空想癖のある主人公の少年は、周囲の教師や子どもたちから馬鹿にされていました。
同級生の物を盗んだと、担任の教師に濡れ衣を着せられて、鉄棒の得意な主人公は、教室の窓から抜け出して校舎の屋根に上がり、どんどん高い方へ登って行ってしまいます。
事なかれ主義の教師たち(主人公のことを本当に心配しているのではなく、責任を取らされるのを恐れているのです)や子どもたちが大騒ぎする中で、主人公はとうとう屋根から落下してしまいますが、下に敷いた宿直用の布団のおかげで怪我はありませんでした。
この話は戦時下の子どもたちを描いたものですが、他の子と違う子どもたちへの迫害(個性的な子どもたちは、今でも協調性がないとして周囲から疎外されます)や教師たちの事なかれ主義(教師の顔色をうかがい一見従順そうに見える子どもたちは、彼らが扱いやすいので好まれます)は、依然として変わっていません。
私も主人公と同様に空想癖があり(今でもあります)、協調性がないので、小学校一年から中学一年までは、授業中に自分の世界に入り込んで、よく廊下に立たされたり、教室の前の方で正座させられたりしました(今なら体罰や児童の勉強する権利を奪うとして問題になるかもしれません)。
中学二年の時の担任は今考えると異常なほどに陰険で、成績の悪い子どもたちを自ら先頭に立って差別していたので、私はたまたま成績が良かったせいか見逃されていました。
中学三年の時は、教師たちは他の子どもたちの受験指導に夢中で、成績がさらによくなって都立高校には進まないで私立高校へ行くことを明らかにしていた私は、ここでも彼らに完全に無視されていました(ただし、明らかに5になるはずの科目(中間試験も期末試験も100点だったので)を、内申書に影響する二学期だけいくつか4にされていました。当時は相対評価だったので、私につけるべきだった5は、一番レベルの高い都立高校(当時は学校群制度だったので私のいた第5学区は第52群の上野高校と白鴎高校でした)を志望していた子たちの内申書を良くするために盗まれたのでしょう。入学試験の終わった三学期にはすべて5に戻っていました)。
そうした私自身の経験や息子たちが子どもだったころの担任教師たちの様子を見ると、教員の体質はこの作品の描かれた戦時下とあまり変わっていないようです。
それは、彼らの多くが、学生(教育学部が多いかもしれません)から、教員採用試験(それぞれの自治体にとって都合のいい人材を合格させることは明らかです)を受かっただけで、ほとんど実社会の経験を積まずに、いきなり教室の主になって子どもたちに君臨するようになるからだと思われます。
教える内容に対する自分自身の深い洞察を持たずに、上から教えられたことをそのまま無批判に子どもたちに教えている教師たちがどんなに多いことでしょうか。
もし、時代がさらに悪く変われば、彼らは再び彼らの教え子たちを戦争に送り込みかねません。
同級生の物を盗んだと、担任の教師に濡れ衣を着せられて、鉄棒の得意な主人公は、教室の窓から抜け出して校舎の屋根に上がり、どんどん高い方へ登って行ってしまいます。
事なかれ主義の教師たち(主人公のことを本当に心配しているのではなく、責任を取らされるのを恐れているのです)や子どもたちが大騒ぎする中で、主人公はとうとう屋根から落下してしまいますが、下に敷いた宿直用の布団のおかげで怪我はありませんでした。
この話は戦時下の子どもたちを描いたものですが、他の子と違う子どもたちへの迫害(個性的な子どもたちは、今でも協調性がないとして周囲から疎外されます)や教師たちの事なかれ主義(教師の顔色をうかがい一見従順そうに見える子どもたちは、彼らが扱いやすいので好まれます)は、依然として変わっていません。
私も主人公と同様に空想癖があり(今でもあります)、協調性がないので、小学校一年から中学一年までは、授業中に自分の世界に入り込んで、よく廊下に立たされたり、教室の前の方で正座させられたりしました(今なら体罰や児童の勉強する権利を奪うとして問題になるかもしれません)。
中学二年の時の担任は今考えると異常なほどに陰険で、成績の悪い子どもたちを自ら先頭に立って差別していたので、私はたまたま成績が良かったせいか見逃されていました。
中学三年の時は、教師たちは他の子どもたちの受験指導に夢中で、成績がさらによくなって都立高校には進まないで私立高校へ行くことを明らかにしていた私は、ここでも彼らに完全に無視されていました(ただし、明らかに5になるはずの科目(中間試験も期末試験も100点だったので)を、内申書に影響する二学期だけいくつか4にされていました。当時は相対評価だったので、私につけるべきだった5は、一番レベルの高い都立高校(当時は学校群制度だったので私のいた第5学区は第52群の上野高校と白鴎高校でした)を志望していた子たちの内申書を良くするために盗まれたのでしょう。入学試験の終わった三学期にはすべて5に戻っていました)。
そうした私自身の経験や息子たちが子どもだったころの担任教師たちの様子を見ると、教員の体質はこの作品の描かれた戦時下とあまり変わっていないようです。
それは、彼らの多くが、学生(教育学部が多いかもしれません)から、教員採用試験(それぞれの自治体にとって都合のいい人材を合格させることは明らかです)を受かっただけで、ほとんど実社会の経験を積まずに、いきなり教室の主になって子どもたちに君臨するようになるからだと思われます。
教える内容に対する自分自身の深い洞察を持たずに、上から教えられたことをそのまま無批判に子どもたちに教えている教師たちがどんなに多いことでしょうか。
もし、時代がさらに悪く変われば、彼らは再び彼らの教え子たちを戦争に送り込みかねません。
でんでんむしの競馬 (1980年) (講談社文庫) | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |