ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

最近のコール

2011年02月07日 | ネコのコールと‥‥

 我が家の愛すべき「call(コール)」は、今日で生後5ヶ月です。Cat2

 最近のコールは幼子猫から筋肉が付いてきて、しっかりした子猫に変わってきました。体長も長くなり・・・体重は2,5K・・・。そして動きも敏捷で、狭い我が家のどこへでも上がりたがり、入りたがる。 

 ロールカーテンの枠を歩いてエアコンの上に登りたがったり、つい先日にはお風呂場が楽しい場所と覚え、出入りを始めましたが、とうとう深いお湯の中へ飛び込んでしまったのです。相Cat3_2 当焦ったと思いますが自分で這い上がって出てきました。私がちょうど傍にいたので、すぐにタオルで包み込み全身を拭きながら点検をしました。そこで耳にお湯が入って無いことを確認したので、少しほっとしましたが、ナント頭部と背中は殆どぬれていないのです。お風呂にボチャンと落ちたけれど、猫泳ぎ!して這い上がってきたのだと思います。

 その夜はさすがにおとなしく、静かにしていましたが、翌夜にはまた懲りずにお風呂にきて、お風呂の窓枠から見下ろしているのです(写真)。これからますます動きが活発になるはず。

 猫といる生活が長かった私には、結構平気な性格であり遊びですが、猫より犬との密着が深かったケパさんには、その猫の性格と遊びに、毎日発見することが多々ありの様子で、それを横で見る私はそのことも楽しんでいます (ドルカス)

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試練

2011年02月06日 | 感謝

 一昨日長崎から帰ってきたばかりだが、P1010020 熊本で入院中のE兄を見舞ったことが、強く心に残った。E兄は骨髄が冒される難病で、手術としては2回目。今回は体の一部の骨を脊髄に移植する手術を終えて、数日が経ったばかりだった。

 E兄の場合、神様に奉仕しようと早期退職をされ、ご母堂を天へ送り、さあこれから専念できると思われた直後の発症だった。神様に献身すると、イエス様が荒野での断食後、最初にサタンからの試練を受けられたように、どうも試練がやってくるようだ。逆なようだが、その恵みは想像を超えて大きい。献身といっても、万が一キリストにあって自分が死にきれていなければ、またもしどこか砕かれが不足して立てば、

「わたしの兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別厳しいさばきを受けるのです。」(ヤコブ3:1)

と言うことになりかねないからだ。だから試練を受けることは、献身者にとって神の愛と護りであり、御心の器として立てあげていただく恵みの機会である。一見悪いことのように見えても、感謝という信仰の目で見ると、神はすべてを益としてくださり、完全だ。

 E兄はすばらしかった。日々の激しい痛みにも感謝を実践されて、平安を得ておられた。謙虚に自分を省みられ、主の前に悔い改められたきよい心が、謙遜さが眩かった。またひょっとして二度と立てないかも知れない自らの体についても、すべてを主に委ねられた姿勢に、心打たれた。私たちは心から主を崇めた。そして、試練を通して、信仰の高嶺へと引き揚げてくださったことを主に感謝し、E兄の癒しを切に主に求め祈った。

 祈り・・・・主よ、E兄を元の体に完全に癒してください。手術が完全に成功しますように。緑膿菌をE兄の全身から、ただちに消滅させてください。あなたはそれがおできになります。アーメン。 (ケパ)

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聖会終了

2011年02月05日 | 

聖会終了
長崎市平和記念ホールで、3時頃に会は終了しました。賛美とメッセージは熱く私達に語りかけけがあり、会衆賛美はいつでも臨在があり、歌っていると胸が熱くなります。 長崎教会の賛美チームはいつも熱唱の賛美しますが、今回も期待どうりでした。(ドルカス)

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西坂の丘

2011年02月05日 | 

P1010026  昨夜は熊本から長崎までの200㌔上回る帰りの高速道は、夜の運転は腰が引け引き受けられなかった私でした。が、ケパさんはルンルンとノンストップで突っ走り、長崎に昨日のうちに到着しました。


 でも今朝の早朝5時起きはきついかなと思いながら、祈って就寝したのですが・・・・、なんと目覚まし一つ鳴ると同時に起きることができて、早朝の闇の中を私たちは徒歩で西坂へ向かいました。

P1010029

 丘の上ではすでに私たちと同じ目的で祈っている同じ群れの人々がい て、そっと私達もベンチで賛美し祈りました。神様の語りかけが豊かにあって、それを洩らさないよう書きとめました。ふと目を上げると猫達がいます。多分朝の食事を与える人がいるのでしょう。毎年見かける光景です。 この寒い早朝に人間を見つけ近づく猫達に哀れみを思いますが、私達ちも神様の前に少しでも近くにいて、そのあわれみを受けたいと思うのです。昨日今日とモブログです。写真は帰宅後貼りましょう。(ドルカス)

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熊本

2011年02月04日 | 

 P1010020 明日の聖会の前に、ケパさんの旧知のクリスチャン夫妻で、病にある御主人を、見舞いとお祈りに熊本まで行ってきました。 その結果、長崎市内のホテル到着は夜中になってしまいました。でもその病室で信仰の話し、お証し、祈りと、とてもよい時間を過ごせて感謝でした。 確かに突然に御主人を襲った病で、1月と2月の二度のオペで、実際には大変な状態のはずでしたが、とても平安な顔をされているのです。 神様は確実にこのご夫婦に計画をお持ちだと言うことを教えて下さいました。困難、試練は真実なる神様を体験できる、なんて大きな祝福でしょう!

