2前回の記事の続きです。
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「私はなぜ精神的にまいってしまったのか?」第二回
2回の流産後から自分に自信がなくなった私。
でも、それは「体」に関する自信、のことだけでした。
しかし、今度は、自分の「心」に関する自信、がなくなる出来事が起きたのです。
それにより、私の潔癖症・神経質は加速し、被害妄想が強くなり、
強迫性障害(強迫神経症)のような状態に発展していくのです。
その出来事とは何か?というと、
小中学生のときに、「友人だった人」とその関係者、と会わなきゃいけないことになったときに、
「あの子は××だったよね・・・。」とある人(Aさん)に愚痴ったら、
「さっきからグチグチうるさい!会いたくないなら、そう言え!」と怒られました。
「会いたいか」「会いたくないか」と言われれば、そりゃ会いたくない。
その子にひどい裏切りを受けたのだから、私。
でも、いろんな人間関係とある大切な人(Aさん)との付き合い、を考えると、
「会う」行為されするば、それですべて丸く収まる、のがわかっていました。
だから、「会う」ことは良いんです。
でも、Aさんに一喝されたとき、「その子のことを悪くも言ってはならないんだ。」とそのとき感じてしまったのです。
としては、そういう意味でなく、
「どうせ嫌でも、会うんだったら、もう覚悟を決めろよ!」という意味だったのでしょうが、
そのときの私としては、
「いくら、自分にひどいことをした相手でも、その子の性格や生き方を悪く言うなんて、
私はなんて心が醜い人間なんだろう!最低な人間だ!」と思ってしまったのです。
しかも、その子は、簡単に妊娠し、何人も出産できてる。
私は?私は2回流産しているよ、お腹の中で宿った生命を殺したんだよ、私。
2回の流産も、原因は染色体異常で、私が何かしたことで流産したわけではないです。
ただ、現在、なぜ、その染色体異常が起こるのかは不明だそうです。
そのため、
「現在解明されていないだけで、もしかしたら、染色体異常になったのは、
私が何かをしたからでは?」
と思ってしまったのです。
1回目の流産のときは、カビ取り洗剤を使って掃除したから?飛行機に乗ったから?部屋が汚かったから?
2回目の流産のときは、寒いときに腹巻をしなかったから?
とか・・。
「たぶん、ほかの子は、すっごくキレイな部屋に住み、薬品にも手は出さず、キレイな生活をしているんだ。
妊娠中に危ない、と言われるものは彼女たちはすべて知っているんだ。
でも、私はそうじゃなかったから・・。」という考えが出てきてしまったのです。
ただ、半年前までは、そういう考えが頭によぎっても、
「じゃあ、戦時中とか高度経済成長の大気汚染がひどいときとかでも、みんなふつうに産んでたじゃん。」と思えるんですが、
あの一喝された出来事以来、
自分の考え方がすべて間違っている気がし、
自分の心や体がすべて汚れているような気がしてしょうがなかったのです。
さらに、娘も、私に懐いているのですが、
なぜか、当時、外にいるときは、旦那か私の実母以外に抱かれず、私が抱くと、怒り出すことがありました。
ご飯も、旦那や私の実母が作っていると、泣き出して、抱っこしてもらおうとして、
私がいくらあやそうとしても、旦那や実母のところに行こうとします。
しかし、私がご飯を作っていると、旦那や実母とおとなしく遊んでいるのです。
自分の家にいると旦那に、実家にいると実母に、娘が取られているような気がしました。
私と1人きりでいるときは、私にくっつきまくるし、よく笑うし、
寝るときは、私にくっついて寝ます。だから、娘は私を嫌っているわけではないのはわかるんです。
また、旦那や実母も、
「お母さん(私のこと)は、いつでもいてくれるから、仕事で長いこといない旦那、実家に帰らないと会えない実母、が
いるときは、そちらとめいいっぱい遊びたいんだろうね。」と言ってくれます。
