線路わきに並んだ電信柱(この作品が書かれた1921年当時は、とうぜん石炭を燃やして走る汽車(蒸気機関車)の時代ですが、信号や車内の電燈などのために、線路わきの電信柱から電気を引き込んでいたようです。汽車にはパンタグラフはありませんから、どのように電気を引き込んでいたかは寡聞にして知りません)が、月夜に行進する話です。
軍隊の行進、鉄道、電気、それらのすべてが、当時の(特に地方の)子どもたちには新しい珍しいものだったことでしょう。
そう考えると、この作品は今の読者が感じるような牧歌的なものでなく、もっとモダンなものとして受容されていたのではないでしょうか。
私も子どものころに、塾の帰りに駅から家までを、同じように京成電車の線路わきを、夜(月夜の日もあったことでしょう)に歩いていましたが、怖がりだった私(特に夜空を風に吹かれて横切る雲の様子が怖くてたまりませんでした)は、ただ一刻も早く家にたどり着くことばかり考えていて、残念ながら賢治のように空想をはばたかせることはありませんでした。
軍隊の行進、鉄道、電気、それらのすべてが、当時の(特に地方の)子どもたちには新しい珍しいものだったことでしょう。
そう考えると、この作品は今の読者が感じるような牧歌的なものでなく、もっとモダンなものとして受容されていたのではないでしょうか。
私も子どものころに、塾の帰りに駅から家までを、同じように京成電車の線路わきを、夜(月夜の日もあったことでしょう)に歩いていましたが、怖がりだった私(特に夜空を風に吹かれて横切る雲の様子が怖くてたまりませんでした)は、ただ一刻も早く家にたどり着くことばかり考えていて、残念ながら賢治のように空想をはばたかせることはありませんでした。
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