現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

松本侑子「巨食症の明けない夜明け」

2019-02-20 08:49:11 | 参考文献
 過食症を取り扱った小説ということで興味を持って読みましたが、実際には主人公である若い女性の、母親との葛藤や恋愛観(失恋など)を中心に描かれていて、過食症に対する実体験的な考察はあまりなくて、やや肩透かしを食った感じです。
 タイトルが「過食症」ではなくて「巨食症」となっているように、全体に言葉に敏感な文学少女っぽいスタイリッシュな作品で、作者がテレビに出演している若い美人だったということもあって、すばる文学賞を受賞時には、けっこう話題になったようです。
 おそらく過食症も彼女の実体験ではないのでしょうが、実際に摂食障害が1970年代の拒食症中心から過食症中心に移っていく1988年に出版されているので、題材としては非常にタイムリーで、その点では時代感覚に優れた人なのでしょう。
 その後、過食症に関する知見はかなり進んでいるので、現時点で読んでみると障害と原因の因果関係があまりに単純化されすぎている感はありますが、こういった同時代性を前面に出した作品(最近では2010年の新就職氷河期を鮮やかに切り取って見せた朝井リョウの「何者」など、その記事を参照してください)も必要だと思っています。
 児童文学の世界では、同時代の風俗を描くのはすぐ古くなるからと敬遠されがちなのですが、それを過度に恐れていては、同時代を生きる子どもたちと共有できるような世界は描けないと思います。

巨食症の明けない夜明け (集英社文庫)
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集英社
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恒川光太郎「金色機械」

2019-02-19 09:19:43 | 参考文献
 人の胸に触れただけで命を奪う力を持つ少女と、殺し屋になるように育てられた少年を中心にした、時代劇とSFを混ぜ合わせたような娯楽作です。
 時代考証や人物造形などはかなりいい加減なのですが、それはどうでもいいのです。
 荒唐無稽な設定、偶然の多用、ご都合主義のストーリー展開、パターン化した登場人物、そうこれは徹底的にエンターテインメントの手法で書かれた作品なのです。
 中間小説誌に連載され、450ページで1600円のこの本は、高齢者向けの安価な暇つぶしなのでしょう。
 そういった意味では、章ごとに時間や語り手の視点を変えた構成はややこりすぎで、記憶力の衰えている高齢の読者には、登場人物やストーリーを組み立てるのがややつらいかもしれません。
 また、「金色様」と呼ばれている宇宙からきたロボットと思われる物があまりに無敵で、アクションシーンにハラハラしないのも欠点でしょう。
 今後、ある程度のSFの知識も持った高齢者が増えていくので、こういった歴史物プラスSFのエンターテインメント作品には一定のマーケットがあると思われます。
 一方で、児童文学の領域では、かつては今西祐行の「肥後の石工」や岩崎京子の「花咲か」のような歴史物の名作もありましたが、現在は読みこなせる読者が限られている(戦国物はゲームの影響で大丈夫です)ので、良質な新しい作品が出てくることはあまり期待できません。

金色機械
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文藝春秋
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宮沢賢治学会イーハトーブセンター「宮沢賢治研究Annual Vol.22 2012」

2019-02-18 08:53:12 | 参考文献
 「宮沢賢治研究Annual Vol.22 2012」に、強いショックを受けました。
 2011年の号も、大半は2010年のビブリオグラフィー(その年に出版された参考文献目録)と以前のビブリオグラフィーの補遺で、論文類は三本しか載っていませんでしたが、2012年は研究ノートが一つと論文は他の雑誌などにすでに発表されたものを再録したのが二本載っているだけでした。
 編集後記によると、投稿された論文は掲載できるレベルになかったとのことです。
 やはり会員の研究自体が低調なようです。
 学会の活動もほとんどが岩手県の花巻で行われていて参加が難しいこともあり、会員を続けることを断念しました。

宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
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朝文社


