直截的なタイトルに比べ、中身の方はちっとも怖くない。ならばストーリーラインでの興趣はあるのかというと、それも希薄。いくらかでも“恐怖”を感じさせるものは、駅での掲示を断られたポスターのみである。要するに、何のために作られたのか分からない映画だ。
脳科学の研究者である太田悦子は、戦前の満州で行なわれた脳の人体実験のフィルムに映っていた不可思議な光を夫と共に目にする。それ以来、彼女は二人の娘との関係をも断ち、違法の脳実験を繰り返す。時は流れ、自殺未遂を企てた上の娘を偶然“実験台”として確保することが出来た彼女は、さらに過激な脳手術を試みる・・・・というのが粗筋。
悦子の信条は“脳の改変により新しい世界を知ることが出来、それが人間の霊的な進化に繋がる”という、ほとんどデタラメなものだ。まあ、別にトンデモなモチーフを採用してはならないという決まりはないわけで、トンデモをホンモノとして昇華させる力業が作り手に備わっていれば面白い映画になることもある。ところが脚本も担当した高橋洋監督には、そんなパワーなど持ち合わせていなかったのだ。
脳科学うんぬんといったネタは、ここでは単なる思い付きのレベルを超えるものではない。ホラー映画好きの一般観客でさえ、この題材でいくらでも戦慄すべき展開を考え出すことが出来るのではないだろうか。
たとえば不気味な光の存在が二人の娘の出生に禍々しい影響を与えていたとか、もう一つの世界が現実を浸食し大掛かりな破局に至らしめるとか、幽体離脱した“別の人格”が跳梁跋扈して惨劇を繰り返すとか、アイデアはけっこう湧いてくると思うのだが・・・・。本作の描き方は上っ面のみで、個々の描写にも粘りが足りない。
意地悪な見方をすれば、ネット上で知り合った同士が集団自殺を図るという箇所に社会批判が、脳の構造を取り入れたことが“脳を鍛える”ことを謳ったゲームの流行に対する追随が、それぞれ極めて低い水準で御為ごかし的に採用されているあたりは“世相におもねった”ような安易な姿勢が窺われるのだ。こんな体たらくでは映画を最後まで引っ張れないと思ったのか、終盤には脱力するようなオチが付いてくる。あまり観客をバカにしないでもらいたい。
悦子役の片平なぎさだけは楽しそうにマッド・サイエンティストを演じているが、その他のキャストは弱体そのもの。上の娘を演じる中村ゆりは確かに熱演だが、別に彼女でなくてもいい仕事。狂言回し的な役どころである下の娘に扮する藤井美菜は“ただ可愛いだけ”といった感じだ。
一応、この映画はジャパニーズ・ホラーの最終作という触れ込みだが、ひと頃は勢いのあったこのジャンルが斯様な幕切れを迎えてしまったことは、実に寂しいものである。