ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

レフト・ビハインド

2015年06月29日 | 映画•映像
先週の金曜日から始まった映画「レフト・ビハインド」を観た。題名からは「残された後の出来事」の意味になるだろうか。

前作のレフト・ビハインドと設定が異なって、今回の一作目は旅客機の機長扮するニコラス・ケージが主演で、その家族関係を中心に描かれている。聖書の「携挙」が中心なのだが、これから始まる患難から守られるためにクリスチャンと(神をまだ信じることができない)幼子たちが、今回は飛行中、昼間に、突然大量に消えていなくなる。するとどうなるか!・・・そのパニックを描いている。

一言で言えばこれは前作よりも、信仰を排したパニック映画になっている。四人家族で残された機長の娘が、これも残された牧師に怒り叫ぶ「(携挙で人を奪うなんて)神がこんなことをするはずがない」が心に残る。確かに、天国に行けずに残された(レフト)人々にとって、携挙は余りにも理不尽である。映画では直後の地上の混乱ばかりが描かれて行くが、実際にはこれから大患難時代が始まり、例えようもない恐るべき7年後のキリストの地上再臨まで続いて行く・・・本作のような患難前携挙説の映画設定ならば。なぜならこれからの地上は、サタンの完全支配となるからである。もしこの映画がシリーズ化されるならば、それが描かれるはずである。

ただ、この映画、日本ではあまり注目されていない。わずかな映画館しか封切られてないし、観客が余りにも少なかった。この調子では、すぐに打ち切りになる感じがする。そもそも日本ではキリスト教の土台がないし、日本の教会が携挙を軽んじて周知していないためである。クリスチャンですらレフト・ビハインドの意味すらわかってない人が多い。終末の時代、これは大きな問題だと思う。 ケパ
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