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後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「ないしょ!」

2019-02-18 08:50:53 | 作品論
 この作品は、普通の物語絵本ではなく、子ども向けの新聞に連載された連作掌編のひとつひとつに絵をつけてまとめたものです。
 後藤は、ヤングアダルトから幼年まで、シリアスなものからエンターテインメントまで、自在に書き分けられた稀有な現代児童文学作家です。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、2010年を「現代児童文学」の終焉とした理由のひとつに、彼の死をあげています。
 この絵本でも、キレのいい掌編をうまくまとめて、全体ではひとつの大きな物語が浮かび上がらせています。
 長谷川の絵も、いつもながら迫力満点で魅力があります。
 この二人のコンビは、「1ねん1くみ」シリーズなどで、読者にはお馴染みなのですが、よほど相性がいいのか、絵本などでも一緒に多くの仕事をしています。

ないしょ!
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新日本出版社
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北村薫「隣の赤」うた合わせ所収

2019-02-18 08:43:09 | 参考文献
 小説新潮に五十回にわたって連載された、作者が選んだ現代短歌の百人一首の第一回です。
 以下の二首が選ばれています。
 「不運つづく隣家がこよい窓あけて眞緋なまなまと耀る雛の段」塚本邦雄
 「隣の柿はよく客食ふと耳にしてぞろぞろと見にゆくなりみんな」石川美南
 時代も作風も違う二首を合わせて、それに関連した随想を、自分自身は短歌を読まない直木賞作家が書いています。
 短歌に限らず本や文学に関するマニアックな情報が盛り込まれていて、本好きにはたまらない随想です。
 随想の中には他の歌も紹介されていて(本全体で550首収録されているそうです)、現代短歌の格好の入門書になっています。

 
うた合わせ 北村薫の百人一首
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新潮社
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少年少女の名作案内 日本の文学 ファンタジー編

2019-02-17 09:38:50 | 参考文献
 2010年に出た日本児童文学のガイドブックのファンタジー編で、50作品が選ばれています。
 同様の本は1979年、1998年にも出ていますが、この本は日本児童文学者協会編という縛りが取れたせいか、選考範囲はかなりバランスのとれたものになっています。
 特長としては、戦前の児童文学作品(小川未明、宮沢賢治、浜田広介、新美南吉など)が復権したこと(従来のガイドブックは、1950年代以降の狭義の「現代児童文学」に偏っていました)、一人一作という総花的な縛りをなくして重要な作家は複数の作品を入れたこと(宮沢賢治(3作)、新美南吉、松谷みよ子)、単独作品だけでなくシリーズ物も取り上げたこと(ズッコケシリーズ、守り人シリーズなど)、2000年前後の新しい作品も取り上げられたこと(上橋菜穂子、伊藤遊など)があげられます。
 巻頭に、編者の一人である佐藤宗子が、「境界の向こうに広がる世界」というタイトルで、明治時代から現代までの日本のファンタジーの歴史について概観しています。
 また、各作品の評者は、編者たち(佐藤宗子、藤田のぼる)が属する日本児童文学者協会評論研究会のメンバー(必ずしも日本児童文学者協会の会員とは限りません)を中心に、日本児童文学学会の会員など、評論、研究分野の人たちがほとんどで、先行研究なども紹介しつつバラつきのないものになっています。
 この本に載っている作品を一通り(シリーズものを全部読むのは難しいですが)読めば、日本のファンタジーの世界を概観できると思われます。

少年少女の名作案内 日本の文学ファンタジー編 (知の系譜 明快案内シリーズ)
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自由国民社
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皿海達哉「ナイフ」なかまはずれ 町はずれ所収

