明日、9日から成田を発ってイスタンブール経由でアテネに行く。アテネでは途中コリントに寄って、その後深夜にピレウスからブルースターフェリーに乗ってパトモス島をめざす。
アテネにはそこそこいるが、パトモスに行く日本人などまずお目にかかれない。そもそも東洋人がいない。4,5度行って、ようやくお目にかかった人は韓国人の宣教師だった。つまりこの島はEU内のでのバカンスか、あるいは極めて宗教的な意味のある所なのだ。
聖書の最後の書物、それはヨハネの黙示録というが、この書はこれから起こるべき世界の終末の様子を解き明かした書巻である。そのはじめの方に「 私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。(黙1:9)」と書かれており、12使徒のほとんどが殉教し、今や最後の生き残りであったヨハネ・・・イエスがもっとも愛された弟子・・・に神が語られた場所が、このパトモスであることが明らかにされている。(上写真はヨハネの洞窟から風景)
パトモス島はこのヨハネの幽閉されていた洞窟を中心に、世界遺産にもなっている。そこへ行って、何をするのか?実は私たちはまさにその洞窟の横で、日中が40°近くなることもあるが、長い時間、少なくとも半日から一日中祈る。一人一人の人生に神の介在をせつに求め、あるいは個々の教会や群れ全体に示される神のご計画を聞こうとし、聞いたなら吟味し従えるように祈るのである。(中写真は、その祈りの風景)
この島はエーゲ海の端にあって、もう少しでトルコである。つまり目の前がアジアとの境で、ここからヨーロッパがはじまるといってもよい所だ。海は紺碧の深い碧さで、見つめていると吸い寄せられそうな魔力さえ感じる。この時期、サハラからの乾いた熱風が海を渡って吹き寄せ、松林の「水が欲しい」との青息吐息が聞こえてくる。
何時間も祈っていると、ある意味意識がもうろうとする中、とつぜん言葉が意識をえぐって貫く時がある。それは内心の概念とか妄想なのか、あるいは神からの言葉なのか、それで突然目が覚めてしまう。今回私は必ずメモるように示されている。厳密に吟味するため、また神からならば、忘れてしまったり不正確になるような、おろそかにしないためである。この派遣が今後に、重要であるという示唆でもある。このようにたいへんだが、内心楽しみにしている派遣でもある。(最後の写真 リゾート地でもあるので、時にはこうして息抜きも) ケパ