先日のアンドレアス・グルスキー展を観て、忘れていたある感情を思い出す。
その感情は心のなかにあるイメージを想起させ、いま撮るべきものがなにかを提示してくる。
優れた芸術作品は観た人の心を揺り動かすだけでなく、その人の行動をも変えるというが、まさにグルスキーはわたしの行動を変えようとしている。
ただしグルスキーが高度なデジタル技術を駆使して制作された写真だからといって、いきおい自分の表現もデジタル方向へ加速するのは早計である。
自分のイメージを完成させるために最新の技術を総動員することが彼のやり方ならば、わたしも自分の持てるものを出しきるというのが正しい方向であろう。
午前中、ジョギングして頭のなかをスッキリさせ、いまから撮るイメージを明確にする。
お昼まえに昼食をとり、準備をして撮影に出る。きょうは淀川の右岸へいく。
河口に近いからか、ゆるやかな波が川辺に打ち寄せてくる。きもちのいい風にのってウインドサーフィンをする人たちがいる。
対岸のビル群を見ながら、ここだけ時間が止まったようなふしぎな感覚におそわれる。
グルスキーのライン川にも負けない写真が撮れたんじゃない?
帰りにプロカラーラボへ現像していたフィルムをとりにいく。
わたしはいつもブローニーフィルムは長巻き(カットしない状態)で返却するように指示しているが、きょうの係員はこういった。
「長巻きを入れる箱がないので、この箱は返却してください」それから「つぎからはタッパウェアなどを持参してください」
受け取った箱を見ると、シートフィルムの空箱を加工してかさ上げした手づくりの箱であった。
モノクロフィルムの現像そのものが減っているうえに、長巻きで返却なんてことをいう人はわたしだけなのだろうか。
箱までつくってもらって、なんだか申しわけない気持ちになった。つぎからはタッパもっていきます。
その感情は心のなかにあるイメージを想起させ、いま撮るべきものがなにかを提示してくる。
優れた芸術作品は観た人の心を揺り動かすだけでなく、その人の行動をも変えるというが、まさにグルスキーはわたしの行動を変えようとしている。
ただしグルスキーが高度なデジタル技術を駆使して制作された写真だからといって、いきおい自分の表現もデジタル方向へ加速するのは早計である。
自分のイメージを完成させるために最新の技術を総動員することが彼のやり方ならば、わたしも自分の持てるものを出しきるというのが正しい方向であろう。
午前中、ジョギングして頭のなかをスッキリさせ、いまから撮るイメージを明確にする。
お昼まえに昼食をとり、準備をして撮影に出る。きょうは淀川の右岸へいく。
河口に近いからか、ゆるやかな波が川辺に打ち寄せてくる。きもちのいい風にのってウインドサーフィンをする人たちがいる。
対岸のビル群を見ながら、ここだけ時間が止まったようなふしぎな感覚におそわれる。
グルスキーのライン川にも負けない写真が撮れたんじゃない?
帰りにプロカラーラボへ現像していたフィルムをとりにいく。
わたしはいつもブローニーフィルムは長巻き(カットしない状態)で返却するように指示しているが、きょうの係員はこういった。
「長巻きを入れる箱がないので、この箱は返却してください」それから「つぎからはタッパウェアなどを持参してください」
受け取った箱を見ると、シートフィルムの空箱を加工してかさ上げした手づくりの箱であった。
モノクロフィルムの現像そのものが減っているうえに、長巻きで返却なんてことをいう人はわたしだけなのだろうか。
箱までつくってもらって、なんだか申しわけない気持ちになった。つぎからはタッパもっていきます。