2019-02-17 09:35:39 | 作品論
 この作品も、主人公は普通の小学校六年生の男の子です。
 主人公は、学校対抗の野球の試合のメンバーにも選ばれず、クラスの女の子たちのいざこざ(リーダー格の女の子がなくした指輪を、別の女の子が盗んだのか、拾っただけなのか)にも巻き込まれます。
 男の子の世界でもうまくいかず(これも1976年の出版時期にはすでに変わっていたと思いますが、作者の子ども時代のころの学校対抗の野球の試合の持つ意味は、今では想像できないぐらい大きなものでした。なにしろ、他に盛んなスポーツがないので、男の子のほとんど全員がいっぱしの野球プレーヤーでしたから)、女の子たちにも相手にされない(しかも不運にもいざこざにまで巻き込まれてしまう)男の子の屈折した感情が見事に書かれています。
 20年後の1996年に、それまで野球を全く知らなかったあさのあつこ(本人が語っています)は、超人的少年ピッチャー原田巧を生みだして、「バッテリー」シリーズを1000万部以上売ることに成功しました。
 この間に、確実に児童文学は変貌をとげました。
 自然主義的文学からエンターテインメントへ、普通の男の子が共感できる男の子の主人公から、女性読者(大人も含みます)があこがれるヒーロー的な男の子の主人公へ。
 近代文学をベースにした「現代児童文学」は、こうして終焉しました。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
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偕成社

 
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後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「りんご畑の九月」

2019-02-17 09:33:22 | 作品論
 農家の子どもたちが、りんご泥棒を見張る話です。
 人間を信じることの大切さを伝える後藤の文もいいし、長谷川の絵もいつものように魅力的なのですが、どこかしっくりとしません。
 絵本というよりは、短編小説に大きな絵をたくさんつけたような感じなのです。
 絵本で一番大事な、ページをめくった時にどんな世界(絵)がひろがるかのわくわく感が、決定的に欠けています。
 その原因は、後藤の文にストーリー性が不足していることだと思います。
 そのため、美しいシーン(絵)はたくさんあるのですが、それらが十分に生かされていないように思いました。

りんご畑の九月
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新日本出版社
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石井睦美「すみれちゃん」

2019-02-16 09:11:01 | 作品論
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」という論文(その記事を参照してください)の中で、「声が聞こえてくる」幼年文学のひとつとして、この作品をあげています。
 幼稚園児のすみれちゃんを主人公にした連作短編集で、時間が進行しない「循環型」でなく短編ごとに時間が進んでいく「進行型」です。
 シリーズ作品ですが、その後も主人公は成長していって、読者の成長に合わせてお話が進んでいくようです。
 ストーリーは主人公に妹が生まれることの葛藤を描いた平凡なものですが、ところどころで主人公が歌を歌うミュージカル仕立てのような点が工夫されています。
 主人公の年齢からするとやや文章が難しくかたい感じですが、シリーズが進むにつれてあっていくのでしょう。
 ただ、この本の範囲においては、エピソードがありきたりで、本になっていない素人作品も含めて同様の作品はすでにたくさん書かれているでしょう。

すみれちゃん
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偕成社
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ホビット 思いがけない冒険

2019-02-15 09:29:38 | 映画
 言わずと知れた、トールキンの同名ファンタジーの映画化です。
 先に映画化された「ロード・オブ・ザ・リング」がいい出来だったので、この映画も期待していました。
 「ロード・オブ・ザ・リング」は原作が長いので、映画は三部作でも足りないぐらいでした。
 ところが、「ホビット」は原作がずっと短いのに、やはり三部作になると聞いて、間延びしたものになるのではと心配していました。
 案の定、原作にはない戦闘シーンなどが大幅に追加されていて、この映画は原作とは別物だなと思いました。
 他のシリーズ物(例えばロッキーやダイハードなど)もそうですが、だんだんとストーリーとは関係ない大がかりなアクションシーンが追加されていって、どんどん通俗化してしまうようです。

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ワーナー・ホーム・ビデオ
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立花 隆「全員参加の乱交パーティー社会・ピグチン 加納隆至」サル学の現在所収

