元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「もっと超越した所へ。」

2024-04-05 06:07:55 | 映画の感想(ま行)
 2022年作品。元々は舞台劇とのことで、なるほど演者とステージに間近で接すると面白く感じるのかもしれない。だが、これを映画にしてしまうと愉快ならざる結果になる。しかも、監督がミュージック・ビデオの仕事が主で映画はキャリアが浅い者だったりする。だから、映画的興趣を導き出すところまでは到達せず、原作の戯曲をなぞるに留まっているようだ。これでは評価出来ない。

 デザイナーの岡崎真知子は、ミュージシャン志望の朝井怜人と何となく付き合っている。元子役で今はお手軽なバラエティタレントの櫻井鈴は、ゲイの星川富と同居している。フラッパーな金髪ギャルの安西美和は、やたらノリの良い万城目泰造と恋仲だ。風俗嬢の北川七瀬は、客の一人であった売れない役者の飯島慎太郎と頻繁に会っている。それぞれ不満はあるが、一応は上手くやっているつもりだった。ところが、実はこの8人は数年前には相手を“シャッフル”した形の関係性だったのだ。ついには各カップルが行き詰まったとき、互いに入り乱れての混迷した状態に陥る。



 劇作家の根本宗子の脚本・演出による2015年に上演された同名舞台の映画化だ。とにかく、どのパートも映画の体を成していない。わざとらしく、及び腰で、浮ついたタッチに終始。結局はロクな伏線も無く終盤の一大カオスになるシークエンスに突入するというのだから、観ているこちらは呆れるばかり。

 クライマックスの“仕掛け”はステージの上でやれば盛り上がるのかもしれないが、映画のスクリーンでは映像ギミックのひとつとして看過されてしまう。さらに悪いことに、演者のパフォーマンスが弱体気味である。何とか演技をこなしているのは鈴に扮する趣里と富役の千葉雄大ぐらいだ。菊池風磨にオカモトレイジ、黒川芽以、三浦貴大は精彩を欠く。

 また前田敦子と伊藤万理華に至っては話にならない。どうして彼女たちみたいな実力の無いアイドル上がりに、映画の仕事が次々と舞い込んでくるのだろうか。まあ、裏には“業界の事情”ってものがあるのだろうが、こんなことが罷り通っているから日本映画は軽く見られているのだと思う。山岸聖太の演出は平板。ナカムラユーキによる撮影も特筆できるものは無い。王舟の音楽とaikoの主題歌も印象に残らず。製作意図さえ疑ってしまうような内容だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マダム・ウェブ」

2024-03-22 06:38:51 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MADAME WEB)興行的には本国で大コケで、評判も芳しくないので覚悟してスクリーンに向き合ったのだが、それほどイヤな気分にはならず最後まで退屈せずに楽しく付き合えた。製作現場ではいろいろと不手際があったようにも聞くが、出来上がった作品がこのレベルを維持しているのならば文句を言う気にはならない。少なくとも、同じマーベル関係のシャシンの中では「マーベルズ」(2023年)よりはずっとマシ。

 2003年のニューヨーク。救急救命士として働くキャシー・ウェブは業務遂行時に大事故に遭い、生死の境をさまよう。何とか回復した彼女には、いつの間にか未来予知能力が身に付いていた。ある時、地下鉄内で3人の少女が黒装束の謎の男に殺される未来を“見た”キャシーは、その男から少女たちを守ることになる。実はその男は、科学者で南米ペルーにて消息を絶った今は亡き彼女の母親と関わりがあり、予知能力も備えていた。将来自分がその3人に始末されてしまうことを予見していた彼は、先手を打って彼女たちを抹殺しようとしていたのだ。神秘系の超能力を持つマーベルのキャラクター、カサンドラ・ウェブの誕生物語だ。

 配給会社では“これまでのマーベル関係映画と一線を画す、本格ミステリー・サスペンス”という宣伝文句を打ち出しているが、ミステリー要素は実に薄く、その点は拍子抜け。だが、S・J・クラークソンの演出は小気味よく、テンションが落ちることなくストーリーを進めていく。アクションシーンの段取りは悪くない。幾分CGが雑なところもあるが、勢いで乗り切っている。

