元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「PARTY7」

2018-08-12 06:15:52 | 映画の感想(英数)
 2000年作品。石井克人監督の演出タッチはその前に撮った快作「鮫肌男と桃尻女」(99年)と同じで、新鮮味がない。しかしながら、まだこの頃は前作からの“勢い”は持続しており、ハチャメチャな展開で笑わせてくれる。その意味では、観て損はない映画かもしれない。

 ヤクザから2億円を横領したシュンイチロウ(永瀬正敏)は、隠れ場所としては最適な“ホテルニューメキシコ”に潜伏する。ところが、そこに借金返済を迫る元彼女のカナと彼女の婚約者のトドヒラが押しかけてくる。さらには、組長から金を取り戻すように命令されたソノダまでやってくる。



 シュンイチロウは仕方なく金を山分けにして皆で逃げようと提案するが、そこにソノダの裏切りを予見した組の若頭であるイソムラが乱入。一方、隣の部屋でこの一件を立ち聞きしていたのが、覗き癖のあるオキタとキャプテンバナナだ。この2人も事態に介入し、騒ぎはさらに大きくなる。

 映画の舞台が“ホテルの一室に集まる珍奇な奴ら”と“その部屋を覗いているホテルオーナーと、その親友の息子”に分かれ、それぞれテンポが違うため展開がスムーズにいってない。その覗き部屋にいるコンビを演じるのが、原田芳雄と浅野忠信というのも釈然としない(この2人の演技パターンは全然合わない)。基本的に密室劇であることも、前作に比べれば爽快感に欠けると言える。

 しかしそれでも、映画が何とか終盤に差し掛かると、怒濤の(?)クライマックスにやっぱり爆笑してしまう。そして、ラストのオチにも思わずニヤリだ。脇を固めているのが岡田義徳に堀部圭亮、我修院達也、松金よね子、津田寛治、大杉漣、田中要次、加瀬亮という濃すぎる面々。ジェイムス下地による調子のいい音楽と、町田博の効果的な撮影もドラマを盛り上げる。石井監督は最近はアニメーションのクリエイティヴ・アドバイサー等の仕事が多いようだが、そろそろ劇場用映画を撮ってもらいたいものだ。
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「インクレディブル・ファミリー」

2018-08-11 06:43:20 | 映画の感想(あ行)
 (原題:INCREDIBLES 2 )退屈はしなかったが、出来は前作「Mr.インクレディブル」(2004年)には及ばない。その理由は明らかで、パート1が作られてから14年もの時間が経過したにも関わらず、このシリーズの方法論自体があまり変わっていないからだ。その間にヒーロー物の映画は次々と作られ、題材も多彩になってきた。しかるになぜ本作は14年前とほぼ一緒の内容を踏襲したのか、よく分からない(まあ、ヒットしているからOKだと言われれば黙るしかないが ^^;)。



 前回のパー一家とシンドロームとの戦いから間もなく、ボブ達は地底から現れて銀行を襲う怪人アンダーマイナーと戦う。しかしその際に街のインフラを大量破壊したため警察に事情聴取され、一家は謹慎処分を食らう。そんな中、スーパーヒーローの大ファンである大企業の社長ウィンストン・ディヴァーと彼の妹イヴリンから、仕事のオファーがある。ところがその内容は“イラスティガール”ことヘレンのみに対する依頼で、ボブはその間子守りや家事のためにヘトヘトになる。ここにきて、テレビ画面などをジャックして人々を洗脳する怪人スクリーンスレイヴァーが出現。街はパニックに陥る。

 スーパーヒーローに対する世間の風当たりが強まり、彼らの行動が政府当局により規制されるが、新たな敵が現れてヒーロー達は復権するという基本コンセプトは前作と変わらない。有り体に言えばマンネリだ。

 この14年間に、マーヴェル陣営やDCコミック陣営は手を変え品を変えバラエティに富んだヒーロー物をリリースしてきた。さらに「ハンコック」(2008年)や「キック・アス」(2010年)といった、従来のヒーロー映画のルーティンとは一線を画する作品まである。このような状況の中で、今さら14年前と同じ体裁の作品を送り出す必要があったのか、甚だ疑問である。パート1でヒーローの社会的な立ち位置というネタを扱ったのならば、2作目はそれを他のヒーロー物シリーズとは違う形で発展させるべきではなかったか。



