現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

河合雅雄「モル氏」少年動物誌所収

2019-02-13 14:44:39 | 作品論
 小学生の男の子が、縁日で買ったモルモットを、弟と一緒に飼う話です。
 戦前の地方で、しかも、主人公はのちにサル学の権威になる学者の子ども時代なので、現代のペットのモルモットを飼うようなチマチマしたお話とは次元が違います。
 目的は、ずばり、つがいで飼って子どもを増やして、金儲けをしようというのです。
 巣箱も餌もすべて手作りで、子どもたちだけで繁殖に取り組みます。
 この種の話は、昔はわりと一般的だったようで、柏原兵三の「兎の結末」(その記事を参照してください)も、兄弟(ただしこちらは中高生)でつがいの兎を飼って増やそうとする話でした。
 柏原の方は、つがいだと思っていた兎が二匹ともオスだったので頓挫しますが、こちらは順調に増えていきます。
 いや増えすぎて70匹以上にもなってしまい、しかもあまり売れず、兄弟は大食らいのモルモットたちの餌の草刈りに追われます。
 そして、とうとうあたりの草を刈りつくしてしまい、よその畑の麦にまで手を出してしまうところで、お話は終わります。
 動物学者の冷静な観察眼は、動物愛護的な児童文学にありがちな甘さに流されずに、モルモットたちの生や死、それに生殖までも包み隠さず克明に描き出しています。
 
少年動物誌 (福音館文庫 ノンフィクション)
クリエーター情報なし
福音館書店

 
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柏原兵三「外套」柏原兵三作品集1所収

2019-02-13 14:34:14 | 参考文献
 作者自身が述べているように、この作品が書かれた1971年でも死語になりかかっていた「外套」は、その後使われた「オーバー」という言葉が死語になったというよりは防寒用の衣類がコートやダウンに取って代わられた現在では、その存在自体が死に絶えているのかもしれません。
 この作品では、戦中及び戦後の物不足の中で、いかに苦労して外套(代用品だったり中古だったりしています)を工面したかの苦労が描かれていますが、現在の読者にはよく理解できないかもしれません。
 しかも、作者は役所まで送り迎えの車があるような高級官僚の息子で、山の手の中流家庭で育っている弱点がこの作品ではもろに出ていて、この程度の苦労話では同世代の人でさえも共感よりは反発を覚えるでしょう。
 こういったエリート臭いエピソードを臆面もなく作品に書くのは、作者の特長のひとつなのですが、限界でもあります。

柏原兵三作品集〈第1巻〉 (1973年)
クリエーター情報なし
潮出版社
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磯田道史「大田垣蓮月」無私の日本人所収

2019-02-13 14:30:29 | 参考文献
 文武百般何をやらせても達人になってしまう、絶世の美女の数奇な一生を描きます。
 彼女のような才色兼備の女性によくあるように、私生活では両親に捨てられ、二人の夫と四人の子どもとは死別するという薄幸な運命に翻弄されます。
 しかし、そういった過程で、「無私無欲」な境地にいたり、陶芸と和歌の世界に生き、恵まれない人々、特に子どもたちに愛情を注いだ生涯をおくります。
 確かにすごいなとは思うのですが、ここまで常人でない能力を持っていると、とてもわれわれ凡人にはまねができないなと思ってしまいます。
 また、蓮月はその世界ではかなり有名人なので、歴史に埋もれた人々に光を当てるといったこの本の趣旨からは少し外れている気がしました。

無私の日本人 (文春文庫)
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文藝春秋
 
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大塚英志「「行きて帰りし物語」に身を委ね「主題」の訪れを待つ」物語の体操所収

