元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「劔岳 点の記」

2009-07-17 06:23:37 | 映画の感想(た行)

 とても感銘を受けた。本作に対して“登場人物の内面が描けていない”だの“大きなドラマが起こらない”だのといった感想しか持てないとしたら、それはこの映画の主題を見過ごして別のところに目が行っているせいである。

 明治末期に立山連峰の劔岳への初登頂を目指した男たちの話だが、主人公が属している陸軍測量部の幹部達の頑迷さや、登頂競争を仕掛けてくる日本山岳会との確執といった、物語の大きなうねりに繋がりそうなことはサッと切り上げてゆく。元より、そんなことは“脇のエピソード”でしかない。この作品は、プロとしての矜持を抱いた男たちが職務を忠実に遂行し、復命した後は家に帰るまでを描いている。いわば“出張”の記録を綴った映画なのだ。

 単に仕事で遠出するとき、行程の最中に“骨太の人間ドラマ”なんか期待している勤め人なんかいない。たまたま面白い体験をしたとしても、それは結果論に過ぎず、出張の目的に関与してくるものではない。この劔岳登山でも、確かに並の出張よりは遙かにハードではあるが(笑)、あらかじめ課題が設定されたビジネス旅行に過ぎないのだ。

 融通の利かない上司に閉口したり、意外なライバルが現れたりすることもあるだろう。でも、それは業務達成に対する“外野からの横槍”でしかない。そんなことは軽く受け流しながら、ビジネスマンは仕事に励む。どうやったら期間内に山に登れるのか、そのためにはどういう段取りを踏めばいいのか、そういう職務遂行への冷徹なプロセスを描くことこそが本作の存在意義なのである。

 ならばそんなのはドキュメンタリーで十分ではないのか・・・・という意見も当然出ると思う。しかし、主人公の柴崎と年若い妻との関係性を見れば、劇映画として扱わなければならない必然性が垣間見えてくる。浅野忠信と宮崎あおい演じるこの夫婦は、外で厳しい仕事をこなす夫と、旦那を信じて家を守る妻という(少なくとも当時の)ひとつの理想型を象徴している。ドキュメンタリーでは表現できない、演技によって表現されるシンボルとしての夫婦関係は、主題の普遍性により大きく貢献していると思う。

 登場人物達は、この夫婦関係(あるいは家族関係)を何度も再確認するために仕事に打ち込み、そして家に帰るのだ。この部分さえ描けていれば、いくら“出張”の最中にケレン味たっぷりの出来事に遭遇できずとも構わない。ビジネスのスキームを追えばそれで良いのだ。ストイックともいえる作劇が、逆にテーマを明確化させる。そういう作者の巧妙な企みに、ただただ感服するのみである。

 名カメラマン・木村大作の監督デビュー作だけあり、映像は痺れるほどに美しい。撮影は並大抵のものではなかっただろうが、これ見よがしな“苦労談”には仕上げていない。浅野と宮崎のほかにも香川照之や松田龍平、仲村トオル、役所広司といった多彩な面々が手堅い演技を見せる。まさに作品の主題に合致したような“良い仕事ぶり”である。観る価値はたっぷりある秀作だ。
コメント
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