ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ギリシャ人の信仰について祈った

2013年07月19日 | 派遣

Greece_church  今回、ほぼ8日のギリシャへ行きで、ギリシャ人の信仰というものに驚いたことがある。(写真はパトモス島のスカラにあるギリシャ正教会)
 それはガイドさんにギリシャ人の信仰(ほとんどがギリシャ正教の国民)を尋ねた人への答えなのだが、ガイドさん(下写真)はこう言った。

 「わたしたち(ギリシャ人)は、まずマリヤ様にお祈りします。」
 「エーッ」と私たちプロテスタントは思った。それならばカトリックのマリヤ崇拝と同レベルか、それ以上かも知れないと。そして感謝したが一瞬、暗澹たる思いになったのである。なぜならマリヤはキリストの母という、特別神に祝福された人間であっても、所詮人間であって、私たちと同様に罪人なのである。どう
Photoがんばっても神へのとりなしは、罪人であるマリヤにはできない。だから祈ってもむだなのだ。これが分からないとは、実は聖書も、聖書の神も分かっていないということになる。多神教の人々には理解が難しいかもしれないが、唯一の神ではないものを信じて疑わない信仰というもの、それは救いとか、御国へ行くなどの基本中の基本が限りなく疑わしくなるものなのだ。

 二千年前パウロが「マケドニアの叫び」から海を渡り、命がけで福音を宣べ伝え、今日の西欧世界、アフリカから南北アメリカ大陸へと発展し続けたキリスト教発展の橋頭堡となったこの地は、とっくに蝉の抜け殻のように空しくなっている。リバイバル(信仰復興)が本当に必要だと、強く強く祈りに覚えさせられた。

 

コメント
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