数日更新&メール返信ができずに申し訳ありませんでした。
実は、夫婦で沖縄旅行に行ってきたのです。
実は、沖縄旅行は近所のドラッグストアさんの懸賞で格安で行けるツアーに当たったので、これを逃したら、いつ行けるかわからないので、行ってきました。
沖縄は梅雨に入っており、青い海を堪能することはあまりできませんででしたが、暖かい気候を味わえて楽しかったです。
初めて、「美ら海水族館」というところででジンベイザメを見て、感動し、30分ほどじっと見ていたほどです。また、多くの亀も飼われていたので、亀好きの私にはたまりませんでした♪
また首里城は、門や石垣が残ってましたし、当時の王宮が再現されていて、歴史好きには堪らなかったです♪
やはり、中国の影響があるつくりなので、日本とは違った玉座&王国って感じで!
ツアー客の中で他の場所では、早いうちにバスに帰っていたうちらでしたが、首里城だけは集合時間ぎりぎりになって焦りました。他のツアー客の方は早々とお土産売り場に行っていたようでしたが、私たちは資料館の文字を全部読んでいたので・・・。もっと堪能したかったなぁ。(まあ、ツアーだからお互い様です。DFS(免税店)では、時間が足りないよ~とおっしゃられたお客様もいらっしゃったんで・・。)
また、南部の激戦地の方も行きました。アメリカ軍の沖縄上陸後に追いつめられた住民の方々などが身投げをしたと言われている崖や、ひめゆりの塔などに行きました。
そこでは、現実の戦争の悲惨さを痛切に伝えるものがあり、「絶対に戦争をおこしていけない!」と再度思いました。
当時は「お国のために」「降伏は国民の恥」と教育されていた時代です。
本土上陸になって沖縄が苦しんでいても、「降伏」を許されませんでした。そして沖縄の人々も、少しでも日本本土上陸を少しでも遅らせるために本気で必死に戦った(防衛・持久作戦とった)のです。
現代から考えれば「降伏しても米軍は日本の思っていたようなことをほとんどしなかったし、結局そのあと日本は降伏するんだから、沖縄に上陸された時点で降伏していれば、その後、沖縄も他の日本本土でもこんなに犠牲者を出さなかったのでは・・。」と思いますが、当時は、そんな風になるとはだれもわからなかったんですよね。
それに、窮地にたたされたときに、ひめゆり部隊などの学生による学徒隊は突然「解散命令」を出されます。「あとは各自の考えにしたがって・・」ということです。
「解散命令」に絶望した学徒たちは絶望をし、戦場を逃げまどい、犠牲者が多くでてしまったのです。
ちりじりになった一般住民(学生)の多くが、「自分だけ助かろう」とは当時思いもよらなかったでしょうし、司令官のいない一般人がアメリカ軍の攻撃から簡単に逃げおおせるとも思えません。また、当時の価値観に従い、自らの手で命を失う方もいました。
ここからも、教育の恐ろしさとリーダーシップの大切さ、元来からの価値観から抜け出す難しさ、を感じざる負えません。
このことを心に留めておいて、「自由」「平等」「平和」に向けた教育を私はしていきたいです。
沖縄は、青く美しいリゾートという明るい面と、唯一上陸をされたところで、そして多くの被害を受けた戦争の厳しく悲しい面を持ち合わせた県です。
また、琉球王国という1つの国が日本に併合された歴史も持ちあわせ、日本の汚い部分も垣間見ることがありました。沖縄の伝統文化を日本政府はことごとくつぶしていったのですから・・。
沖縄はいろいろなことを学べた旅でした。
もし、行く機会があれば、沖縄はおすすめです。