2019-02-12 09:02:12 | 参考文献
 ここで筆者は今回の主題から離れて、平野啓一郎の「日蝕」にふれて、彼と大塚の生徒たちの作品の差は、物語の構造にあるのではなく(どちらもサブ・カルチャー的としています)、「学力(東大生の平野と偏差値45以下(大塚の言葉)の専門学校生」の差にあると述べています。
 筆者はよほど学歴にコンプレックスがあるのかもしれませんが、平野と生徒たちの作品の差は「学力」の差に起因するのではなく、「教養」の差に起因するものだと思われます。
 東大生でも「教養」のない学生はたくさんいますし(いやむしろ受験勉強の勝利者である彼らは「教養」に割ける時間は限定されているので、一般の人たちよりも不利かもしれません)、高学歴でなくても「教養」のある人はたくさんいます(おそらく筆者の生徒たちの中にもいたのではないかと思います)。
 確かに、平野の小説には、1970年ごろに終焉したと言われる「教養主義」(詳しくは「教養主義の没落」の記事を参照してください)のしっぽみたいなものが感じられます。
 そして、こういった「教養主義」の匂いは、筆者の生徒たち、いや筆者自身の作品にも感じられないのかもしれません。
 さて、本題に戻って、再び村上龍の「五分後の世界」の「世界観」をもとに生徒が「創作」したプロットには、「行きて帰りし物語」の物語構造があると解説しています。
 ここで、筆者が引用しているように「行きて帰りし物語」とは、トールキンの「ホビッとの冒険」(2012年に「指輪物語」と同じ監督が映画にしましたが、「ロード・オブ・ザ・リング」のようにはヒットしませんでした)の副題であり、その本の訳者である瀬田貞二の「幼き子の文学」の中で、小さい子どもにもわかる原初的な物語構造であるとされています。
 そして、筆者はこの基本的な物語構造に基づいて創作すると、「主題(この場合は成長物語など)」が自然と出てくると述べています。
 おそらく筆者は、「主題」などは初めから考えないでも基本的な「物語構造」をなぞって「創作」すれば、「主題」はおのずから現れると言いたいのでしょう。
 それは確かにそうかもしれませんが、その時の主題は前にも述べたように非常に古くて基本的なものでしかありません。
 もしそれで良しとするならば、「創作」を新しい「主題」のもとに創造するものではなく、お仕着せの「主題」で「創作」するルーチンワークに堕してしまいます。
 「ブルーカラーの物語作者」を養成して金もうけをしようとしている筆者はそれで構わないかもしれませんが、教えられる生徒の立場に立てば暗澹たる思いがします。

物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
クリエーター情報なし
朝日新聞社
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エリック・カール「1,2,3 どうぶつえんへ」

2019-02-12 08:59:13 | 作品論
 「かずのほん」と銘打たれた一種の知育絵本です。
 ただ、そんな堅苦しいことは抜きに、鮮やかな色彩と見事な造形を楽しめます。
 1から10までの数字以外に、いっさい文字はありません。
 子どもたちの大好きな蒸気機関車に引かれた貨車には、ゾウ、カバ、キリン、ライオン、クマ、ワニ、アザラシ、サル、ヘビ、トリが、それぞれの数字の数だけ描かれています。
 そして、すべてが揃うとできあがるのは?(それは読んでのお楽しみ)
 動物好きの子どもならば、繰り返し何度でも楽しめます。

1,2,3どうぶつえんへ (文字と数のほん)
クリエーター情報なし
偕成社
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古田足日、鳥越信、神戸光男「日本児童文学を斬る」

2019-02-12 08:56:31 | 参考文献
 2003年に行われた同名の公開鼎談を、翌年に出版したものです。
 非常に刺激的なタイトルですが、率直に言えば、「羊頭を掲げて狗肉を売る」といった印象を受けました。
 古田先生と鳥越先生は早大童話会の出身で、私の大先輩にあたる方々です。
 お二人は、いわゆる「少年文学宣言」とその後の議論で現代児童文学のスタートに大きく貢献し、古田先生は主に創作と評論で、鳥越先生は研究と評論を中心に、五十年以上にわたって日本児童文学を牽引されてこられました。
 個人的にも、鳥越先生には、大学時代にサークルの例会に先生の研究室を使わせていただくなど、大変お世話になりました。
 また、古田先生には、1984年に私が児童文学活動を再開するために参加した日本児童文学者協会の合宿研究会で、全体の討論をまとめる時の先生のお話の明晰さに敬服しましたし、その後創作活動するための同人誌も紹介していただきました。
 しかし、両先生ともに1920年代のお生まれで、この鼎談の時には七十代の半ばになっていらしたと思います。
 さすがに、最新の日本児童文学の状況を語るのには、お年を召されていたのではないかと思われます。
 両先生にまだ語っていただけばならないほど、現在の日本児童文学界は人材が払底しているのでしょうか。
 また、司会役の神戸氏は、長年、児童文学の出版や読書運動に携わってこられた方ですが、両先生とほぼ同年齢で鳥越先生とは早稲田で同級生ということもあり、さながら同窓会の雰囲気になってしまっています。
 もっと若くて現在の児童文学に精通した人(例えば、佐藤宗子、宮川健郎、石井直人など)を司会役にすれば、両先生からもっと有益なお話が聴けたと思います。
 案の定、前半は、「少年文学宣言」のころの昔話に終始してしまい、その後も、課題図書、読書運動、戦争児童文学、海外の作品など、あちこちに話が飛び、けっきょく時間切れで尻切れトンボに終わってしまいました。
 本が売れる売れないとか、子どもが本を読む読まないといった話でなく、なぜ現在の日本児童文学にいい作品が生まれないのかについて、もっと両先生の議論を深めていただきたかったと思ったのは、私だけではないはずです。
 2013年になってから、日本児童文学学会を通じて、鳥越先生の訃報に接しました。
 また、古田先生も2014年にお亡くなりになりました。
 心より両先生のご冥福をお祈りいたします。

