現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

イタロ・カルヴィーノ「サンタクロースのむすこたち」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-15 10:16:33 | 作品論
 最後にふさわしく、クリスマスのお話です。
 といっても、もちろんごく普通の楽しげなクリスマスの風景を描いたものではありません。
 商業主義にからめ捕られたクリスマス騒ぎには、破滅的な結末が用意されています。
 ラストの白いウサギと黒いオオカミの挿話が意味深です。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スター・ウォーズ フォースの覚醒

2018-07-15 08:28:37 | 映画
 10年ぶりに登場した、スターウォーズ・シリーズの7作目の作品です。
 1977年に発表された第1作を、忠実にセルフカバーしています。
 新しい登場人物だけでなく、懐かしい第1作の人物(ハン・ソロのハリソン・フォード、レイア姫のキャリー・フィッシャー、ルーク・スカイウォーカーのマーク・ハミル)やマシン(R2-D2、C-3PO、ミレニアム・ファルコン号)が総登場で、若いファンだけでなくかつて第1作に熱狂したオールドファンにも配慮し、三世代で楽しめる映画に仕上がっています。
 3DやCGを駆使した映像は、テーマパークの新しいアトラクションを味わうような楽しさを持っていますが、それまでなかったリアルなスペース・オペラというジャンルを開拓した第1作を見た時のような衝撃は望むべくもありません。
 第1作が色濃く持っていた原作者のジョージ・ルーカスの作家性は、さらに大きく後退して、無難なエンターテインメントといった仕上がりです。
 主人公を女性に、脇役筆頭を黒人男性にしたのは、ダイバーシティへの配慮を求められる現代のアメリカ社会を反映していて、このあたりもルーカス・フィルムがディズニーに買収された影響が感じられます。
 一言で言えば、この映画は良くも悪くもディズニー映画なのです。

table border=0 colspacing=0 cellpadding=0>スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 (字幕版)クリエーター情報なしメーカー情報なし
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「がんこなネコたちのいる庭」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-14 10:12:31 | 作品論
 マルコヴァルドさんは、昼休みに知り合いのネコについていって、不思議な屋敷の庭にたどり着きます。
 そこは、年取った没落貴族である公爵夫人の屋敷の荒れ放題の庭で、たくさんのネコを初めとした小動物たち(小鳥やカエルなど)にとって、開発が進む都会に残された最後のオアシスでした。
 ネコたちは、公爵夫人が亡くなった後も、そこに高層ビルを建てようとする建築会社の作業員たちを妨害するのでした。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児童文学における典型的キャラクター

2018-07-14 09:23:35 | 考察
 児童文学の典型的なキャラクターとして、いたずら坊主の男の子があります。
 普段は粗暴でいたずらばかりやっていますが、優しい所もあってどこか憎めない。
 そんなキャラクターの主人公は、すでに腐るほど書かれています。
 その変形である、活発なおてんば娘というキャラクターも同様です。
 一般に、こういったキャラクターは、「自然主義的リアリズム」ではなく、あらかじめ読者の間で共有化されているであろう、他の作品の世界観に寄りかかった「マンガ・アニメ的リアリズム」、さらに言えば「児童文学的リアリズム」で書かれていることが多いようです。 

純粋娯楽創作理論 第二章・キャラクター分類指標
クリエーター情報なし
開巻書房
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「じぶんひとりの町」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-13 09:16:06 | 作品論
 夏のバカンスで誰もいなくなった町に取り残されたマルコヴァルドさんを描いています。
 ヨーロッパならではの面白い設定なのですが、この作品では作者の想像力があまりはばたかないので、もう一つの出来でした。
 ただ、マルコヴァルドさんが誰もいない町をいかした映画撮影(有名な主演女優が町の一番大きな噴水で水浴びをします)に巻き込まれるシーンは、この作品が書かれた少し前の1960年に公開された、同じイタリアのフェデリコ・フェリーニの代表作の一つ「甘い生活」の有名なシーン(主演のマルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エグバーグがトレヴィの泉で戯れます)を彷彿とせてて興味深かったです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児童文学における子どもの遊び