確かにその通りなんでしょうが、どうも感情が許さない。完全に自分で納得できていない。
娘は母乳が嫌いで、私は完全母乳で育てた母親のように、
娘と私だけの絆、というのを赤ちゃん時代に感じ取る経験を出来ませんでした。
(娘が母乳が嫌いなのでなく、食べる行為自体が嫌いなだけなのですが・・)
授乳期は
「この子は、母乳しか飲まないから、私はどこにも出かけれらなくて。」と言う母親がうらやましくてしょうがなかったです。
「ミルクを飲ますだけなら、自分でなくてもいいじゃん、私って娘にとって何?」とひがんでしまう。
また、1歳前後で1人歩きをするのが平均的なんですが、
娘は1歳8か月まで歩きませんでした。
育児書には、1歳6か月を過ぎても歩かないなら、脳神経外科に、と
書いてあったので、1歳~1歳8か月までは、「もしかして、この子は一生歩けないかもしれない。」と悩みました。
「2回も流産した私が産んだ子だから、もしかして・・。」という考えがよぎって。
どこにもそんな根拠はないのに。何度も流産する人は多くいるのに・・。
または、「私の育て方が悪いから、娘は歩かない?」という考えも。
時々、「すぐ抱くからだわ。」と、私が実際に娘を抱きすぎている行為を見たわけでもないのに、
私を責めるような言い方をする人もいました。
そのため、だんだんと自分の子育てにも自信がなくなりました。
実際には、娘は極度の怖がり&めんどくさがり、なだけだったようで、歩くのに時間がかかっただけでしたが・・・。
このように
「他人を悪く思う心」のある自分がとても汚らしく、最悪な人間だ、と感じ、
さらに、娘にも好かれていないと感じ、
自分の育児にも自信をなくし・・・、
それで自分が正しいと思っていたものがすべて間違っている、
いう気持ちが出てきて
自分の存在そのものに完全に自信をなくしたのでした。
そのころに、そろそろ2人目をつくろう、と(娘を産んだ直後に)考えていた時期に突入しました。
しかし、2回流産していることでの自信のなさ、
さらに、自分の心や考えに完全に自信をなくしていた私は、
「2人目妊娠のために、自分が身も心もキレイにならなきゃ。危ないものは全部捨てなきゃ、なくさなきゃ。」と
いう気持ちが出てきました。
そんな矢先の電池の液漏れ目撃事件でした。
それで、2つがくっついてしまい、
「電池がもしかして、2回の流産の原因だったかも。」と変な考えが出てしまいました。
電池が怖くてしょうがなくなりました。
旦那や実母がどんなに「違う」と言っても、
「もしかしたら・・。」と思ってしまい、考えを譲れない。
白い物体を見ただけで、手を洗い、服を変え・・、心配になりPCで調べ、の繰り返し。
旦那も実母も、そんな私の状態を見て、呆れたり、怒ったり・・・。
私だって、自分がやっていることがおかしいのはわかっているし、自分の行為をやめたいんです。
でも、やめられない。
1回、「もしかして・・。」と思うと、そればかり考えて、止まらない。
そして、寝られない。
そんな状態が1か月続きました。
その間、電池の粉がどこかに入っているのかも?と思うとご飯があまり食べられず、
毎日の洗濯も膨大な量、何度も石鹸で手をあらい手が荒れて痛いけどそれでも洗い続けてしまう、
何度もシャワーをあびてしまう、心配事で頭が離れない、そして寝られない。
この間に、娘に好かれたい一心で、娘をいろんなところに連れていき、体力もかなり消耗。
岐阜でも三重でもあらゆるところに連れていきました。
でも、それでも寝られない。
私の体はだんだんと弱っていきました。
ただ、1つだけ良いことは、
「お母さんだけでいろんなところに行けるじゃん」と思った娘が、
だんだんと外でも私に抱かれるようになったのです。
それは嬉しかった。
そして、年末に名古屋では雪が降るわ、娘は風邪をひくわ、で大忙し。
そして、第1回で話したように、正月に実家で胃炎(?)をおこし倒れたのでした。
次回に続きます。