 有能だがマジメ過ぎる傾向のあるキャシーと、イマドキの女の子たちとの掛け合いは面白く、悪役のイヤらしさもよく表現できている。そして何より、本作は「スパイダーマン」の前日譚であることが興味深い。ピーター・パーカーは映画の終盤まではまだ産まれてもおらず、ベンおじさんも若い。

 主演のダコタ・ジョンソンは熱演だが、本作の製作過程と興行成績に失望して今後のマーベル作品への出演を辞退しているのは残念だ。シドニー・スウィーニーにセレステ・オコナー、イザベラ・メルセードの女子3人組は好調だし、タハール・ラヒムにエマ・ロバーツ、アダム・スコットといった脇のキャストも悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ミアの事件簿:疑惑のアーティスト」

2024-03-16 06:08:16 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MEA CULPA )2024年2月よりNetflixから配信されたサスペンス編。弁護士を主人公にした犯罪ドラマにしては、随分と雑な作りだ。もうちょっと脚本を練り上げられなかったのだろうか。とにかく御都合主義的なモチーフの連続で、途中から面倒臭くなってくる。とはいえ映像はスタイリッシュな面があり、何より主演女優のプロモーションとしての価値は十分見出せる。その意味では存在意義はあるかもしれない。

 シカゴに住む弁護士ミア・ハーパーは、恋人を殺害した容疑で起訴された芸術家ザイエア・マロイから弁護を依頼される。彼が犯人だという状況証拠は存在し、物的証拠のようなものも見つかっている。すでに世間の風潮では有罪が確定していて、マスコミは騒ぎ立てている。だが、決定的な要素が無いことに疑念を抱いたミアは、敢えて弁護を引き受けることにする。これに真っ向から反対したのが失業中の夫カルとその母親。そしてカルの兄レイは担当検事でもある。身内からの顰蹙を買いながらも、彼女は友人の私立探偵ジミーと共に事件の全貌に迫っていく。

 主人公の義母はガンを患っていて余命幾ばくも無いという設定ながら、とても重病人には見えず、まずこのあたりから胡散臭さが漂ってくる。ザイエアは刑事被告人にもかかわらず切羽詰まった様子は窺えないし、平気で創作と女遊びに明け暮れている。ジミーは大して頼りにならず、事件の真相を掴むのはミアの方なのだが、その切っ掛けがまた“偶然”の賜物だというのは実に苦しい。

 グダグダな終盤の展開を経て明かされる事の全貌に至っては、まさに脱力もの。この程度の“動機”で凶悪事件をデッチ挙げられてはたまらない。シナリオも担当したタイラー・ペリーの演出は気合いが入っていない。だが、主演のケリー・ローランドは本当にスクリーン映えする。身のこなしや、衣装のセンスも上質だ。ローランドはミュージシャンとして著名ながら、本作では一曲も歌わずに演技に専念しているのは好感が持てる。

 ザイエア役のトレバンテ・ローズをはじめ、ニック・サガルにショーン・サガル、ロンリーコ・リー、シャノン・ソーントンといった顔ぶれも絵になる。そしてコリー・バーメスターのカメラによる闇深い夜のシカゴの町並みは、クライム・サスペンスにはぴったりだ。アマンダ・ジョーンズによる音楽と既成曲の使い方も良い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「メルヴェの人生更新中!」

2024-02-25 06:09:31 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MERVE KULT)2023年6月よりNetflixより配信されたラブコメ編。他愛のない話で、特に高く評価出来る箇所は見当たらない。しかしながら興味深いのは、製作国がトルコだという点だ。トルコ映画といえばユルマズ・ギュネイやヌリ・ビルゲ・ジェイランといった社会派の監督によるヘヴィな作品をまず思い浮かべてしまうが、当然のことながら娯楽方面に向いたライトな映画もあるわけで、本作のようなシャシンの存在を確認出来ただけでも有り難い。

 イスタンブールの下町に住む若い女メルヴェは今まで母親が所有するアパートの家賃収入を頼りに生きてきたが、そろそろ自分自身で人生を切り開きたいと思っていた。そんな折、母親の名義だと思っていたアパートは実は別居中の父親のもので、しかも借金が嵩んでいた父親は物件を売却していたことが発覚。メルヴェ母子をはじめとする住民たちは立ち退きを迫られ、彼女も早急に働き口を見つけなくてはならない。ファッションに興味を持っていたメルヴェは大手アパレルメーカーに飛び込みで求職し何とか採用されたが、そこの若社長アニールは訳ありの人物で、彼女は振り回されるハメになる。