2018-07-13 08:47:53 | 考察
 児童文学の作品においては、しばしば子どもが遊んでいる様子が描写されます。
 その多くの場合に、作者が子どもの遊んでいる姿の愛らしさを描こうとすることがあります。 
 しかし、それではたんに子どもたちの遊びをなぞっただけで、それを通してどのような物語に発展させるかが欠けています。
 そのため、それらの作品は、作者の意図に反して、子どもたちには喜ばれずに、親や祖父母である大人たちの方が楽しめるといった、本末転倒な状況の陥ってしまっています。
 児童文学もひとつの商品であるからには、たんなる描写を超える何か(物語性であったり、娯楽性であったり、社会性であったりします)が必要です。

世界の子どもの遊び (楽しい調べ学習シリーズ)
クリエーター情報なし
PHP研究所
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「けむりと風とせっけんのあわ」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-12 09:36:57 | 作品論
 企業の過剰な競争と宣伝に対する風刺です。
 マルコヴァルドさんの子どもたちはは、洗剤会社が各家の郵便受けに配る見本品の無料交換券を集めることに夢中になります。
 ライヴァル会社が次々に参入して宣伝合戦は過熱し、無料交換券の枚数も見本品の大きさもどんどんエスカレートしていきます。
 一方、マルコヴァルドさんの子どもたちの無料交換券収集も、周囲の子どもたちも巻き込んで組織化されてエリアも拡大していきます。
 宣伝効果に疑問を持った(無料交換券は配る先から子どもたちに横取りされて、彼らのターゲットの主婦の手には届いていないのですから無理もありません)洗剤会社たちは、見本品を直接主婦に手渡す作戦に切り替えます。
 そのころにはすでに、無料交換券を使って交換した洗剤の見本品は、マルコヴァルドさんの家にあふれるほど大量に蓄えられていました。
 次の段階として、子どもたちは見本品を売りさばこうとしますが、直接ただで手に入るようになった見本品を買うような人は誰もいません。
 そのうちに、洗剤会社にその存在を気づかれ、警察に訴えられます。
 それまで黙認していたマルコヴァルドさんは、あわてて子どもたちに洗剤を捨てに行くように命じます。
 子どもたちは、大量の洗剤の見本品を川に捨てます。
 翌朝、風にあおられて舞い上がったたくさんの巨大な洗剤のあわが、町の上空を覆い尽くします。
 朝日をあびて虹色に輝く巨大なあわは、町の人々を興奮させました。
 しかし、やがていつものように工場の煙突から噴き出したけむりによって、泡はかき消され、つかの間の夢は消えて、いつものつまらない日常が始まりました。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「スーパーマーケットのマルコヴァルドさん」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-11 09:11:39 | 作品論
 今回は、大量消費時代に対する風刺です。
 仕事が終わると、人々は勤労者から消費者に代わります。
 その大量消費の象徴として、ここではスーパーマーケットが描かれています。
 この作品が書かれた1963年ごろに、イタリアにおいてそれらが発展していたのでしょう。
 訳者の安藤美紀夫はカートのことを手押し車と訳していますから、日本(少なくともそのころ彼が住んでいた北海道)では、翻訳された1968年にはまだあまり一般化されていなかったのかもしれません。
 その後、ダイエーやイトーヨーカドーなどの大型スーパーマーケットが大成功を収めますが、1990年代にバブルが崩壊して大量消費時代が終焉すると、ダイエーなどの経営が破たんしたのはご存じのとおりです。
 マルコヴァルドさん一家もスーパーマーケットに出かけますが、買い物のためではありません。
 お金のない彼らは、何一つ買えないからです。
 マルコヴァルドさんたちは、一人一人がそれぞれのカートを押して広大なスーパーマーケットの売り場をめぐって、他の人たちと同じような買い物の雰囲気を味わおうというのです。
 しかし、カートを押しているうちに夢中になってきた彼らは、手当たり次第に品物をカートに放り込んで山盛りにしてしまいます。
 でも、行く手には会計のレジスターが待ち受けています。
 店内を右往左往するマルコヴァルドさん一家が大騒動を繰り広げます。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「雨と木の葉」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-10 16:57:53 | 作品論
 いつも会社で単調な仕事をさせられているマルコヴァルドさんには、普段はあまり楽しいことはありません。
 しかし、ひょんなことから、枯れかかった会社の植木に雨がかかるようにすることに、生きがいを見出すようになります。
 マルコヴァルドさんは、植木をバイクの後ろに載せて、町中を雨を求めて走り回ります。
 植木はバオバブの木で、マルコヴァルドさんの期待に応えてグングン成長し、やがて葉の色を黄金色に変えて、町中に黄金の葉を散らします。
 黄金の葉を求めて、マルコヴァルドさんの後を追う人々の群れ。
 そして、最後の一葉が散って上空高く舞い上がるラストシーン。
 なんと美しい一遍でしょう。
 いつもは皮肉や風刺を描いている作者の本質は、このような世界を描ける詩心だったのです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よしもとばなな「鬼っ子」さきちゃんたちの夜所収

