ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

主日礼拝中

2017年06月11日 | 教会のこと
おはようござます。教会では礼拝が始まっています。

ちょうど聖餐式が始まります。

ご用意してご一緒に

本日のメッセージは、
聖書 マタイの福音書 24:3 から
テーマは「前兆」です。

Ustreamで、また、保存もされますのでぜひお聞きください。


ドルカス


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映画「神の小屋」

2017年06月10日 | 映画•映像

金曜日に表題の試写会に行った。

原作は行く前には下馬評で、三位一体のとらえ方に問題があると聞いていた。映画は同名のウィリアム・ポール・ヤングの原作をもとにして忠実に制作されたという。まだ読み終えてないので、映画だけの話になるが、観ただけでは私は問題ないと受け止めた。キリスト教映画という部類では、ある意味、見分けとかいろいろな意味での話題作に入ると思う。 もちろん私はキリスト教界に、この映画の非常に現代的で人間的な三位一体の神のシーンや語りについて、アレルギー的超拒否症状が発症するということも容易に想像できる(私自身がそのようなクリスチャンでもあったので)。しかし聖霊の(バプテスマ)体験がある方なら、そんな拒否症状や違和感なしに、神の容貌に惑わされず、語っているセリフが自身の神体験から、「確かにそうだろう」と正当かどうかがわかるはずだからだ。(写真は原作者)

映画のイントロだけ少々。「愛する末娘を猟奇的な殺人事件で失う」というクリスチャンホームのショッキングな事件・・・・それは犯人への憎悪と、守り切れなかった家族自身の責めという、とてつもない不幸の連鎖を惹き起こしたのだが、この不幸の底に沈む主人公マックに、あの現場となった小屋への一つの招待状が届くところから、物語は本題へと展開する。マックは意を決して出かけ、週末を三位一体の神と過ごすことになるのだ。

あまりネタバレにならないようしたいが、「不幸」というものがどうして神を信じる者(家族)に許されるのか?ということがテーマである。私もそうだったが、家族に病という不幸が襲って来た時、「祝福を受けるはずの家族に、どうして?」と信仰が試され、病状が進行する都度、いっそう揺さぶられた。「神さま、どうしてですか!居るのなら、何とか言ってください!」と叫び続けるようになった。映画でマックは犯人へのたぎる憎しみが抑えきれなく、悲しみの憎悪に支配されてしまっていた。

 

「赦す」ことに、どれほどの痛みが必要なのだろうか。それは自分も赦されていること、憎い相手すらも神は愛してやまないことを受け入れるしかないのだ。 私はこの映画が、傷を負っていて、その傷の癒し=赦し、赦されることが必要な人には通じても、その必要があまりないクリスチャンには、ただご自分の神イメージが崩され、つらいだけになることを心配する。
この映画は神の愛も一つのテーマである。イスラエルの王「マナセ」の話をP牧師がよくされる。偶像礼拝を盛んにし、イザヤ殺しのマナセ王をも神は愛される方なのだ。この神の愛がわかるなら、あなたはこの映画でこころから感動できるはずだ し、赦すことの恵みを受けるはずだ。ただ一つ残念なのは、「感謝」というより積極的、肯定的な信仰が語られていないことだ。(下写真は聖霊役の石田純一の娘すみれさん--クリスチャンになるよう祈りましょう)

  

 

 

ケパ

 

 

 

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満たされた〜恵み

2017年06月09日 | 感謝
今日は予定がみっちり、お腹もみっちり満たされた1日でした。
午前中ケパさんは、ホームページ更新のため、みっちりとパソコンに取り組み中(証拠写真撮り忘れ〜〜)
午後は姉と待ち合わせて、3人で映画の試写会に行く。