日本児童文学を斬る―鼎談/古田足日・鳥越信・神戸光男
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せせらぎ出版
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柏原兵三「毛布譚」柏原兵三作品集1所収

2019-02-11 17:06:57 | 参考文献
 戦時中の物不足の時に、主人公の主婦(作者の母がモデルだと思われます)が、実家の父から貰った、舶来(懐かしい言葉ですね)の上等な毛布の数奇な流転の話です。
 客用の毛布に、夫から北陸の義母へ、義母から満州にいた義弟へ、義弟戦死後はその若い未亡人へ、そして、再び戻ってきてからは客用の毛布に、戦後の混乱期に仕立て直して息子(作者自身と思われます)の外套に、最後は屑屋行きと、一度も貰ってきた当人は使うことなく終わり、いかにも当時の主婦らしい姿が描かれています。
 作者の他の作品同様、驚異的な記憶力(本人および母親のものでしょう)により、戦時中の山の手の中流家庭の様子がくっきりと浮かび上がっています。
 戦争、学歴、出世、コネなどに対して無批判な点や、ジェンダー観や結婚観に対する保守性は、発表当時から批判されていましたが、それから、五十年近くがたった今では、それらの古さが一層強くなっていることは否めません。
 しかし、こういった生活や家庭を平易な文章で克明に描く作者ならではの筆力は、今の作家にはないこともまたますます鮮明になっています。

柏原兵三作品集〈第1巻〉 (1973年)
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潮出版社




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サキ「二十日鼠」サキ短編集所収

2019-02-11 17:05:17 | 参考文献
 今ではほとんど忘れ去られた存在ですが、五十年ぐらい前までは、切れ味鋭い短編の名手と言えば、「最後の一葉」などで有名なO・ヘンリーと並んで、双璧の存在でした。
 この短編でも、密室で見知らぬ若い女性の目の前で服を脱がなければならない状況に陥った若い男のこっけいな行動に、実は女性が目が不自由でもともと彼のことを全然見えていなかったという鮮やかなオチをつけています。
 しかし、この作品が書かれてからすでに百年以上がたち、この作品を楽しむためにはかなりの予備知識(昔の列車では知らない同士が一緒に座るコンパ―トメントという個室で区切られていたこと(クリスティの「オリエント急行殺人事件」の映画を見たことがある人ならわかるでしょう)、昔の館には二十日鼠も潜む厩があったこと、昔の男性の衣服には中に二十日鼠が忍び込むほどの隙間があったこと、昔の鉄道の駅には「赤帽」と呼ばれた荷物運びの男たちがいたことなど)が必要でしょう。
 しかし、ここで示された短編のオチ(窮地に陥ったと思っておこした懸命な(はたから見ると非常に滑稽な)行動が、最後に全く不必要だったことが判明する)は、膨大な追随者や模倣者を生み、今でもテレビでお笑い芸人のコントなどでよく見かけます(もちろん、演じている当人たちは、この短編のことなど知らない、サキから見れば玄孫の玄孫(雲孫というそうです)ぐらいの遠い関係ですが)。
 私自身は高校二年の時に初めてサキの短編集を読んだのですが、O・ヘンリーに比べてはるかにシニカルなタッチに強く惹かれ、生まれて初めての評論もどきを書いて現国の教師に提出したことを今でも覚えています。

サキ短編集 (新潮文庫)
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新潮社
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尾崎 翠「歩行」第七官界彷徨・瑠璃玉の指輪他四篇所収

2019-02-10 15:23:08 | 参考文献
 この短編もまた、若い女性の瑞々しい感性に溢れています。
 主人公は、現代では考えられないような淡い異性との交流で恋に落ちます。
 それゆえ、より純粋に恋する女性(男性に恋するというよりは、恋に恋すると言った方がいいでしょう)の気持ちがストレートに伝わってきます。
 このような心理は、児童文学(特にヤングアダルト物)を描くときに参考になるかもしれません。