 写真はお見舞いにうかがった熊本中央病院です。(ドルカス)

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長崎行き

2011年02月04日 | 

P1010013 長崎行き
あすは長崎で26聖人殉教記念聖会があります。全国から多くの教会員が集まり、西阪の丘で賛美し祈ります。そして、明日は昼から聖会に出るのです。 私達も出掛けますが、まず最初にコールを預けることから。(ドルカス)

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奇蹟をおこなう人(再びキャサリン・クールマン)

2011年02月03日 | 信仰

Catherin  ここ数日、オアシス新宿で入手したキャサリンEikoh・クールマン の著作「かいま見た栄光」を読んでいる。1ページ読む度に、心地よい衝撃と・・・・・即座に、はじかれたように、跪いての祈りに導かれる。主がこれまでの私の「求めの祈り」に、答えてくださっていると、ページごとに実感させられる。
 彼女はおそらく、私の知る限りだが、使徒時代を除いて、最大のいやしの器だった。彼女のミニストリーを引き継ごうと、あるいは引き継いだと今でも著名な方が立っていらっしゃるが、そうではなく孤高の存在、主の器であったと思う。

 彼女は述べている。「わたしはかつて、ただの一人もいやしたことはありません。わたしはいやす力など、全然持っていません・・・・それは聖霊が働かれたことに過ぎません。」すべての誉れと栄光をクールマン自身は徹底的に拒絶する。すべては神のもので、神の責任に帰することなのだと。

 彼女はペンテコステ(聖霊降臨日/五旬節)が使徒時代から途切れることもなく、今日もなお続いているペンテコステの時代に我々は生きていること・・・・を訴える。証人としての力は聖霊の神から来るのだと。

 「倒れる」ということについて・・・・事実クールマンの集会では多くの人が倒れたのだが、自身はそれがどうして起こるのか不思議がっている。クールマンとしては「御霊の油注ぎのもとにいることは、実に正常な状態で、それ以外のことが異常なのです」という手紙を紹介し、この見方に同意する。これは私にとって、かなりのショックだった。

 祈り・・・・主よ、リバイバルの激しい雨音が、もうすぐそこまで来ています。この国を迂回しないでください。滝のような大水で打ってください。この命を惜しまず、用いてください。 (ケパ)

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占い屋

2011年02月02日 | 信仰

 いつもよく通っている駅デパートの通路の奥まった所に、Uranaiya 占い屋がある。通り道を利用し営業をしているのだが、三つとも満席で大繁盛のようだった。人はどうも自分の未来を知りたいらしい。教会でその話をすると、ある人は大いに関心があると言い、ある人は「怖い。知ってどうなると言うの?」とそれぞれだった。私は後者に近いが、恐れはなかったような気がする。因みに「こっくりさん」とか「星座」「おみくじ」「血液型」などをしなかったし、関心もなかった。ちょっと高ぶっていたと思うが、このようなことを愚かな迷信と見ていたからだ。

 ところで聖書に占いのことでおもしろい記事がある。主から見放されたサウル王が、迫り来るペリシテ人との戦いに「口寄せ」という降霊術師に頼り、死んだ大預言者サムエルを呼び出し、戦いの行く末を知ろうとしたのである。サムエル記上28章の聖書では口寄せに応じサムエルが現れ、王の要望通り正確に翌日の戦いの結果をサウル王に伝える記述がある。それらはすべて翌日の戦いで実現し、結果サウルとその3人の息子すべては死んでしまった。
 確かに未来のこと、明日のことが「不安で知りたい」かも知れないが、知ったところで結果が変わらないのであれば、いったい何の意味があるのだろうと私は思う。サムエルも口寄せで聞かない方が、少なくとも最後の1日はまだマシだったのではないか。

 私たちの神、主イエス・キリストの神は真実な神であり、「預言」という聖霊の賜物を与えてくださっている。また「示し」として神からの召しを果たしていくに必要な知るべきことは、これまで教えてくださっている上、そのすべては成就して来たし、これからもそうである。わたしは自分の人生において、その一つ一つの成就を見ていく平安を与えられている。特に大事なのは、たとえ横道にそれかけても、警告や予知に従い、悔い改め祈れば赦されない罪はなく、最悪の結果が変えられていくという特別な恵みがあることである。駅で見かけた占い屋ではなく、どうか愛とあわれみに満ちた、真の神に導かれてほしいと思う。 (ケパ)

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夜の都庁

2011年02月01日 | 生活

夜の都庁
夕方地下鉄を利用して、新宿の都庁まで出掛けた。ケパさんの更新したパスポートを受け取る為。 しかしいつもびっくりするのはここの地下道。ここは地上よりゆったりと歩ける空間があり、暖かいので今の季節は便利。けっこう気に入っている。毎月東京の聖会会場も近くであり、最近は利用しているのです。

今夜の帰り道は地上にでて、都庁近辺の美しい夜景をみながら帰りました。

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