今週の登山は都合により「休業」、山の薀蓄を書きます。
日本百名山とは・・・
日本は山国である。どこへ行っても山の見えない所はない。
市や町や村を見下ろす形のいい山が立っていて、
そこの学校の校歌に必ず詠みこまれるといった風である。
日本の国民は大てい山を見ながら育った。 (日本百名山:後記より抜粋)
:開聞岳(鹿児島県)
昭和39年「深田久弥著:日本百名山」が刊行された。
本書にあげた百の名山は、私は全部その頂上に立った。
百を選ぶ以上、その数倍の山に登ってみなければならない。
どのくらいの数の山に登ったか数えてみたことはないが、
私の山登りは少年時代に始まって今日に至るまで殆ど絶えたことがないから、
多くの山を知っている点では自信がある。
:雲取山(東京・埼玉・山梨)
日本の名山選定に着眼したのは、私が最初ではない。(中略)
橘 南谿はその著『東遊記』の中に「名山論」という文章の中で九座をあげ、
谷 文晁は『日本名山図絵』三巻があって、全部で九十の山が描かれている。
南谿も文晁も山の好きな旅行家であったが、日本の山奥には立派な山があることを知らなかった。
そこで私は日本中の山を洩れなく探して、百名山を選ぶことにした。
麓から眺めるだけでは十分でない。私は全部登った。
中には何度か退けられて、ついに登った山もある。
ともかく絶頂を踏まねば承知できなかった。
登ってみもしないで選定するのは、・・・・・私の好まないところであった。
:安達太良山(福島県)
選定についてまず私は三つの基準をおいた。
その第一は山の品格である。
誰が見ても立派な山だと感嘆するものでなければならない。
高さでは合格しても、凡常な山は採らない。厳しさか強さや美しさか、何か人を打ってくる
もののない山は採らない。人間にも人品の高下があるように、山にもそれがある。
人格ならぬ山格のある山でなければならない。
:富士山(甲斐駒から)
第二に山の歴史を尊重する。
昔から人間の歴史と深いかかわりを持った山を除外するわけにはいかない。
人々が朝夕仰いで敬い、その頂に祠をまつるような山は、おのずから名山の資格を持っている。
山霊がこもっている。ただ、近年の異常な観光業の発達は、古い謂われある名門の山を通俗化して
もはや山霊も住み所がなくなっている。そういう山を選ぶわけにはいかない。
:鳳凰三山オベリスク(山梨県)
第三は個性のある山である。
個性の顕著なものが注目されるのは芸術作品と同様である。
その形体であれ、現象であれ、乃至は伝統であれ、他に無く、
その山だけが具えている独自のもの、それを私は尊重する。
どこにでもある平凡な山は採らない。
もちろんすべての山は一様でなく、それぞれの特徴は持っているが、
その中で強烈な個性が私を惹くのである。 それを私は尊重する。
:御嶽山(長野県)
付加的条件として、大よそ千五百米以上という線を引いた。
山高きをもって尊しとせずだが、ある程度の高さがなくては、私の指す山のカテゴリーには入らない。
:槍ヶ岳(長野県)
私の選定には異論もあろう。
特に人は自分のよく知っている山を推して名山とするが、私は多くの山を比較検討した上で決めた。
もちろん私の眼は神の如く公平ではない。
:白馬岳からの縦走路
**********
以上のようなプロセスを経て、「日本百名山」は決まった。
この選に洩れた著名な山々は、深田久弥のファン組織「深田クラブ」によって、日本の代表的な200の
山として、深田久弥が選んだ日本百名山に100の山を加えて、
1984年に「日本二百名山」として新たに選定されている。
101番目はどこか?私は、「燕岳」と思っているが、第二の条件に抵触し、
選から洩れたのではないか?と、 個人的には考えている。
ちなみに、「日本百名山」はガイドブックではないことを追記しておく。
**********
深田久弥(1903~1971)石川県生まれ。東京帝大哲学科入学。
在学中に「新思想」同人、改造社の編集部員となり、大学は中退。
1930年「オロッコの娘」で認められ文筆生活に入る。
戦後は、小説から遠ざかり、ヒマラヤ研究や山岳紀行に活躍。
1964年『日本百名山』で読売文学賞受賞、『山の文学全集』(前12巻)がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます