あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

コミュニケーションの断絶時期か?

2022-09-29 | from:sachiaki
昨晩、友人から号泣した電話がかかってきて
おおぅ、どうしたどうした?って話を聞いていたら
朝方までになって今日も今日とて寝不足のsachiakiです。

電話がかかってこなかったとしても
きっとスプラトゥーンのガチバトルかサーモンランをして
朝方まで起きてたはずなので言い訳にもなりませんけれど。

で、その号泣してた件の友人と話をしてて
なんか私もここのところ会話が不調なんだよ〜って話になり
男女差なんてシンプルなところに落とし込みたくはないけれど
とはいえ、男女差って思えるぐらいには
ホモソーシャルなやりとりっていうのは
他の世界から来た人にとっては
なんじゃそりゃ?っていうものが多いよなぁ
なんてことを思った次第です。

コトバンクによると
《homoは「同じ」の意》同性同士の社会的なつながり。
[補説]近年では、マチスモ(男性優位主義)を前提とした男性同士の連帯感について、
否定的に言及されるときに使われることが多い。


となっておりますが、実際これって村的なやりとりというか
閉じたやりとりと重なり合うようにあるんだろうなぁ
なんてことも思ってしまったりです。

ようは男子校出身者や女子校出身者がやりがちな
同性同士なら通じ合うコミュニケーションも
異性になると通じないものがあって
それは実は前々超えられるものなんだけれど
その努力を毛嫌いする、もしくは考えにないっていう人が一定数いて
それが長年連れ添った夫婦だったりしても
「言わなくちゃわかんないよ!」というような
コミュニケーションの断絶を呼ぶよねぇ、なんてことなのですわ。

分かって欲しい、察して欲しいという女性も、
分かっているだろ?察しろよという男性も、
相手に対して行った方が良い気遣いを忘れている結果なので
どっちもどっちだなぁっていうのが私の雑感だったりします。

とはいえ、とはいえですよ。
”自分の気持ちや考えを言葉にすることができない”というような人が
これまた一定数いて、
これが黙っているだけの場合でも
どうして分かってくれないんだ!って怒る方にいく場合でも
いや、まずは自分で言葉にしよ?
って思ってしまうんですけれど、
これってどうすれば良いんでしょうね????

そういった意味で読書感想文っていうのは
実はすごく良い課題だと思っていて
読んだものから感じたものっていうのはあるはずなので
その自分の中にある感想を言葉にする練習だと思うんですよね。
近年は「読書感想文が苦痛だった」、
あんなもんはなくて良かった、という人が多く
ツイッターで自分の考えを出せるぐらいの人だと
どうも先生との相性が悪かったっぽいんだけど、
そういうのとは別に
「そもそも自分の気持ちを文章にする方法を教わってもいないのに
 書けるわけがない」
というような意見もありまして、
なるほど、そういうのもあるのか。
なんてことを思ったりしたのでした。

人それぞれに得意分野があり、
身体を動かすのが得意な人もいれば
文筆や話術が得意な人もいるようなもので
私が走ることが絶望的に苦手なのと同じように
頭の中にあるものを言葉にするのが苦手な人もいるんだろうな……と。

そうは言っても……ねぇ。
やっぱ「言わなくちゃ分からないこと」や
「文字に起こしておかないとならないこと」っていうのも
ちょいちょいありまして
やっぱり言葉が苦手な人たちも人間として生まれてしまったからには
もうちょっとそこができるようになった方が
多分生きやすくなると思うんです。
上手く言えない、伝えられないから我慢するー
なんて人が多いと思うんで。

国を超えたりして文化や信仰によっては分かり合えないこともあり、
それよりもレベルの小さいところで
男女だったり、上司と部下だったりという、友人同士だったり、
断絶しやすいところってできちゃうんでしょうけれど、
とりあえず伝える努力はしましょうよ……と思ってしまうんですよね。

必要ない、って切り捨てる人も多くて
それは権威主義がべったりと染みついた人側
ステータスとして偉い人や父親、彼氏
みたいな人がしやすい仕草の一つなのかな。
あぁ母親がそういう人もいるか。
母親の機嫌を常に慮りながら言っても良いことと悪いことを
気にかけていたような人は
自分の意見を言ってくれることも少ないし、
その母親側が「自分の気持ちを言葉として伝える」という
手本とならなかった害悪の一つだとも思います。

大人なら機嫌は自分で取るもんだ。
って私は思うけれど、
自分の機嫌がどういうものなのか
分かってない人が多すぎるんだと思います。(個人の感想デス)

自分の機嫌がどういうものなのか
それを言葉にできるとスッキリするし
その対処法なんかをググることもできるし
日記につけて「私はこういうことをした時にこうなる」
という自分把握にもなるのでとても大切なスキルだと思います。

誰かに察してもらうことに頼り切って生きていると
自分の機嫌を自分で取れなくなるので
それってとっても不自由だし、
自分のことなのに自分でコントロールできないのって
ちょっともどかしいですよね。

把握した上でもどうにもならないのが感情なので
そういった時はもうしゃーないなって思うしかないんですけれど。

とりあえず友人が号泣して電話をかけてくるまで
コミュニケーションで追い込まれていたのは
あまり良いことではないので
相手からちゃんと引き出そうと努力し続けて偉かったね。
ってベタ甘やかしておきました。
自分のことをベラベラ喋り続ける人も相手のことを無視してるなって思うけれど
自分のことを必要以上に開陳しない人も人を無視してるなって思うなど。
なにをそんなに警戒してるんだか。
開陳することで嫌われるかも……とか弱みを握られるかも
という警戒なんだろうけれど、
それの度が過ぎるようだったら「あ、じゃぁもういいんで」って
なっちゃうのが人との関係性なので
そういうのはやめておいた方が良いですよってね。
そしてそういう開陳しない人の中でも
相手が去りそうってなると気にかけてもらいたい
みたいなそぶりをする人がいるので、それだけが厄介かな。
男女関係なく、この「試し行為」をする人はいるからねぇ。
そんな感じ。
そういう人には中指立ててヴァーーーーーーーカ!
って言ってやると良いと思います。
まぁ「試し行動」をする人の心の闇には同情しなくもないけれど。

そんな感じです。
さて今日は私にとってすっごく大きな方向転換となった
ラジオ番組の最終回。
聞き逃さないように気をつけないとなのです。
終わりがあれば始まりがある。
悲しいし寂しいけれど、きっちり終わりを聞き届けたいと思います。
そんじゃまた!モイモイ。
コメント
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