ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

白髪

2015年01月02日 | 生活
 以前から白髪が気になっていた。それでホンの一時だけマニュキュアタイプの白髪染めをしてみたが、見た目を気にしているのが明白であり、年齢を偽る意志もなかったので即、止めた。近くの散髪屋に行って、そんなことを話していると店主の機嫌が少し悪い。そして「髪がある人はまだ良いですよ」と言われてしまった。「ハッ」と気づくとこの店主、散髪屋なのに自分はもう散髪の必要がない状態だった。そんなあれこれあって、白髪は自然の成り行きに任せることにしていた。

最近、これまで実態をかなりカバーしてくれていた頭頂部からの黒っぽい頭髪に、かなり白髪化が進んでいる事実を認めざるをえなくなった。誰が見ても明白な灰色であり、電車で言えばシルバーシートに堂々と座れそうな感じになったのである。とどめは最近乗る機会が少なくなった電車で、若い人から席を「譲られる!」という初体験まで生じた。もちろん感謝して座らせていただいたが、心なしか内心は寂しかった。
 改めて白髪化をチェックしてみると、眉毛以外はヒゲなど全身に進行していた上に、洗髪した後の湯船で、髪の毛が発見しにくいというオマケまで発生していた。これでは後湯の人の為に、一層目を皿のようにして捜索しなけれぼならない。

 しかし、何も毛髪だけに留まらない。立ち居振る舞いにも以前と違って、機敏とはほど遠くなっているし、最近iPhone6プラスにして、大きな画面を随分喜んでいたではないか。昨日も親愛なるA牧師が私よりも1段階分年長でありながら、聞き間違いでなければ自分のことを「18才」ぐらいだと称していた。その上、「老い」は年齢ではなく、心の老いが一番だ、などと強く主張しておられた。その通りだと思う反面、聞けば聞くほど逆に「年齢を意識しておられるのかなあ」とも思う。
私は気持ちだけでなく、テニスの勝負では、息子かまたは息子以下の年齢を相手にし、実際に真剣勝負で勝ったり負けたりしており、未だ張り合っている。が、これもあと何年続けられることだろうかと、実は体の衰えを隠せなくなっている。

 人は確かに老いて行く。しかし肉体の老いにおびえ若さにしがみつく人が多い中、ますます希望と喜びにあふれて来る場合もあることをご存知だろうか。それは神を信じ、天国を信じる者のことで、私はこれを本当に幸せだと思う。なぜなら
「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(2コリント4:16)」
という聖書の言葉の真実を実感するからだ。体の衰えは、逆に天への希望を豊かにさせる。永遠の天で私たちは、神と共に決っして朽ちない御霊の体で賛美と喜びの真の人生を送るのだから。ケパ
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