは
そりゃ色々と考え方があると思うので
打たないことに関しては、それがあなたの考え方なのね
って受け入れられるんだけど、
打つことができる権利の人を説き伏せてまで
打たせないようにするのとかは
正直ポカーンとしてしまうんです。
がん治療なんかもそうですね。
「利権が絡んでいて儲ける人のために自分達が犠牲になっている」とか
言う人がいたりとかね。
たしかになにかを開発したところっていうのには
その開発した権利があります。
絵を描いたらその権利は描いた人のものであるのと似たようなもんですわね。
その開発したものを他の人が勝手に使って
権利(儲け)を奪うのは良くないってことですわ。
絵に例えるなら絵を描いた人のコピーや似たような絵を描いて
この絵は私のものですって言い張って
オリジナルの権利を奪うのは良くないってのは
きっと想像しやすいかと思います。
生活に欠かせないインフラになったりした時
その権利があまりに大きなものとなるので
それは富の一極集中になって良くないと
ソースの公表がされたりもしますわね。
より世界を良くしていくために様々な人が動いている結果が
今の私たちの暮らしを豊かに支えてくれているのであって
陰謀なんてもんはそんな簡単に語れるものではないと思うんです。
まぁ蒸し返すようですけれど
政府が特定のところとべったりでアカンことになっていた
なんていうのも最近のトレンドワードですが
少なくとも学問に関してはオープンソースで積み上げられてきたもので
どんな人でも一から学べばわかるようになっているんですよね。
それを「人を騙すための学問だった」といったりするなら
数学だってそうだったし、知識階級が知識を隠してきたからこそ
良くないことがあったわけで
今はプレスリリースをしたり論文として公表して
そこで反証や批判という目を潜らなくてはならなくなった分
陰謀なんてものが入るのは怪しいものなんですよ。
「人を騙すための学問」が開かれて
「間違いを正していける学問」になったのは素晴らしいことだと思います。
と、ちょっと文章がフラフラしてて結論が見えにくいかな。
ともかく陰謀論だとか「あなたの蒙を啓いてあげましょう!」
みたいな人の出してくる証拠が見るに堪えないものが多く
どうしてそうなった?となりがちなのが
最近の傾向なのかなーと。
カルトも怖いけれど、自分で調べるのは悪くないとして
その出会うソースによってはイタタタタ……となるのがもうね。
あちら側からしたら、私こそ「科学」と呼ばれているものに汚染されていて
可哀想な対象なのかもですけどね。
ファクトチェックはちゃんとしましょうってことですが
まぁ世の中をどういう風に捉えるかっていうのは
それこそ「お前の中ではな!」って話なので
こちら側のファクトがあちら側のファクトでもないのかもしれないし
実に世界は分かり合えないようにできているなぁと。
驚くことばかりというか、顎が外れそうになることが多いというか。
人生とはこの分かり合えなさいとの折り合いなのだろうし、
嘆いてばかりもいられませんなって思う今日この頃です。
とにもかくにも疑問に思ったらファクトチェックですよ。
IFCNファクトチェック綱領
① 非党派性・公正性(Nonpartisanship and Fairness)
② 情報源の基準と透明性(Standards and Transparency of Sources)
③ 資金源と組織の透明性(Transparency of Funding and Organization)
④ 検証方法の基準と透明性(Standards and Transparency of Methodology)
⑤ オープンで誠実な訂正方針(Open and Honest Corrections Policy)
FIJ ファクトチェックイニシアティブより引用しました。
そんな感じです。
本とネットだと昔はネットの方が情報が新鮮で速いので
本を読むよりネットの生知識!ってところもあったけれど、
今はどこから引用されてきたのか
きちんと知識体系が記述されている本の方がマシだとすら思うので
ネットだけで情報を集めている人よりも
ちゃんと本を読み、その際にその本の信憑性が高いところを読んでいる人を
信頼した方が良いですわね。
本を読んでいるだけで理解が及んでない人からなにかを聞かされて不審に感じても
その本に信憑性があるものなら自分が読めばいいわけですし。
と、そろそろ寝ないと。
昨日一日中寝ていたからって夜更かしが過ぎましたわ。
それではまた。モイモイ。