 当初は衝突することが多かったメルヴェとアニールが、やがて互いを憎からず思うようになってくるのだろうと思っていると、実際その通りに展開する。メルヴェの両親の微妙な関係性やアニールの過去との確執などのネタも挿入されるのだが、それほど効果的ではない。アプリを作成して一儲けを企むメルヴェの仲間たちのエピソードに至っては、まさに取るに足らないレベル。

 それでも最後まで観ていられたのは、名所旧跡が一切出てこないイスタンブールの風情ある下町風景と、ヒロインが次々と披露する突飛でカラフルなファッションゆえだろう。ジェマル・アルパンの演出は取り立てて才気走ったところは無いが、登場人物が突然観客の側を向いて独白するシーンなどのギャグのセンスは認めて良い。上映時間を99分にまとめたのも的確だ。

 主演のアーセン・エロールは典型的なファニーフェイスで、登場するだけでお笑いの空気が充満してくる。相手役のオザン・ドルナイも優柔不断な二枚目を上手く演じている。ズハル・オルジャイにフェリト・アクトゥグ、エスラ・アッカヤといった他のキャストはもちろん馴染みは無いが、手堅い仕事ぶりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ミス・シャンプー」

2024-02-16 06:08:57 | 映画の感想(ま行)

 (英題:MISS SHAMPOO)2023年12月よりNetflixから配信された台湾製の犯罪映画仕立てのラブコメ編。紹介映像は面白そうで、実際開巻20分程度は楽しめるのだが、あとは緩すぎる展開が続くばかりで大して盛り上がらないままエンドマークを迎える。クレジットをよく見ると、監督が日本版リメイクも製作された「あの頃、君を追いかけた」(2011年)のギデンズ・コーだ。あの映画は本国ではヒットしたらしいが、個人的には受け付けなかったことを思い出した。鑑賞前に気付くべきだったと反省するばかり。

 台北の下町にあるヘアサロンに、ある嵐の夜、ケガをしたヤクザ者の男タイが転がり込んでくる。謎の刺客にボスを殺され、自分も危うい状況になったタイは、追手から逃れるために近くにあったその店に飛び込んだのだ。美容師見習いのフェンに介抱されて一命を取り留めた彼は、彼女に惚れてしまう。すると後日、彼は子分どもを引き連れてサロンに通うようになり、フェンを口説き落とそうとするのだった。何となく良いムードになってくる2人だが、タイが仕切る組を完全に潰そうとする勢力は徐々に魔の手を伸ばしてくる。

 ごく普通の家庭で育ったフェンと、少年時代から極道の世界に身を置くタイ。そのギャップが興趣を呼ぶのは確かで、序盤はその関係性だけで笑いが取れる。しかし、タイがフェンに真剣な交際を迫ったり、敵対勢力の動向を描かなければならない中盤以降になってくると、気合の入らない凡庸なモチーフが積み上げられるだけで一向にドラマが進展しない。

 そもそもヘアサロンを舞台にしていながら、美容に関するウンチクがほとんど披露されないのは失当だろう。かといって、ヤクザの抗争劇が迫力あるわけではなく、アクション場面も見るべきものは無い。フェンが心酔するプロ野球選手に関するネタにしても、今ひとつ工夫が足りていない。ラストシーンに至っては“何じゃこりゃ”と言いたくなるレベルだ。

 それでもタイ役のダニエル・ホンは長編映画初出演とは思えない存在感を発揮しているし、フェンに扮するビビアン・ソンも「私の少女時代 OUR TIMES」(2015年)に続いてキュートな魅力を振りまいている。ただし、それ以外のキャストは弱体気味で、あまり印象に残らない。それにしても、エンドクレジット表示時の“悪ノリ”には苦笑した。やること自体は問題ないが、もっと上手くやって欲しかったというのが本音だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みなに幸あれ」