第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇 (岩波文庫)
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岩波書店
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小池昌代 編著「通勤電車でよむ詩集」

2019-02-07 09:18:51 | 参考文献
 電車の中でも気軽に読めるような体裁の、詩のアンソロジーです。
 国内外の詩人(主に現代)の短めの作品が選ばれていて、各編の後にその詩を紹介する小池の短文がついているので、通勤時間の細切れな時間に読むのに適しています。
 巻末には、各詩人について主な作品などの紹介もついています。
 この本の中で好きな詩を見つけて、その詩人の詩集を読む手引きとして絶好です。
 知っている詩人も知らない詩人も含まれていましたが、私の好きな石垣りん、まど・みちお、宮澤賢治、中原中也、白石かずこなどが入っていたのがとても嬉しかったです。
 児童文学でも、子どもだけでなく大人も楽しめるこんなアンソロジーを作ったらいいのになと思いました。

通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)
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日本放送出版協会
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尾崎 翠「地下室アントンの一夜」第七官界彷徨・瑠璃玉の指輪他四篇所収

2019-02-07 09:11:00 | 参考文献
 一人の女の子(作者の分身?)をめぐる、三人の男の恋や失恋をめぐる会話で構成されています。
 といっても、現代のような即物的な内容ではなく、かなり抽象的な議論が展開されます。
 三人は、心理学者、動物学者、詩人なので、それぞれに関連した話題が出てきます。
 女の子との恋愛そのものより、会話自体を楽しんでいるといった趣があります。
 彼らの会話を読んでいると、「高等遊民」という古い言葉が浮かんできます。
 この言葉は、中学生の時に夏目漱石の「こころ」を読んで「先生」のような存在だということを知ってから、あこがれのようなものを感じているので、三人にもどこか親しみを覚えています。
 現代で「高等遊民」というと、なぜか「赤頭巾ちゃん気をつけて」の庄司薫を思い浮かべてしまいますが、彼の場合は妻があの中村紘子さんだったのであてはまらないかもしれません。

第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇 (岩波文庫)
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岩波書店
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尾崎 翠「アップルパイの午後」第七官界彷徨・瑠璃玉の指輪他四篇所収

2019-02-02 10:26:42 | 参考文献
 主人公の兄妹の関係や、彼らの恋愛事情を、一幕物の劇のようにして描いています。
 現代とは兄弟関係も違いますし、ジェンダー観も違うのですが、兄妹と彼らと恋愛関係にある(?)別の兄妹との関係が、みょうに生々しく感じられました。
 それにしても、当時の日本人の早熟さや結婚年齢の若さ(特に女性)には驚かされます。
 現代の日本人の晩婚化、非婚化は、いろいろな理由はあるにしろ、日本人の未成熟化(特に精神的な)が一番の原因なのでしょう。

第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇 (岩波文庫)
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岩波書店
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ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領

2019-02-01 08:58:19 | 参考文献
 リオデジャネイロ会議でのスピーチ(『私たちは発展するべく生まれてきたわけではありません。幸せになるため、この地球にやってきたのです。人生は短く、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。』『貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ』『発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。』など)と、「世界でいちばん貧しい大統領」という卓抜なキャッチフレーズと、好々爺然とした風貌で、一躍世界的に有名になったウルグアイの元大統領の、現地のメディアによるルポルタージュです。
 翻訳がまずいのと、もともとウルグアイに対する知識なしだとわかりにくい本なので、読むのに苦労しましたが、何とか読み終わると、ムヒカが世間一般に持たれている無私無欲で清貧な人というイメージとはかけ離れた人物だということがよくわかりました。
 ムヒカを一言でいうと、「冷徹なリアリスト」です。
 左派ゲリラ出身にも限らず、右も左も自分を支持してくれる人たちと妥協を繰り返し、「清濁併せのむ」(現にマフィアや不正まみれのスポーツビジネス界(ウルグアイでは大産業)とも付き合いがありますし、大麻も売春も合法化し、アルコール産業の国有化もしています)いい意味でも悪い意味でも大人物です。
 身なりや住む所へこだわらなかったり、収入を寄付したりするのも、それが自分自身の主義であることもありますが、自分の支持者たちに対するアピールになることも冷静に計算しているようです。
 そうでなければ、多民族や移民のるつぼで、ブラジルとアルゼンチンという大国に挟まれたウルグアイという人口三百万人の小国の大統領はやっていけないでしょう。
 ムヒカは、こうした一連の活動で、一躍自分だけでなくウルグアイを有名な国に仕立て上げました。

ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領 (角川文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA/角川書店
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