ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

白馬キャンプに行く

2018年07月05日 | 信仰
水曜礼拝で、m姉が証しされました。



「白馬キャンプに行きます。
お休み取れました」
2年ぶりに参加出来ます。ハレルヤ


白馬キャンプが、今月末に迫りました。
白馬キャンプ紹介


動画で紹介しています。ご覧ください〜〜

さらに〜〜嬉しいことに
今回は、信州の、オンライン会員さんも
J.GOSPEL コンテスト'18
行きたいと連絡が取れていますので、久しぶり〜みんなで会えます。

ハレルヤ〜〜



ドルカス







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聖書「新改訳2017」を買う

2018年07月04日 | 聖書
新改訳2017という聖書が昨年末に刊行された。普通なら新改訳聖書第四版となるはずだが、このように聖書名まで変えて登場した。
これには意味があって、初の全面改定(つまり、初版の第一版以来約五十年ぶり)だという。確かに第三版は差別用語などの置き換え中心だったし・・・とは思う。

しかし実際に読んでみて、新改訳は新改訳、全く別な訳文聖書になっているわけではない。ただ、言葉が読んでいて、スーッと自分に入ってくる、非常に伝わる日本語になっていると思う。まだ確認はしていないが、「原文が透けて見える」と宣伝してあった。新改訳らしく原文に忠実さを心がけたのであろう。ただしこれは聖書の原文(原典)は未だ発見されておらず、ほぼそうであろうという写本があるだけなので、誤解を招く表現だ。(左は従来の愛用の聖書。この特大サイズは第二版だけで、これ以降は出ていない。今回の購入はこの更新となる)
(今回更新する過去最大のサイズの第二版の特大聖書と比較。左側の今回のは少し小さくても、二版の特大聖書とは変わらない文字サイズなのがうれしい)

まぁしかしこれは、原文への忠実さ、翻訳の完成度において、現時点ではおそらく最高峰であろうと思う。三版は買わなくても、2017のこれは買い替えておいてもそんでは無いだろう。

私はこの新改訳2017が出た時、革装の大型版が出るまで待つことにし、半年後の先月の末、ようやく発売されたという知らせを受けた。それで昨日帰り道、新宿で買って来たと言うわけだ。経済が苦しい中でも、聖書だけは、とドルカスも賛成してくれた感謝な買い物である。

さて装丁だが、これは紙質や文字、割り付けも、第三版のものとまったく変わっていないように見える。ただ本文が、旧約が1568頁→1635頁へと大幅に、新約は503頁→519頁と、全体でいえば80頁も増えた。それだけに全体がキツキツに無駄なく収まっている感じはある。これだけ頁数が増えたのは、すべてに見直しをし、忠実たろうとすればするほど長くなる翻訳の苦労を感じる。
本文以外では巻末の地図がこれまでと全く別物になっている。これはおそらく紙質を全体と合わせ、耐久性を増すためであっただろうが、地味になってしまい、これが唯一惜しむところである。



ケパ





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歯科医も祈りのうちに

2018年07月03日 | 健康・スポーツ
7月に入って、今日は

月に一回受診予約の歯科医に来てます。

歯科医が言われたのですが、
80歳代になっても自身の歯で食事する。そのために治療したいと話して下さった。
そうよね。大切にしたい。

待合室の様子はもう見慣れたもの。

この歯医者さんとのお付き合いは、既に10年目ね。前年に示しで東京に来たケパさんが、歯科医探しの祈り求め示されて歩いたそこにありました。がその時は確信が取れず(平安がすぐになく)
更に祈り確認を求めたその1つとしてインターネットで検索しての評判など、
慎重に祈り続けた後に、平安が与えられ出会った歯科医でした。
私以上に、ガチャガチャ歯の持ち主のケパさんの祈りは、主に届き聞かれた。

祈りによって導かれたここは、おまけの私も脱帽です。
ギリギリまで私は田舎に私の歯科医へ行くから行かないと、拒み続けていた。
ところがある日、顔が変形する程に何度となく治療に手こずっていた奥歯が相当に腫れて痛ませた時、強引程にケパさんが連れてきたここで受診。
それ以来「信頼する歯科医はここです」と思わされました。
なので船橋に引っ越しても、今も月一回片道一時間以上かけても通うのですね〜。