そう、9月上映「アメージングジャーニー」の試写会。

ことば社の磯川氏が上映の経緯を語られ、

試写会が終わる時には、秋には必ず劇場へ行って一度観よう。と思うほど感動した。

そして👇これを持参して姉の家へ向かう

憧れの焼肉をMyガーデンでが叶わないなら、姉の庭で満足しよう。の今夜でした。

お肉選びはケパさんに任せて、既に庭は準備されていて、焼き肉奉行❣️は、ケパさんです。
(肉好きな彼は、選ぶのも焼くのも上手いですから‥‥

もう、みっちりお肉食べた〜食べすぎて、今夜はヘルスメーター乗りたくないね〜
ご馳走さまでした。
今夜はさらにアメージングな事があってね何とこの夏の白馬キャンプに、姉達は夫婦で参加しまーす。素晴らしい〜
義兄は初参加します。

深夜の帰り道。
今夜は1号線を帰り中。この選択は時間掛かるけれどね、

よい事は、夜の景色の美しさを見る幸せですね。
そしてケパさんは
料金かからないんだぜぇ。ただでこの景色見て来れる。最高だね〜〜
とご満悦でした。

今夜は午前0時回っての帰宅です。
ドライバーケパさん。お疲れ様でした(๑˃̵ᴗ˂̵)

ドルカス




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2017年06月08日 | 感謝
ただ今の私は、首から上は‥‥‥‥以下の現状である。
右目は緑内障で日々点眼中。
耳は通気が必要で、少し聞こえにくい?
歯は崩壊寸前で、隔週点検要の様子見中。

しかし特に鼻が症状としては1番ひどく、原因不明のアレルギーである。くしゃみの直後からまるでしまりのない水道の蛇口みたいに、薄い鼻水が止まらない。耳鼻科通いは四十年数限りなくしたが(これをドクターショッピングと言うらしい)、根本的な解決は約四十年たった今でも、ない。最近した39項目のアレルギーテストでも反応はなし。

鼻のことをさらに詳しく言うと、芥川龍之介の代表作に「鼻」というのがある。私も禅智内供(ぜんちないぐ)ほどではないが、高めの鼻で目立つのにひどいアレルギー持ちで水鼻、赤鼻によくなる。礼拝などピアノを弾く時にこれが出ると、悲劇である。
私の姉は高校生のころ、弟と異なって鼻が低く、ずいぶんそのことで気に病んでいた。それを見て私は、優越感に浸っていた。神様はそんな高慢を打ち砕いてくださったのであろうと思う。

してみると今この鼻が、医学的には現状ではなかなか治らないことに、何か神様の意図があり、計画があることがわかる。それで神様にこの鼻のことを私は、心から感謝することにした。今までは「いやされたい」ばかりで、<心から>が不足していたと思う。医学からは即効的にはほぼ見放され、神のいやしに頼るしかないのであるが、まずその前に、徹底的に感謝することを導かれたのである。

鼻のアレルギー、感謝します。本当に何一つ健康に問題がないような、高慢から守られたことを感謝します。ありがとうございます。これには神様、あなたの計画があります。ハレルヤ! 感謝します。


ケパ




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らっきょう漬け

2017年06月07日 | 食べる
昨日のブログでちょっと書きましたが、カレーのお供に最適な(らっきょう漬け)を 作りましたよ。

まずは下準備ね。今年は鹿児島産で作る。

一房づつにバラしてきれいに洗う。薄皮も擦ると簡単に取れる‥‥はずが、野菜室に保存して少し日が経ったせいかなあ。きれいに剥けない。時間が掛かった。

今年は、アウトレットで見つけたこの瓶に漬け込む予定。
次はひげ根と茎を切って、しばらく水切りの為ざるに移して2、3時間干す。

この後に塩漬けなのだけど‥‥
今回もまた、らっきょう酢を使うので直接漬けるよ。

ほら丁度良い量だね。
1ヶ月程したら開けてみて「鷹の爪」を入れる。

ちなみに手前の瓶は昨年作った らっきょ漬けね。もうこれだけしか残ってない。食べ終える前に、今年のらっきょう漬け、食べられるかしらね〜

美味しく仕上がることを祈ってから蓋を閉めよう。

ドルカス





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アウトレットで

2017年06月06日 | PC モノ 便利
我が家の買い物で結構利用する
アウトレットでの捜し物。

これは自分の都合だと思いながら、
今回もね、神様に祈った。
「育児中メダカちゃんの水槽を置く台が今回見つかりますように。まあこれでいいかなではなく、ぴったりの大きさ高さ、色は白の台をどうか与えてください。云々」

祈ってよかった🤞見つかった。
高さ大きさがぴったりで、しっかりとしてる。そして物をしまえる。中古でもかなりのお買い得品。
少し前面に汚れがあったが、ケパさんがきれいにしてくれた。それでも気になる場所には、十字架シールでカバーしたら Good!

