わが家の猫、コールはわたしたち人間のことを、実はよーく、よーく観察し、見ている。例えば私たちが旅行カバンを出して詰め込み始める、そしていよいよ出かける服を着始めると、コールはホテルに預けられるのを阻止するため、隠れようとする。また帰って来るタイミングもよくわかっていて、今日は遅くなる日、早く帰ってくる日なども、分かっている風だ。私が忘れ物をして途中家に帰っても、コールは玄関に出迎えに出てくるどころか、寝床からぴくりとも動かない。「どうせすぐ、出るんでしょう」とばかりの完全無視だ。お見通し・・・。
こんなようすだから、猫の視点からとらえた夏目漱石の「我が輩は猫である」が、ヒットしたのだろうと思う。そしてわが家の中心は誰か、よくわかっている。わたしがどんなにコールをかわいがっても、ドルカスにかなわない、ため息をつくばかりだ。それでもカワイので、飽きずにご機嫌をとっている。ああ、しかたがない。ああ。 ケパ