2019-02-15 09:28:04 | 参考文献
 人間の三大欲望は、食欲、性欲、睡眠欲だと言われています。
 それらがすべて満たされると、どのような社会になるかをピグチン(ピグミー・チンパンジー。ちなみに普通のチンパンジーは研究者の間ではナミ(並み)チンと呼ばれています)の群れが教えてくれます。
 それは、争い事が一切ない融和的な社会です。
 彼らは、寝るか、食べるか、セックスするかのどれかをして一日を過ごしているのです。
 棲んでいるところは熱帯雨林で食べるものは豊富にありますし、特定のオスがメスを独占しない大人だけでなく子どもも参加するフリーセックスの世界なので、もめごとは起きるはずもないのです。
 かつては人間の社会もピグチンの群れのようだったのですが、人口が増えすぎて今では望むべくもない状態です。

サル学の現在 (上) (文春文庫)
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文藝春秋
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皿海達哉「メジロのとまり木」坂をのぼれば所収

2019-02-15 09:25:49 | 作品論
 小学六年生の稔は、大晦日の日に、正月に使うウラジロを探しに山に行った時に、足に枝をぶらさげたメジロを見かけます。
 トリモチを使った罠から逃れてきたのでしょう。
 しかし、枝を足にぶら下げたままなので、上手に飛ぶことも枝にとまることもできません。
 それでも懸命に飛んでいるメジロを見て、それまで熱中していたメジロ捕りをもうやめようと思います。
 始業式の朝に、前を歩いている中学生たちの会話から、そのメジロがナワシログミの枝にひっかり、さらに空気銃で撃たれて死んだことを知ります。
 稔は、卒業記念の植樹の木を、メジロが大好きな蜜のたくさんある赤い花の椿にしようと思います。
 この作品は、従来の「アクションとダイアローグ」で書かれた現代児童文学ではなく、主人公の心理を中心に徹底して「描写」を用いて書かれた「小説」です。
 この本は1978年に初版が出たのですが、このころから小説化した児童文学が現れ始めて、それらの本では読者の対象年齢も上がって、やがて一般文学への越境が始まります。
  物の哀れ、生き物の死、弱者へのまなざしなど、感受性豊かな少年の気持ちを鮮やかに描き出していますが、今の同年代の読者には高尚過ぎるかもしれません。
 しかし、それ以前に、このような普通の男の子を主人公にした男の子向けの作品(出版当時あるいは作者が子ども時代の地方の男の子の遊びである、メジロ捕りについて克明に描いています)など、L文学(女性の作家が女性の読者のために女性を主人公にした文学)全盛の現在では、出版すらされないでしょう。

坂をのぼれば
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PHP研究所
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マイライフ・アズ・ア・ドッグ

2019-02-15 09:14:54 | 映画
 1985年のスウェーデン映画です。
 物語の舞台は、1958年から1959年にかけてのスウェーデンの田舎です。
 なぜそんなに正確に年代がわかるかというと、ラストでスウェーデンのボクサー、イングマル・ヨハンソン(主人公の少年と名前が一緒です)がフロイド・パターソンをノックアウトして世界チャンピオンになるラジオ放送が流れるのですが、その試合は1959年の6月26日に行われたからです。
 周囲とうまくやっていくことができない少年が、母の病気、家族との別離、愛犬との別れなどを経験しますが、優しいおじさん夫婦に引き取られ、ボクシング好きのボーイッシュな少女や、ガラス工場に勤める魅力的な女性などと出会うことで、次第に人間性を回復していきます。
 映画の中で、主人公の少年は、当時のソ連の宇宙開発で宇宙船の中で見殺しにされたライカ犬と比較すれば自分はまだましだと、繰り返し自分で自分を慰めます。
 これは、自分の悲しみや不幸を相対化することで、かろうじて人間性を維持しようとする行為だと思います。
 明るいラストシーンが、少年の人間性の回復を象徴しています。
 このような「現代児童文学」的成長物語の世界は、日本でも1980年代までは成立していましたが、このブログでも繰り返し述べてきましたが、商業主義が前面に出てエンターテインメント作品優先の現在ではほとんど絶滅しています。

