焙煎は技術ではない。技術と言えるような代物ではない。
私の師匠曰く、 今日のように自家焙煎店の数は多くなかったが、それでも焙煎を技術と言う人はいなかった。人には技術と見えても実際に焙煎してみるとこれは「技術ではない」と誰でも判る。
そう、私の師匠も初めて会った時に開口一番そういわれた。
これは絶対に正しい。
私は教えるのも焙煎機の操作方法と 各々の豆の【完煎】の見方のアドバイスだけである。
だから、焙煎教室の初日の人と、私が煎った豆に味の違いはない。
この道何十年のジジイが職人風吹かしても、幾らコツが有るや経験を積もうが、元が不味い豆は絶対に美味くはならないし、香りがない豆を香り豊かには出来ない。出来るのは中入りではどうしようもない不味い豆を深煎りして「焦げ臭」を珈琲の香りと思われせてるだけだ。
だから田舎へ行くほど、なるほど「深煎り」である。田舎者を騙すにはそれでいい。
「違う」というなら、爺にブラジルを煎って頂き「ブルマン」や「キリマン」に見事変身させてもらえばいいのだ。
そんな錬金術のようなものはない。
昔は焙煎が技術だとは誰一人言わなかったようだ。単なる作業である。今で大手の工場で毎回何百キロを煎るのはただの名もなき作業員である。
最近になって【珈琲焙煎士】なんて自称する輩がやたら出てきた。それが職人ワザなら「タコ焼士」「焼き芋士」「焼き鳥士」「おでん煮士」もいる筈だ。
「コンビニ弁当温め士」とかな。
母親は「おむつ交換士」、高校男子は「手淫士」だ。
「士」が付くものは【士業】といって、高度な国家資格や専門知識を要するもので、「自称」するものではありません。
「こだわり」とか、この道何十年なんて誰でもそうなのだ。
定年する頃は皆サラリーマン暦40年くらいだ。
そういう風に「こだわりや技術」を売りものにするのは、よ~く観察するがいい。弟子を作って自社の生豆を購入させてるのが多い。
そういうグループに入らなければ良い豆が入らないような話(洗脳)しもする。
全部疑った方が良い。
仕入れに10%乗せて、弟子が10人もいると、自分の使う分はタダである。だから親切である。
まあ、世間とはそういうものだが、
ただし、人は本当のこと言われると無茶「怒る」。
兎に角、こんなもので経験とか、勘とかいう人を信用してはいけない。
コツがどうのこう言う人がいたら、どこがコツで、標準とどう乖離して、同じ豆で、同じ煎り時間、で飲み比べさせてくれるはずだ。
キチンとして答えがなく「そこが勘なんだよ、スグに味では表現出来ないんだ、数値化は難しい」とおっしゃれば
それは詐欺師である。
こちらは警視庁御用達の立派な職業である。