もう百日も前のことになるが、メタボ対策用に勧められ、3月10日に健康促進教室に行った。そこで腹筋を鍛えるよう、参加者の中ではなぜか執拗に求められ、私も「やらねば!」と実践した結果、数日して体の下腹部、ヘソの下の方に異変を感じることになった。何しろ普通の鍛え方だけでなく、歩きでも着地の瞬間につま先までに蹴り出すという、競歩のようなことを教えられたのである。
腹筋を痛めた結果、日常気がつかない腹筋の働きがわかった。朝一番にベッドから体を起こすのに、実はどれほど腹筋を使っていたのかを身をもって知ることになった。若い時なら考えられない体である。体の筋肉が柔軟性を失っていることを思い知らされると同時に、あの時の指導者はみな若かった、だからこういうことは分からないのだ、と気がついた。
みな自分の体験上の常識で考える。それは揺るぎない確信ともなっているのだろうが、老いる体験はできるはずもない。
似たような話で、生まれつき障害を持つ人の話がある。「目が見えなくて不自由でしょう」と同情されるが、見えたことが無いので、不自由さが分からない。だから同情は見当外れである、ナドナド。
相手の身になって考え、思いやることは生半可ではできない。 ケパ
腹筋を痛めた結果、日常気がつかない腹筋の働きがわかった。朝一番にベッドから体を起こすのに、実はどれほど腹筋を使っていたのかを身をもって知ることになった。若い時なら考えられない体である。体の筋肉が柔軟性を失っていることを思い知らされると同時に、あの時の指導者はみな若かった、だからこういうことは分からないのだ、と気がついた。
みな自分の体験上の常識で考える。それは揺るぎない確信ともなっているのだろうが、老いる体験はできるはずもない。
似たような話で、生まれつき障害を持つ人の話がある。「目が見えなくて不自由でしょう」と同情されるが、見えたことが無いので、不自由さが分からない。だから同情は見当外れである、ナドナド。
相手の身になって考え、思いやることは生半可ではできない。 ケパ