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IVC,Ltd.(VC)(D)
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少年少女の名作案内 日本の文学 リアリズム編

2019-02-14 08:43:04 | 参考文献
 2010年に出た日本児童文学のガイドブックのリアリズム編で、こちらも50作品が選ばれています。
 同様の本は1979年、1998年にも出ていますが、この本は日本児童文学者協会編という縛りが取れたせいか、選考範囲はかなりバランスのとれたものになっています。
 特長としては、戦前および戦争直後の児童文学作品(有島武郎、椋鳩十、竹山道雄、壺井栄など)が復権したこと(従来のガイドブックは、1950年代以降の狭義の「現代児童文学」に偏っていました)、一人一作という総花的な縛りをなくして重要な作家は複数の作品を入れたこと(椋鳩十、今西祐行、山中恒、大石真、古田足日)、単独作品だけでなくシリーズ物も取り上げたこと(新十津川物語シリーズ、バッテリーシリーズなど)、90年代以降の新しい作品も取り上げられたこと(森絵都、梨木香歩など)があげられます。
 巻頭に、編者の一人である佐藤宗子が、「日本の現実を生きる子どもたち」というタイトルで、大正時代から現代までの日本のリアリズムの歴史について概観しています。
 それによると、かつて文芸の1ジャンルであった童話(読者は子どもに限定されていませんでした)が、50年代にスタートした「現代児童文学」により読者を子どもに特化したものになって、それが80年代から一般文学との境界があいまいになっていき、現在ではまた大人も含めた文芸の1ジャンルになったことが良くわかります。
 ただし、佐藤の文章には書かれていませんが、かつての童話が芸術的な文芸であったのに対して、現在の児童文学はエンターテインメントを中心とした文芸(特に女性向きの)である違いはあります。
 各作品の評者は、編者たち(佐藤宗子、藤田のぼる)が属する日本児童文学者協会評論研究会のメンバー(必ずしも日本児童文学者協会の会員とは限りません)を中心に、日本児童文学学会の会員など、評論、研究分野の人たちがほとんどで、先行研究なども紹介しつつバラつきのないものになっています。
 ただし、対象期間が長くなったことと、50作品の限定されたことにより、重要な作品がかなり抜け落ちていますので、先行の同種の本と併用して使う必要があるでしょう。


少年少女の名作案内 日本の文学リアリズム編 (知の系譜―明快案内シリーズ)
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劇団座敷童子「泳ぐ機関車」

2019-02-14 08:34:45 | 演劇
 1950年代の九州の炭鉱を舞台に、山主の息子である8歳の少年の目を通して、炭鉱と山主一家の興亡を描いています。
 そういった点では、児童文学の世界に近い作品だと言えます。
 手作り感満載の舞台美術、出演者と観客とが一体になった小さな閉ざされた演劇空間、大げさなせりふ回し、長い独白など、70年代の小劇場ブームの雰囲気を濃厚に残した作品でした。
 こういった本当に芝居が好きな演者と観客が作り上げる舞台は、商業演劇全盛の現代では貴重な存在でしょう。
 こうした小劇場の舞台が、今の若い世代に受け入れられているとしたら、かつての小劇場ファンとしては非常にうれしいことです。
 商業化されていない小劇場の一番いい点は、一人の美人もイケメンも出演していないことです。
 いわゆるスターシステムの裏返しで、主役も脇役も普通のルックスの役者が演じているので、それだけで一定のリアリティが保障されます。
 あとは、純粋に脚本、演出、舞台美術、演技力だけの勝負になります。

シアターガイド 2016年 04 月号 [雑誌]
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モーニング・デスク
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