普通の映画である。手触りは悪くなく感銘度もそこそこ。プログラム・ピクチュアとして流しておくには良いが、それ以上でも以下でもないと思う。ただし、これが「蛇イチゴ」と「ゆれる」で若手女流のホープに登り詰めた西川美和監督の新作だということになると、あまり愉快になれない。
数年前に医者のいない村に赴任してきて、長らく村人から信頼されていた医師が突然失踪。当然、周囲は大騒ぎになる。このシークエンスを冒頭に持ってきて、本編はその真相を描く“回想シーン”がメインとなり、時折医者の行方を追う警察を中心とした“現在の時制”が挿入されるという構造だ。つまりは一種謎解きの形を取っており、地味だと思われる題材をサスペンスフルに展開させようとしている。その目論見はとりあえず成功しており、二時間を退屈させることなく見せきっている。しかし、個々の描写がどうにも“ぬるい”のだ。
その最たる物が八千草薫扮する老婦人と東京の病院に勤めている娘(井川遥)との関係性である。婦人はガンの罹患を自覚しているが、それを娘には知られたくないのだという。診察している医者も病気の告知をあえてせず、この村で静かに最期を迎えさせたいと思っているらしい。ところが、盆休みに娘が帰省してくるのだ。医師ならば母親の変調に気付くはずだし、事実、その症状を巡って村医者に詰め寄る。その顛末はネタバレになるので書けないが、まるで作劇を放り出したような杜撰さだ。
この母親と娘がどのような屈託を抱えているかがほとんど示されない。一応、父親が病死していることが大きなファクターであることが暗示されるが、その程度では難病の扱いに関して納得は出来ない。それが説得力を獲得するためには、婦人と村医者との関係をもっと突っ込んで描くべきであったろう。
どこか胡散臭い村医者に心酔するインターン(瑛太)や、献身的な働きをする看護婦(余貴美子)の描き方も、どこかわざとらしい。全体的に、どうしてそういう設定なのかということよりも“そういう設定だから細かいことはゴチャゴチャ言うな!”という開き直りが鼻について、釈然としないものが残る。思うに、主演に笑福亭鶴瓶を持ってきたことが本作の性格を決定したのではないだろうか。鶴瓶はまさしく“細かいことなんか、よろしいがな”というキャラクターそのものだ(笑)。
鶴瓶はテレビの「鶴瓶の家族に乾杯!」と同じノリで登場し、どうやら観客もそれを期待しているフシがある。どうやらこの雰囲気は、単館系のシャシンというよりも「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」に近い。鶴瓶の主演でこの医者が全国各地を流れ歩くというシリーズ物をやったらウケると思う。特に「釣りバカ」が終了した後は、この企画は興行的には悪くないネタではないだろうか。ただし、それゆえ西川美和の資質とのズレは如何ともし難く、釈然としない気持ちで劇場を後にしたのであった。