聖書は、
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

と、素敵な事を教えてくれます。
祈り求めました。与えられました。神様感謝します。

そして、らっきょう漬けにピッタリかな

と、これも買った。こちらも展示品なので半額以下ね。
今夜はせっせとらっきょ漬けの下準備した。


ドルカス



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すべてが益になる

2017年06月05日 | 示されたこと
私はパソコン関係の相談をよく受ける。主に親族や教会関係からだが、微力でもお役に立てればうれしい。
私はもともとが文科系で本が好き、書くのも大好き人間だから、コンピュータが得意なのは突然変異である。というか、黎明期の三十年以上前からのパソコンを個人で持っていて、ずっと使ってきただけのことなのだ。
当時は今と違ってパソコンは「閉じこもりの根暗」とマイナーに見られ、自分的にも「これが何の役に立つのだろうか?」と疑問に思っていたのだが・・・。また、仕事で文書を作成した時、一太郎というワープロで作り印刷して持って行くと上司から「心が入ってない!」とバッサリ切り捨てられた。今では考えられないことだが、デジタルとかコンピュータとかを毛嫌いする人もいた。今は牧師という仕事に必須であり、また少しばかしの友人たちに役立つことができて、心から感謝している。

また、最大の試練、困難が最大の恵み、益となったこのことを触れずにはいられない。前妻の心の病との長い戦い・・・が、今はどれだけ益になっていることか、神の計り知れない深謀さに脱帽し、心から神に感謝している。
家庭も仕事も、意に反して何もかも壊れかけた時、まず私は、人生で何が一番大切であるかと言うことを知った。それで献身をし牧師に導かれた。それは見える世界ではなく霊的な世界が開かれたことによる。つまり求め続けていた聖霊のバプテスマをついに受けた。そして教会を求めると、神は全く耳にしたことのない「主の十字架クリスチャンセンター」へと、その日のうちに導いた。これらのことは人を通してではなかった。

すべてのことには、神の時がある。それが最善なのだった。神を愛する者には、何一つ無駄になること無く、すべてが益とされている。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)


ケパ





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6月4日主日

2017年06月04日 | 教会のこと
おはようございます
始まります


今日もオンラインで皆様と共に礼拝いたします。

お祈りの時を持ち


後半の牧師賛美は🎵戻り橋 です。
霊歌、預言が導かれます。

メッセージは、
マルコ14:35~36「神に届く祈り」をテーマに、プロジェクターを使ってのメッセージです。


ドルカス





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6月です

2017年06月03日 | 生活
例年より遅いのでしょうか。関東地方に梅雨入りがまだ宣言されてませんが、
そろそろですね〜。
梅雨時に入る前に、半袖など衣類の入れ替えをしましたが、

