スパゲッティーを100℃の沸騰した鍋に入れる。当り前に、お湯の温度が下がる。この温度にあなたは何かの意味を見出せますか?
ここからは、珈琲焙煎の話。コーヒー生豆を焙煎機に入れると、同じように釜内の温度計は下がる。この最も下がった時の温度を私は適当に呼んでいる。世界中でTPと言う。ターニングポイントという。
仮称「ボトム値」でいいだろう。私はこの温度に何の意味も見出せない。ただ、ここから温度上昇が始まる、つまり、ここから焙煎が始まるのだ。
どんな方法で煎ろうが必ず大きく下がるし、豆の量が同じなら意図しなくてもほぼ同じ温度になるのだが(当り前ですね)
つまり、焙煎の温度曲線は「V字」型を示す。
16世紀頃から珈琲を飲んでいる国々比べ、日本の珈琲が本格化したのは1960年からだから、たった50年の歴史である。(それ以前にもコーヒーは有ったが一般大衆化という意味)。世界の先進国でも一番歴史が浅い国です。
このボトムまで下がった温度に意味をつけ、焙煎時は、この温度に揃えなければならないとか、もっとも重視せよ。いう人がいる。
釜の温度が下がるのは豆の現在温度と、その量で変わる。当然過ぎる話だ。
日本の焙煎の世界では下がった温度を「中点」というらしい。
こういうモノに心を奪われると「焙煎」が根本的に判らなくなってしまうのではないか? 世界中で歴史の浅い日本だけが一生懸命、 「中点」や「蒸らし」を行っていて、世界中では誰もしない。そんな理論は通用しない。
そういう操作を教えている方もいるが、私は辞書に残念ながら「中点」も「蒸らし」もない。
「焙煎教室」でも一切言及しない。
海外に無いのに、日本にだけ有るのは不思議だからである。
到底「蒸れる」とは思えない。煙が抜けなくて燻すことが出来た。(笑)
「珈琲焙煎道」や 「珈琲焙煎士」 (或いは珈琲焙煎師)なんてものは自称でも許されないのだ。
お客様に必要なのは、出所のハッキリした豆と「美味しさ」だけである。
これが技術なら「お好み焼き士」も「焼き芋師」も「かき氷士」「鰻焼き士」「ピザ士」でも何でも出来る。
私は「手打ち蕎麦士」でも「ステーキ焼士」でも「サイドカー操縦士」で「スケこま師」(嘘)だ。そして「立ち小便士」でもある。(風向きを瞬時に感じとり、人目に付かぬ場所で速やかに用を足すのは技術か?)
勿論、どれ一つ国家資格でもない。 しかし、珈琲に関しては任意団体が金儲けで色んなコーヒーの資格を作っている。
結構な金額で受講して、受験料まで払って、年会費払って得するのは誰だろう?これは資格発行の商売である。
資格を出す側が都合が良いだけである。(金が儲かる)
これを持っているのは、100%売る側の自己満足である。
お客様は「舌」で満足すれば良いだけだと思う。