日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
戦前は最高75万部まで売り上げた講談社の人気雑誌「少年倶楽部」が、戦後どのように復刊されて、その後衰退していったかの研究です。
紙面構成などを調べ上げて詳細に語っています。
それによると、戦後復活の号は54ページ、A5版、80銭の小さな雑誌だったようです。
その後、名前を「少年クラブ」に変えて、だんだん雑誌も厚くなっていったのですが、週刊少年漫画雑誌(同じ講談社では少年マガジン)におされて1962年に廃刊になりました。
発表からは、研究に対する熱意はすごく伝わってくるのですが、どうも練習不足だったようで、前振り部分が長すぎて、発表は尻切れトンボで終わってしまいました。
後半の読者の様相まで触れられなかったので、質疑の時に助け舟にそこを質問したところ、「戦前は読者間の共同体志向があったが、戦後はそれが薄れてしまった。」とのことでした。
どうも、戦後は出版社のモラルも低く、戦前のよう少年雑誌文化を作り上げようという意欲に欠けていたようです。
それは作者たちも同様で、盗作が横行していたとのことです。
発表後に、発表者と少し話す機会があったので、「戦後は雑誌「漫画少年」に読者間の共同体志向があったようだ」と話したところ、「ぜひ調べてみたい」と言っていました。
戦前は最高75万部まで売り上げた講談社の人気雑誌「少年倶楽部」が、戦後どのように復刊されて、その後衰退していったかの研究です。
紙面構成などを調べ上げて詳細に語っています。
それによると、戦後復活の号は54ページ、A5版、80銭の小さな雑誌だったようです。
その後、名前を「少年クラブ」に変えて、だんだん雑誌も厚くなっていったのですが、週刊少年漫画雑誌(同じ講談社では少年マガジン)におされて1962年に廃刊になりました。
発表からは、研究に対する熱意はすごく伝わってくるのですが、どうも練習不足だったようで、前振り部分が長すぎて、発表は尻切れトンボで終わってしまいました。
後半の読者の様相まで触れられなかったので、質疑の時に助け舟にそこを質問したところ、「戦前は読者間の共同体志向があったが、戦後はそれが薄れてしまった。」とのことでした。
どうも、戦後は出版社のモラルも低く、戦前のよう少年雑誌文化を作り上げようという意欲に欠けていたようです。
それは作者たちも同様で、盗作が横行していたとのことです。
発表後に、発表者と少し話す機会があったので、「戦後は雑誌「漫画少年」に読者間の共同体志向があったようだ」と話したところ、「ぜひ調べてみたい」と言っていました。
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