2024-02-03 06:07:21 | 映画の感想(ま行)
 こりゃヒドい。製作サイドでは、何を考えてこのネタを映画にしようとしたのだろうか。観る側にアピールするものがほとんど無いし、もちろんヒットしそうな要素はどこにも見当たらない。聞けば“日本ホラー映画大賞”なるアワードの第一回金賞受賞作の短編を元に、同じ作者がメガホンを取って長編作品として完成させたものらしい。その短編映画の出来映えは知る由も無いが、商業映画として世に出すからにはプロデューサーによる精査が必須のはず。ところが本作にはそういう形跡は無し。上映時間が89分と短いことだけが救いだろうか。

 東京で暮らす看護学生のヒロインは、久々に祖父母が暮らす福岡県北部の田舎町(ロケ地は田川郡)にやってくる。再会を喜んだのも束の間、彼女は祖父母や近隣住民の言動に違和感を覚え始める。何やら、その家には祖父母以外の“誰か”が住み着いているようなのだ。彼女は幼なじみの青年と共に怪異の正体を探ろうとするが、数日後に到着した両親と弟にもおかしな“症状”が出てくるようになる。

 主人公はこの祖父母の家に子供の頃から何度も泊まっているはず。しかし、この怪異現象に今回初めて遭遇したような素振りを見せること自体が噴飯ものだ。さらに両親もこの現象の存在を承知していたというのだから、呆れた話である。

 この映画のテーマは“誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている”というものらしいが、その表現方法が語るに落ちるような低調なもの。映画は中盤以降はさらに混迷を極め、祖母が“ああいう状況”になったり、山奥に暮らす主人公の伯母が“ああいう有様”だったりと、意味不明のモチーフの釣瓶打ち。ラストなんか、作劇を放り出したかのような体たらくだ。そもそも、この映画はホラーという表看板を掲げながら怖いシーンがひとつも存在しない。総合プロデュースに清水崇が付いていながら“この程度”では、本当に情けなくなってくる。

 監督は下津優太なる人物だが、映画作りの初歩から勉強し直す必要があると思った。主役の古川琴音は頑張っているが、映画自体が低調なので“ご苦労さん”としか声を掛けられない。そういえば古川と相手役の松大航也以外は知らないキャストばかりが名を連ね、しかも演技も皆素人臭い。画面自体も平板で、本当にやる気があるのかと言いたくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マエストロ:その音楽と愛と」

2024-01-15 06:02:52 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MAESTRO )2023年12月からNetflixで配信されているが、私は映画館で鑑賞した。往年の世界的音楽家レナード・バーンスタインと妻で舞台女優のフェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインとの関係を描く伝記映画で、題材はかなり興味深い。ポイントは本作の演出を主役のブラッドリー・クーパーが担当していることで、“(一応はまだ2作目の)新人監督”らしい気負いが横溢している。そのあたりが賛否が分かれるところだろう。

 映画は晩年のレナードがマスコミのインタビューに答えるシーンから始まり、その中で彼はフェリシアに対する思いを吐露する。そこから時間が遡り、若き日のレナードがブルーノ・ワルターの後継者として楽壇に華々しくデビューする場面に移行する。それからフェリシアとの出会いと音楽家としての行程が描かれるのだが、実は彼はバイセクシャルであり、最初大きな仕事の連絡を受けた時は“彼氏”と一緒だった。結婚後も何人かの“愛人”と懇ろになり、それでもレナードを慕うフェリシアの苦悩が絶えることは無い。

 この複雑な状況を監督のクーパーはカラーとモノクロの映像の使い分けや、思い切ったロケーションと時制のワープ、後半にはワンシーン・ワンカット技法の多用など、ケレン味たっぷりの手練手管で表現してくる。これが効果的だと受け取れば本作の評価は高くなるが、逆に過剰に映ればヴォルテージは落ちる。個人的にはどうかといえば、“えらく肩に力が入っているなぁ”とは思うが、そんなに否定する気にはならない。それどころか、対象に肉迫しようとする作者の覇気が感じられて好ましくもある。

 また、演奏シーンの出来の良さには感心した。2023年に観た「TAR ター」なんかとは次元が違う。主演のクーパーの指揮ぶりも本物のパフォーマンスを随分と勉強した跡が見受けられた。特にマーラーの2番が鳴り響く場面は盛り上がる。とはいえ、劇中で主人公が“作曲家としての仕事が限られている”みたいなことを言うように、指揮者としての名声が先行するのは不満だろう。かくいう私も、実は指揮者バーンスタインの個性は好きではない。もちろん映画の中では作曲作品にも触れてはいるが、もっとクローズアップしても良かった。