おまけです。

診察台横にあるうがい用に使う紙コップの絵柄が時々変わる。これが私も楽しみなのだけれど、それは子供たちが少しでも飽きない様にの配慮ですって。

ドルカス




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栄光のイスラエル十二部族

2018年07月02日 | 聖書
栄光のイスラエル十二部族(下図は父ヤコブが遺言した十二人の息子を表すもの。4番目のライオンがユダ)

かと思いきや、まったく逆である。神に選ばれた民、イスラエルの十二部族はおどろおどろしさで満ちている。人間の本質が罪であることをまったく隠していない。私が聖書を本当に神の言葉だと分かるのは、まさにこの点である。(出エジプト後、苦しい四十年を経て、約束の地に入った十二部族)

考えてもみてほしい。個人でもそうだが、特にそれができる権力者は、過去の出来事や歴史を自分の都合の良いように変えようとするのが通例である。ところが聖書は赤裸々である。それだけに真実である。類が無い。

アブラハム、イサク、ヤコブの三代から、神は約束を成就させるための十二部族をお立てになった。3代目ヤコブ(イスラエル)に二人の妻と、その側女の計4人から十二人の息子達が誕生したのである。これが十二部族の長である。

しかし、長男のルベンから三男のレビに至るまでが、さんざんである。長男のルベンは父のそばめビルハと寝る。実母ではないにしても、これは父権への冒涜、重大な罪である。次男と、三男のシメオンとレビは、妹ディナを汚されたことを怒ってシェケムの町の人を、父の意に反しだまして虐殺してしまう。弟ヨセフに対しても、殺すことを主張したであろう。非常に血まみれな二人だ。

こうして四男のユダに神の栄光と祝福が移った。ユダは兄たちの弟ヨセフ殺しに加担しないで、逆に「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。」と言って守った。奴隷からエジプトの宰相となった弟ヨセフが、実弟ベニヤミンをエジプトに連れてくるよう強要した際にも、ユダは自分の命を差し出してベニヤミンを愛している父を守ろうとした。ユダは兄弟の中でも非常に立派で男らしい男であった。(エルサレムの市章)

ユダが三人の兄たちを抜いて、イスラエルの長子的存在となった後に、ダビデも、イエス・キリストも、この全部ユダ族から生まれ、現在のイスラエルも、イスラエル人=ユダヤ人と呼ばれるように、主体はユダの末裔である。

最後にこのユダも、まったく落ち度が無かったわけではないことを付け加えておく。

ユダはなんと、売春婦に変装した長男と次男の嫁であるタマルに気付かず、結果として子をもうけてしまうのである。これは息子をさらに失いたくないための、ユダの義務違反に対する抗議でもあった。その後、タマルが妊娠していることで、その姦淫を裁こうとした衆前で、ユダは売春婦に与えたはずの証拠を突きつけられて、赤っ恥をかく。

聖書は誤魔化しのない記事で、アダムから始まった人間というものの本質、罪人であることを明らかにしているのだ。そしてイエス・キリストの十字架の罪の赦しがセットされているのだ。すべての人は罪人であり、キリストの十字架なしに人は救われない。



ケパ




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聖餐のとき

2018年07月01日 | 教会のこと
いま、聖餐式が行われてます


そして牧師賛美の時


本日のメッセージは、
聖書 コリント人への手紙 15章49節から
『私たちの天のかたち』をテーマに熱く語られました。
ustreamに保存されてます。
あるいは今週中に、


ブログ ーケパのメッセージー
に、UPいたします。



ドルカス


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7月1日主日礼拝

2018年07月01日 | 教会のこと
お早うございます。7月に入りました。
昨夜関東地方梅雨明けを聞きましたが、早い梅雨明けですね。

そして7月は恵みですね。主日が5回の恵みです。
今日もご一緒に、主日礼拝ご参加ください。
オンラインでご覧になれます。
このブログブックマーク
オンライン礼拝からです。
10:00から
また、見落とされた方も、保存版で聞くことができます。


ドルカス



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