2018-07-10 08:20:01 | 参考文献
 宮崎の青島で一人で死んだおばさんの家の後始末に行くさきちゃんが描かれています。
 兄弟や親戚と縁を切って遠くへ行って、一人で古井戸の精霊(?)を鎮めるために素焼きの子鬼を作り続けたおばさんの生き方や芸術に対する考え方に、おばさん同様に親戚の中で少し変わっていると見られているさきちゃんは、強く共感します。
 こういったスピリチュアルな世界は、よしもとの読者の若い女性は大好きなのですが、「幽霊を信じない」さきちゃんを配することで巧みにバランスを取っているので、リアリストの私でも読み味は悪くありません。
 子鬼そっくりのおばさんの家の裏の黒木さんの存在も含めて、合理性や効率性を求めすぎる現代へのアンチテーゼの働きをしています。
 また、文章が軽快できらきらとしていて、読み心地がいいことも付け加えたいと思います。

さきちゃんたちの夜
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒川博行「後妻業」

2018-07-09 08:15:16 | 参考文献
 悪徳結婚相談所を舞台に、資産家の男性高齢者たちを狙った連続殺人を描いています。
 高齢化社会における中高年の出会いブームといった現代的な問題に着目し、熟練の腕前で一定のレベルのエンターテインメント作品にまとめあげていて、大竹しのぶが主演して映画化もされました。
 ただ、黒川の代表作である「疫病神」シリーズ(「破門」で直木賞を受賞。各作品の記事を参照してください)に及ばないのは、登場人物、特に犯罪を突き止めていく興信所の探偵に魅力がなく、彼に共感しながら読み進めていかれないからでしょう。
 また、ラストをミステリーとしてはうまくまとめきれずに、単純なアクションドラマにしてしまっているのも物足りませんでした。