 フェリシア役のキャリー・マリガンは熱演している。だが、彼女は私が苦手とする女優の一人なので、諸手を挙げての評価は控えさせていただく。娘ジェイミーに扮しているのはマヤ・ホークで、悪くはないが有名俳優の両親のレベルに達するにはまだまだである。あと印象的だったのは、カズ・ヒロによる特殊メイク。よくぞここまでマエストロに似せたものだと、感服するしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マイ・ハート・パピー」

2024-01-13 06:05:52 | 映画の感想(ま行)
 (英題:MY HEART PUPPY)前半は体裁として多くの韓国製テレビドラマと同等のレベルかと思わせる。つまりは微温的でキレもコクもなく、ただ漫然と上映時間が過ぎていくという感じで、新年早々ハズレくじを引いたのではないかと気落ちしたものだ。しかし、中盤からは意外な盛り上がりを見せ、結果満足して劇場を後にすることが出来たのだから世話はない。やはり最近の韓国映画は、ライトな題材を採用しても何かしら見どころを用意してくれるものだ。

 ソウルに住む勤め人のミンスは、交際相手のソンギョンにプロポーズするため仕事を終え愛犬のルーニーの世話をした後、彼女の待つレストランに向かう。ところが何とソンギョンは犬アレルギーで、ミンスと会う時は彼に内緒で大量の抑制剤を服用していたのだった。これでは結婚生活は難しいと判断したミンスは、経営するカフェが潰れて窮乏状態の従兄弟のジングクと一緒にルーニーの里親を探す旅に出る。



 SNSでルーニーの引取先として名乗りを上げた者たちを訪ね歩くミンスとジングクが散々な目に遭うというのは、まあ予想通り。多くの保護犬を預かっている金持ちに会うため済州島まで向かう2人が、なぜか途中で行き場のない子犬たちを次々と預かるハメになるくだりは、いくらでも面白くなりそうなのだが段取りが平板で笑いが弾けない。

 ところが、くだんの金持ちとようやく会えたあたりから映画は大きく動き出す。人間とペットとの関係性をかなり真摯に問う内容へとシフトチェンジし、それまでの展開が伏線として有効に機能し始めるのだ。特に、映画序盤から何度もしつこく挿入されるミンスと亡き母との思い出話が重要なサブ・プロットであったことに少し驚いた。そして終盤での、主人公たちが下す決断には感動さえ覚えてしまう。

 脚本も担当した監督のキム・ジュファンの仕事ぶりは、平凡な建て付けの中に大きなメッセージを織り込むという侮れないもの。中盤までのプロセスをリファインすれば、かなり優れた作品になったと思わせる。主演のユ・ヨンソクとチャ・テヒョンは絶好調で、両者のトボケた持ち味でウケないギャグもまあ許してやろうという気になる(笑)。

 チョン・インソンにパク・ジンジュ、キム・ユジョン、イ・ホジョンら女優陣のパフォーマンスも良好だ。そしてゴールデンレトリバーのルーニーをはじめ、出てくる犬が全部可愛い。犬好きには堪えられない映画だろう。済州島の風景は美しく、観光気分も味わえる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」

2023-12-22 06:03:57 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MONA LISA AND THE BLOOD MOON)どこが良いのかさっぱり分からないが、なぜか世評は悪くない。つまりはオッサンである私の感性が、この新奇なニューウェイヴっぽい作劇に合わなかったのだろう(苦笑)。まあ、それ自体がケシカランと言うつもりはない。少なくとも、高邁な作家性とやらを無駄に長い上映時間をもって押しつけてくるどこぞのシャシンとは違い、重いタッチも無く106分でサクッと終わってくれるあたりは許せる。

 ルイジアナ州の精神病院に12年もの間隔離されていた少女モナ・リザは、突如として他人を操る特殊能力を身に付ける。そのパワーを駆使して施設から逃げ出した彼女は、やがて休むことを知らないナイトライフが展開するニューオーリンズにたどり着く。そこの歓楽街で偶然知り合ったポールダンサーのボニー・ベルは、モナ・リザの力を利用して自らの私腹を肥やすことを考える。一方、モナ・リザのパワーを察知したハロルド巡査は、単身彼女を追う。



 まず、モナ・リザがいつどうして超能力に目覚めたのか、そしてどのようなプロセスでそのパワーが発揮されるのか、そのあたりが説明されていないことが不満だ。これでは感情移入のしようがなく、当然のことながらスリリングな筋立てに持って行くことも出来ない。モナ・リザを演じるのは韓国人俳優チョン・ジョンソなのだが、どうしてアジア系なのか不明。別にアジア人ではいけないという話ではないが、あまり英語に堪能ではない彼女が長期間施設に軟禁されていたという設定は何らかの事情があって然るべきだと思う。しかし、映画は何も言及しない。

 また、このモナ・リザという危険人物を追うのが現場要員のハロルドを中心とした少人数だけで、別にサイキックパワーを狙った謎の組織が出てくるわけでもないというのは、何とも気勢が上がらない。ボニー・ベルの子供が大きくドラマに関わってくるのかと思ったら、終盤の追跡劇を除けば活躍の場が少ない。

 監督はイラン系アメリカ人のアナ・リリー・アミールポアーなる人物で、これが長編第3作だという。キッチュな舞台セットの多用において個性を出しているのかもしれないが、あまりピンと来ない作風だ。エクステリアで観る者を捻じ伏せるというタイプではなく、分かる人だけ分かれば良いといったノンシャランなスタンスが身上なのだろう。言い換えれば、このスタイルに乗れない観客(私もその一人)はお呼びではない。ケイト・ハドソンにエド・スクレイン、エヴァン・ウィッテン、クレイグ・ロビンソンといった顔ぶれも特筆すべき点は見当たらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「燃えあがる女性記者たち」

2023-12-11 06:37:10 | 映画の感想(ま行)
 (原題:WRITING WITH FIRE )今まで知ることも無かった事実を紹介してくれることがドキュメンタリー映画の特徴の一つだが、本作においてはその真実が殊の外重い。いや、本当は誰しもそのことに薄々気付いてはいるのだ。単にそれを直視せず、あるいは“仕方がないことだ”としてスルーしている。そこを敢えて取り上げることこそ、映画人としての矜持であるはずだ。その意味では、本作の存在価値は高い。

 インド北部のウッタル・プラデーシュ州に拠点を置くネット媒体の新聞社カバル・ラハリヤは、被差別カーストの女性たちによって立ち上げられている。取材対象は、この地に暗い影を落とす貧困や階層の実態、そして差別による社会の分断などである。女性記者たちは家族や周囲の者らの反対に遭いながらも、果敢に問題に向き合っていく。



 インドは多大な人口を抱え、今や世界第5位の経済大国であり、今後も成長が見込まれている。しかし、この国は先進国ではない。言語は統一されておらず、社会的格差は(宗教的要因もあり)確定されている。ヒンドゥー教徒とイスラム信者の確執も深刻だ。そんな中、本作で描かれるカースト外の“不可触民”として差別を受けるダリトの女性たちが嘗める辛酸は筆舌に尽くしがたいものだろう。

 特に、プレッシャーに耐え切れず主要メンバーのひとりが結婚退職を余儀なくされるシークエンスは痛切だ(後に復職したという)。それでも、カバル・ラハリヤの記者は前を向くことをやめない。購読者は着実に増え、時にそれは当局側を動かし、地域の治安やインフラの整備に貢献する。やはりジャーナリズムの力は大したものだと思わざるを得ない。また、初の海外出張でスリランカを訪れた記者の一人が、海辺で“素”の表情でリラックスしている様子を挿入するなど、等身大のキャラクターとして捉えている箇所があるのも好印象だ。

 リントゥ・トーマスとスシュミト・ゴーシュによる演出は、いくらでも煽情的に扱えるネタを扱いながらもニュートラルな姿勢を崩さない。もちろん、絶対的な中道というものはあり得ないが、それを指向すること自体が重要なのだ。彼らにとってこれが長編第一作だが、サンダンス映画祭におけるダブル受賞をはじめ、200以上の映画祭で上映されており、米アカデミー賞ドキュメンタリー部門の候補にもなった。今後も注目したい人材だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする