現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

イタロ・カルヴィーノ「まちがえた停留所」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-06 08:28:51 | 作品論
 寒い家で暮らしている人たちにとって、暖房のきいた映画館は夜を快適に過ごせる場所です。
 マルコヴァルドさんは、その晩も映画館でインドの森を舞台にした映画を見ていました。
 映画館を出ると、町は深い霧の中に閉ざされていました。
 例によって、映画の続きのようなインドの空想に耽りながら、市内電車で家に帰ろうとしたマルコヴァルドさんは、降りる停車場を間違えてしまいました。
 ますます濃くなった霧の中をさ迷い歩いた後に、知らない酒場に立ち寄りました。
 お酒を飲んでいい気分になったマルコヴァルドさんは、霧の中で奇妙な場所に迷い込んだ末に、奇妙なバスに乗り込みます。
 しかし、それはバスではなく飛行機だったのです。
 そして、マルコヴァルドさんは、空想ではない本当のインドに向かうことになります。
 こうした空想癖の話(例えば、イタロ・カルヴィーノもパロディ版を書いている「ほら吹き男爵の冒険」など)は、かつての児童文学ではよく書かれていましたが、今では絶えて久しいです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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はやみず陽子「すてもる」

2018-07-06 07:30:08 | 作品論
 捨てられたモルモットを捕まえた子どもたちの話です。
 この話の山場としては、子どもたちがモルモットを捕まえるところと、動物愛護センターで引き取り手がいない動物は殺処分になることを子どもたちが知るところだと思いますが、どちらもあっさりと解決していて盛り上がりませんでした。
 前者に関しては、過去の有名な作品と比較するのはフェアではないと思いますが、岡田淳の「学校ウサギをつかまえろ」を読んだときのハラハラドキドキ感が、この作品ではまるでありませんでした。
 それは、モルモットを捕まえるまでのいろいろな障害や、それに対する子どもたちの工夫、そして、関わっている子どもたちそれぞれのドラマが足りないからだと思われます。
 後者に関しては、善意の他者(この作品では主人公の両親)による解決なので、あまりにも予定調和的です。
 演劇用語を使えば、いわゆるデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けで登場する神)による問題解決で、現代の創作でも最もやってはいけない手法です。
 この作品は作者の体験に基づいたものらしいのですが、そのためにフィクション化が弱く、またノンフィクション系の作品が多いシリーズの中の一冊として出版されているため、フィクションなのかノンフィクションなのかが出版する側でも不分明だったのかもしれません。
 また、この作品の評価も、文学としての価値よりも動物愛護的な評価に傾きがちで、ある同人誌での合評でも文芸論的な議論よりも各人の動物愛護体験(特に年とったペットの介護体験)の披瀝により多くの時間が割かれていました。 

すてもる (いのちいきいきシリーズ)
クリエーター情報なし
佼成出版社
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