今日は、以前格安で手に入れておいた
iPhoneカバーを

夏バージョンっぽく、着せ替えました。

何度もガラスフィルムを割るものだから、ブック型ですが、ネットで格安品見つけ、なんと1つ分で2つ買えた。

ついでに、クロスペンダントも、夏バージョンに取り替えました。

夏にはこのクロスにしたい。
以前は、特にイヤリングが大好きで、取っ替え引っ替えしてましたが、

今はこの記念のクロスと取り替えるだけ。

今月はその記念月(๑˃̵ᴗ˂̵) で、もうすぐ。

クロスは、私の証しでもあるので外すことはありません。
主の哀れみで頂けた祝福と思うのです。
だから神様に感謝します。amen‥

ドルカス



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映画「メッセージ」から、超能力を考える

2017年06月02日 | 映画•映像
昨日「メッセージ」という映画を観に行った。
突然世界の十二箇所に、無重力のように浮く巨大な卵形のシェル(外観的には新宿駅前のコクーンタワーみたい)が現れ、ヘクタポッド(五本足の個体?)と名付けられた宇宙人が地球人と接触を求める、というものだ。彼らの意図を知るため、言語学者であるルイーズが選ばれ、何十回も交渉して行く中で、彼らヘクタポッドの言語を身につけていく。
少々ネタバレになるが、結局ルイーズは時制を超えたヘクタポッドの言語の習得を通し、未来を知る能力を身につけ、自分の未来を知り、地球を救い、そして三千年後に来るヘクタポッドたちの危機を助けてほしい、というメッセージを受け取る。
面白いというか、ちょっと難解なのはヘクタポッドの墨絵風の円環の字とか、 ストーリーが1回観ただけでは分からない、時間が映画のように時制があちこちしての内容になっていることだ。どうもポイントは未来を知る超能力にあるようだ。

この超能力という点で、この映画の本編が始まる前のCMに、日本の「ゴレンジャー」をハリウッド版にした「パワーレンジャー」とか「スパイダーマン」「トランスフォーマー」などがあったことだ。どの映画でも共通して、選ばれし者が超能力を付与された結果、正義のために戦い、危機的な地球を守るという、ヒーローになる夢物語だ。

これらの映画を楽しんでおられる方には水を差すようで申し訳ないが、昔の超能力は鉄人28号、鉄腕アトムであり、宇宙から来たスーパーマンであって、人間ではなかった。それが今ではただの人間に過ぎない者が、超能力を与えられて特別な存在になる設定が多い。この普通の人間が特別な力を持つ者になるという発想は、実は聖書から出てきていると私は思う。

聖書では、今で言う超能力と言える人たちのことの物語であふれている。これらの人たちは、新約聖書的に言えば「聖霊の賜物」であり、聖霊を通して働く神の力である。例えば過去、モーセはエジプトで十の災いの奇跡を行い、幾百万の民を連れてエジプトを脱出したものの、追っかけてきたエジプト軍に追い詰められ、最終的には海を分け、乾いた地を歩かせて脱出を成功させた。続けて後を追ったエジプト軍は海の底で戻ってきた水で全滅した。また預言者エリヤは何年もの干ばつを予告し、バアルの預言者たちとの対決では天から火を降らせて勝利した。これらの人物は、ただ神に聞き従っていただけで、そのスタイルは預言者である。
現在でも神から預言の賜物を与えられた預言者は、他の人の心の秘密をあばき、これから起こるべきことなどを警告したり予告をする。これからの終末の時代には、奇蹟の賜物といって、かつてのモーセのように海を分けたり、また死人をよみがえらせたり、山を動かしたりの大奇蹟を行う人も出てくることだろう。(神の働きは私たちの祈りをも通して)

しかし勘違いしてはならない。これらの聖霊の賜物としての力は、祈りを通し、すべて神の意思から来て、教会を通して働くものであって、人は基本的にメッセンジャーボーイ程度に過ぎないものなのだ。すべての栄光を神に帰す、神に選ばれた謙虚な器を通してのものなのだ。だから私から見れば、ハリウッド映画で多い超能力・・・・専用のスーツを着るだけで超能力者になる・・・・は、いかにも正義のために使うよう見せかけようとも、基本的にはサタン的に感じるのだ。

人によっては「なんで娯楽をそんな風に観て、楽しめないの?」と思われるかも知れないが、聖書はこのようなヒーローを待望する民衆が、致命的な外傷にもかかわらず自らの力で生き返るヒーロー、・・・・一種の超能力者である反キリストの世界支配を容認することまで載っている。自己中心に舵を切ったアメリカ。ポピュリストが大きな力を持つようになった今の世界・・・・ちょっと前までは、だれがこうなると想像できただろうか。愛が冷え、戦争があちこちで噂されるようになった今の世界だからこそ、ヒーロー待望論には注意すべきだと私は思う。



ケパ




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