後妻業
クリエーター情報なし
文藝春秋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「月と「ニャック」」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-08 17:56:42 | 作品論
 「ニャック」というのは、マルコヴァルドさんの家(アパートの部屋)の窓の真ん前に設置されていたネオンサイン「スパーク・コニャック」の一部です。
 「ニャック」のために、マルコヴァルドさんの家からは月も星も見えないし、向かいの家の息子はマルコヴァルドさんの娘の笑顔を見ることもできません。
 ある日、マルコヴァルドさんの息子がパチンコで「ニャック」を壊してしまいました。
 それ以来、マルコヴァルドさんの家から月や星をながめることができましたし、向かいの家の息子はマルコヴァルドさんの娘と指のキスを送りあえるようになりました。
 マルコヴァルドさんは、壊したネオンサインを弁償させられるのを恐れていましたが、逆にライヴァル会社の「コニャック・トマック」に修理したネオンサインを壊す契約をすることになります。
 マルコヴァルドさんの息子が修理されるたびにネオンサインを壊し続けたところ、「スパーク・コニャック」は破産してしまいました。
 でも、皮肉なことに、マルコヴァルドさんの家の窓の前には、「スパーク・コニャック」の代わりに、もっと巨大で頑丈な「コニャック・トマック」のネオンサインができてしまい、月も星も若い二人の恋も終わりを告げました。
 短い作品ですが、何度もどんでん返しがあって、皮肉な結末とともに楽しめました。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「川のいちばん青いところ」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-07 08:39:23 | 作品論
 食品汚染についての話です。
 題名の「川のいちばん青いところ」というのは、一見青くきれいに見える川が、実は工場の排水で汚染されていることを意味しています。
 マルコヴァルドさんは、そこで苦労して釣り上げたコイを、また川へ戻さなければなりませんでした。
 この作品が書かれたころは、日本でも公害やそれに伴う食品汚染が大きな社会問題になっていました。
 いろいろな規制で、表向きは公害や食品汚染は少なくなったように見えますが、実際はより巧妙にそれらが隠ぺいされていることはご承知の通りです。
 さらに、福島第一原発の人災で、深刻な放射線汚染も経験するようになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタロ・カルヴィーノ「まちがえた停留所」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-07-06 08:28:51 | 作品論
 寒い家で暮らしている人たちにとって、暖房のきいた映画館は夜を快適に過ごせる場所です。
 マルコヴァルドさんは、その晩も映画館でインドの森を舞台にした映画を見ていました。
 映画館を出ると、町は深い霧の中に閉ざされていました。
 例によって、映画の続きのようなインドの空想に耽りながら、市内電車で家に帰ろうとしたマルコヴァルドさんは、降りる停車場を間違えてしまいました。
 ますます濃くなった霧の中をさ迷い歩いた後に、知らない酒場に立ち寄りました。
 お酒を飲んでいい気分になったマルコヴァルドさんは、霧の中で奇妙な場所に迷い込んだ末に、奇妙なバスに乗り込みます。
 しかし、それはバスではなく飛行機だったのです。
 そして、マルコヴァルドさんは、空想ではない本当のインドに向かうことになります。
 こうした空想癖の話(例えば、イタロ・カルヴィーノもパロディ版を書いている「ほら吹き男爵の冒険」など)は、かつての児童文学ではよく書かれていましたが、今では絶えて久しいです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はやみず陽子「すてもる」

2018-07-06 07:30:08 | 作品論
 捨てられたモルモットを捕まえた子どもたちの話です。
 この話の山場としては、子どもたちがモルモットを捕まえるところと、動物愛護センターで引き取り手がいない動物は殺処分になることを子どもたちが知るところだと思いますが、どちらもあっさりと解決していて盛り上がりませんでした。
 前者に関しては、過去の有名な作品と比較するのはフェアではないと思いますが、岡田淳の「学校ウサギをつかまえろ」を読んだときのハラハラドキドキ感が、この作品ではまるでありませんでした。
 それは、モルモットを捕まえるまでのいろいろな障害や、それに対する子どもたちの工夫、そして、関わっている子どもたちそれぞれのドラマが足りないからだと思われます。
 後者に関しては、善意の他者(この作品では主人公の両親)による解決なので、あまりにも予定調和的です。
 演劇用語を使えば、いわゆるデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けで登場する神)による問題解決で、現代の創作でも最もやってはいけない手法です。
 この作品は作者の体験に基づいたものらしいのですが、そのためにフィクション化が弱く、またノンフィクション系の作品が多いシリーズの中の一冊として出版されているため、フィクションなのかノンフィクションなのかが出版する側でも不分明だったのかもしれません。
 また、この作品の評価も、文学としての価値よりも動物愛護的な評価に傾きがちで、ある同人誌での合評でも文芸論的な議論よりも各人の動物愛護体験(特に年とったペットの介護体験)の披瀝により多くの時間が割かれていました。 

すてもる (いのちいきいきシリーズ)
クリエーター情報なし
佼成出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする