理不尽なホームレス生活を強いられる主人公に救いの手を差し伸べる友人と、その家族の描写に感動した。この一家はまったく裕福ではない。狭い市営アパートに6人も押し込められ、それぞれのプライバシーなんかあったものではない。しかし、彼らはそんな状況を恥とも思っていないのだ。
一見無愛想だが頼りになる一家の主と、世話好きで優しいその妻。子供たちは騒がしいが、ヒネた奴なんか一人もいない。長男の友人とはいえ赤の他人を何のためらいもなく受け入れ、それどころか自活できるまでバックアップしてくれる。おそらくこれが、作者の考える理想の家族像なのだろう。
対して主人公の家庭は、父親が子供たちの扶養を放り出して勝手に“解散宣言”してしまうハプニングよりずっと以前に、母親が死んだことによって“崩壊”している。そして最後まで父親を交えた家族が復活することはない。
もちろん、片親だけになった家庭がすべて“崩壊”するわけではない。立派にやっている家族だって大勢いる。ただしそれには、欠けた一方の親の役割をもう片方(あるいは子供)がカバーしてやることが必須条件だ。主人公の家庭はどうしても“母親の不在”を埋めることが出来ない。子供たちは前向きに生きてはいるが、最終的に帰属できる“家”を自分らで持てなくなった感傷が観る者の胸に迫る。家族というのは堅固なようで、実はもろい。それだけに掛け替えのないものだという当たり前のことを真摯に提示してくれる本作のスタンスは納得できるものだ。
青春映画の名手として知られる古厩智之監督は、前作「奈緒子」では長大な原作を無理に圧縮したような作劇の不手際が目立ったが、今回の田村裕による原作はコンパクトで映画化するのには丁度良かったらしく、破綻のない仕事ぶりを見せる。
主演の小池徹平は中学生を演じるには年齢面で厳しいかと思えたが、なかなか健闘していて見ているうちに気にならなくなる。マジメな長男役の西野亮廣、ダメな父親を飄々と演じるイッセー尾形、民生委員役のいしだあゆみ、そしてくだんの友人の両親に扮する宇崎竜童と田中裕子など、脇も的確である。また長女の池脇千鶴は20代後半にもかかわらず堂々と女子高生を演じていて、しかもそれがサマになっているのがコワい(爆)。シビアな話にもかかわらず大阪らしい人情味と楽天的な雰囲気が横溢し、観賞後の味わいは格別である。