現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

イタロ・カルヴィーノ「毒いりウサギ」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-05 08:47:12 | 作品論
 病気で入院していたマルコヴァルドさんは、退院の時に病院で飼われていたウサギを連れ出してしまいます。
 例によって、妄想癖のために深い意味もなく盗んでしまったのです。
 結局、マルコヴァルドさんはウサギを太らせてからクリスマスのごちそうにしようと考えたのですが、入院費でお金に困っていた奥さんはすぐに料理しようと思います。
 でも、心優しいマルコヴァルドさんの家族は、誰一人ウサギを殺すことはできずに、最後は子どもたちによって逃げさせられます。
 このウサギが、恐ろしい伝染病の病原菌を注射された毒いりウサギだったので、町中は大騒ぎになります。
 この作品でも、マルコヴァルドさんの家族が検査のために病院に強制収容されるというオチは一応ありますが、どちらかというと次第に具合が悪くなって死を覚悟したウサギを描くことによって、身勝手な人間たちを糾弾する方に作者の力点は置かれています。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
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岩波書店
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ロアルド・ダール「へそまがり昔ばなし」

2018-07-05 08:11:25 | 作品論
 「チョコレート工場の秘密」や「マチルダは小さな大天才」で有名なダールのパロディ本です。
 「シンデレラ」、「ジャックと豆の木」、「白雪姫と七人のこびと」、「三びきのくま」、「赤ずきんちゃんとおおかみ」、「三びきのコブタ」といった有名な童話をパロッています。
 といっても、ストーリーをひねったおもしろさはあまりなく、ライム(韻)を使った言葉遊びが中心なので、童話というよりは詩に近いかもしれません。
 訳者(灰島かり)もまえがきやあとがきでいっているように、英語はライムに向いているのですが日本語にするのは、学生時代に「くまのプーさん」で有名なミルンの未翻訳の詩集を訳しただけの私のわずかな経験でも、なかなか難しいことがわかります。
 灰島は一生懸命頑張って訳していますが、原書で読んだ方が楽しいかもしれません。
 クェンティン・ブレイクの絵もおしゃれなので、総じて大人向けの本になっているようです。

へそまがり昔ばなし (児童図書館・文学の部屋)
クリエーター情報なし
評論社
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安藤美紀夫「ほらふきリーやん」でんでんむしの競馬所収

2018-07-04 15:12:14 | 作品論
 空想癖のある主人公の少年は、周囲の教師や子どもたちから馬鹿にされていました。
 同級生の物を盗んだと、担任の教師に濡れ衣を着せられて、鉄棒の得意な主人公は、教室の窓から抜け出して校舎の屋根に上がり、どんどん高い方へ登って行ってしまいます。
 事なかれ主義の教師たち(主人公のことを本当に心配しているのではなく、責任を取らされるのを恐れているのです)や子どもたちが大騒ぎする中で、主人公はとうとう屋根から落下してしまいますが、下に敷いた宿直用の布団のおかげで怪我はありませんでした。
 この話は戦時下の子どもたちを描いたものですが、他の子と違う子どもたちへの迫害(個性的な子どもたちは、今でも協調性がないとして周囲から疎外されます)や教師たちの事なかれ主義(教師の顔色をうかがい一見従順そうに見える子どもたちは、彼らが扱いやすいので好まれます)は、依然として変わっていません。
 私も主人公と同様に空想癖があり(今でもあります)、協調性がないので、小学校一年から中学一年までは、授業中に自分の世界に入り込んで、よく廊下に立たされたり、教室の前の方で正座させられたりしました(今なら体罰や児童の勉強する権利を奪うとして問題になるかもしれません)。
 中学二年の時の担任は今考えると異常なほどに陰険で、成績の悪い子どもたちを自ら先頭に立って差別していたので、私はたまたま成績が良かったせいか見逃されていました。
 中学三年の時は、教師たちは他の子どもたちの受験指導に夢中で、成績がさらによくなって都立高校には進まないで私立高校へ行くことを明らかにしていた私は、ここでも彼らに完全に無視されていました(ただし、明らかに5になるはずの科目(中間試験も期末試験も100点だったので)を、内申書に影響する二学期だけいくつか4にされていました。当時は相対評価だったので、私につけるべきだった5は、一番レベルの高い都立高校(当時は学校群制度だったので私のいた第5学区は第52群の上野高校と白鴎高校でした)を志望していた子たちの内申書を良くするために盗まれたのでしょう。入学試験の終わった三学期にはすべて5に戻っていました)。
 そうした私自身の経験や息子たちが子どもだったころの担任教師たちの様子を見ると、教員の体質はこの作品の描かれた戦時下とあまり変わっていないようです。
 それは、彼らの多くが、学生(教育学部が多いかもしれません)から、教員採用試験(それぞれの自治体にとって都合のいい人材を合格させることは明らかです)を受かっただけで、ほとんど実社会の経験を積まずに、いきなり教室の主になって子どもたちに君臨するようになるからだと思われます。
 教える内容に対する自分自身の深い洞察を持たずに、上から教えられたことをそのまま無批判に子どもたちに教えている教師たちがどんなに多いことでしょうか。
 もし、時代がさらに悪く変われば、彼らは再び彼らの教え子たちを戦争に送り込みかねません。

でんでんむしの競馬 (1980年) (講談社文庫)
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講談社
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後藤正治「ライアンの蹄音」咬ませ犬所収

2018-07-04 09:01:44 | 参考文献
 競馬を題材にしたノンフィクション短編です。
 競馬の主役である競走馬やジョッキーではなく、厩務員に着目したところがこの作品のねらい(普段陽の当たらない人たちの人生を描く)なのでしょう。
 しかし、この作品の場合は、厩務員といっても、担当した馬が、題材になっているメジロライアン(宝塚記念の勝ち馬)やメジロラモーヌ(初めての牝馬三冠馬。当時は秋華賞はなかったので、桜花賞、オークス、エリザベス女王杯の勝ち馬)など、活躍した馬ばかりの成功者なので、ねらいのピントが少し狂っているようです。
 また、ノンフィクションとしての題材(厩務員、メジロライアンなど)への食い込みが浅くて物足りませんでした。
 同じく競馬を題材にした「イシノヒカル、おまえは走った!」敗れざる者たち所収では、若き日の沢木耕太郎が厩舎に住み込んで実際に厩務員の仕事を体験していて迫力がありました。

スポーツノンフィクション 咬ませ犬 (同時代ライブラリー (296))
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岩波書店
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イタロ・カルヴィーノ「牛にひかれて」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-03 17:03:07 | 作品論
 山で放牧するために深夜に町を横切って行った、牛の群れについていってしまった長男の話です。
 彼は、元の場所へ戻るために再び町を横切って行く牛の群れとともに戻ってきます。
 本人は山ではこき使われていただけで疲れ切っているし腹も減っていると主張していますが、マルコヴァルドさんはすずしい所にいてチーズやバターをたらふく食べたと疑っています。
 どちらが正しいのかはあいまいのままにして、牛の群れは夢のように通り過ぎていきます。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
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岩波書店
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庄野潤三「ケリーズ島」庄野潤三全集第四巻所収

2018-07-02 09:28:53 | 参考文献
 この短編も、ロックフェラー財団によってアメリカのガンビアという田舎町にあるケニオン大学に一年間派遣されていた時のことを描いています。
 作者の代表作のひとつである「ガンビア滞在記」と同じタッチで描かれていますが、老数学者のニコデム教授の夫人にケリー湖にある島へ連れて行ってもらった時のものです。
 ガンビア滞在記と同様に単なる紀行文にとどまっていないのは、戦争体験を経てポーランドからアメリカへ逃れてきたニコデム夫人に対する深い理解と共感があるからだと思えます。

庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年)
クリエーター情報なし
講談社
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朽木祥「石の記憶」八月の光所収

2018-07-02 08:00:10 | 作品論
 被爆体験を扱った連作短編集の二編目です。
 銀行へ行った母は強い閃光を浴びて消えてしまい、その影だけが石段に残っています。
 この逸話も、すでに何度か聞いたり見たりした記憶があります。
 それを新たに作品化する意義は、どこにあるのでしょうか。
 確かに二次創作として、このことを知らない若い読者に知らせることには一定の意味はあるでしょう。
 また、被爆体験を風化させずに伝えていくことも必要なことでしょう。
 しかし、新しい戦争児童文学を書くなら、このような情緒的な書き方でない新しい創作方法を考える必要があるように思われます。
 福島第一原発事故を経験した後では、核兵器や放射能汚染が過去のものではなく、現在も存在することをもっと叙事的に描いていかないと、それらをまねいた根本的な原因を取りこぼすことになるのではないでしょうか。

八月の光
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偕成社
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井嶋敦子「たべられないよアレルギー」

2018-07-01 11:39:30 | 作品論
 食べ物のアレルギーに関する知育紙芝居です。
 幼稚園などで、先生が園児たちにお友達のアレルギーについて理解してもらうために作られたのでしょう。
 こういう教材の作成も、児童文学作家の重要な仕事です。
 作者は小児科医でもあるので、医者としての仕事でもあるでしょう。
 小児科の先生が幼稚園や保育園へ行って話をするのにも有効なツールです。
 園児にとっては、絵本よりも絵の大きい紙芝居の方が食いつきがいいと思われます。
 ただ、前半のアレルギーショックのシーンと、後半の好き嫌いとの違いを説明する部分のつながりが弱いようです。
 しかし、この作品は、他の子と違うところのある子への理解を得られるようにするメッセージ性をもっていて、こういった子どもたちが通う幼稚園や学校現場にとっても、重要な問題提起になっています。
 教育現場では、あらゆることに多様性を持つことが重要になってきているのでしょう。
 しいて言えば、対象年齢が低いので難しいかもしれませんが、そういった子どもたちに思いやりを生むようなドキンとするシーンが欲しいかもしれません。

たべられないよアレルギー (保健衛生かみしばい まいにちげんき!)
クリエーター情報なし
童心社
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