 確かに技術面では格段の進歩を遂げたような映像が並べられているが、アニメーションでしか表現出来ないモチーフというのは、意外にあまりない(強いて挙げれば、赤ん坊のジャック=ジャックの造型ぐらいだ)。

 ブラッド・バードの演出は淀みがなくスムーズだが、筋書きが斯くの如しなので刹那的なアトラクションのような印象しか受けない。クレイグ・T・ネルソンやホリー・ハンター、サミュエル・L・ジャクソン、イザベラ・ロッセリーニといった声の出演陣は達者。マイケル・ジアッキノの音楽も良い。だが、作品としては評価は出来ない。
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「玄海つれづれ節」

2018-08-10 06:26:56 | 映画の感想(か行)
 86年東映作品。ハッキリ言って面白くないのだが、多少興味を惹かれる部分はある。それは、舞台になっている北九州市の(多少場違い的な)風情と、多彩なキャストだ。なお、本作は正月第二弾として公開されており、脱力した内容でもこの封切り時期ならば許されていたのかもしれない。

 横浜で商社の三代目社長である夫の駿介と裕福な暮らしを送っていた山岡ゆきは、駿介が事業に失敗して行方不明になったことから、屋敷を追い出されてしまう。しかも、駿介がヨソの女に産ませた子供のマサルまで押し付けられる。借金取りの緑川月代から夫が九州に行ったことを知らされた彼女は、マサルと共に彼の地に向かう。またその町は、ゆきの出身でもあった。そこで彼女は幼馴染みの一平と再会する。彼は未だにゆきを憎からず思っており、駿介探しを手伝うことになる。やがて当地の映画館の買収騒動に巻き込まれたゆきは、地上げ屋の松藤と渡り合うハメになる。



 上映時間135分の中でさまざまなエピソードが展開されるが、どれも話の辻褄があまり合っておらず、行き当たりばったりに展開するのみ。ヒロインは終盤には都合良く夫を見つけ、また要領よく地元のボスをやりこめる。ストーリーには何のカタルシスも無い。

 しかも、主演が吉永小百合だ。頑張って鉄火肌の姉ちゃんを装ってみたり、なぜかソープ嬢に扮してみたりと、いろいろとやっているが全てサマになっていない。もとより演技力に難のある女優なので気勢が上がらないのは仕方が無いのかもしれないが、いい加減ウンザリしてくる。

 しかしながら、脇のバラエティに富んだ顔ぶれが、何とか退屈を紛らせてくれる。月代役の八代亜紀は“地のまんま”と思われる怪演。一平を演じる風間杜夫も、オーバーアクトをギャグに昇華している。さらには草笛光子や岡本信人、岡田裕介、木内みどり、樹木希林といった面々が味のあるパフォーマンスを披露、そして三船敏郎も出てきて貫禄を見せるのだから、何とか楽しめる。

 北九州市の風景はいつの時代なのかと思わせるが、キッチュな雰囲気は出ていた。出目昌伸の演出は冴えない(まあ、いつものことだが)。あと不可解に思ったのは、この映画は吉田兼好の「徒然草」(第三十八段)を“原作”としていることだ。どう考えても意味のあることだとは思えないのだが、その頃は一種の“ノリ”でそんな企画が罷り通っていたのだろう。
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「ウインド・リバー」

2018-08-06 06:23:23 | 映画の感想(あ行)

 (原題:WIND RIVER)舞台設定は興味深く、扱っている題材も興味を惹かれる。さらにキャラクターの配置も申し分ない。監督のテイラー・シェリダンはシナリオライターとして実績を積んだ上で、今回初めてメガホンを取っているが、演出家としても非凡であることを立証したと言えよう。

 ワイオミング州の先住民保留地。地元のベテランのハンターであるコリーは、山奥でネイティヴ・アメリカンの血を引く若い女の死体を発見する。何者かに追われた彼女は、極寒の中で息絶えたらしい。凶悪事件の様相を呈したこの一件にFBIも介入するが、現地に派遣されたのは新米の女性捜査官ジェーンただ一人だった。土地勘の無いジェーンはコリーに捜査協力を依頼する。犠牲者はコリーの親友の娘であることが判明するが、コリー自身も娘を数年前に謎の事故で亡くしており、それが切っ掛けで妻とは別居状態になっていた。やがてコリーとジェーンは、この地域社会の裏に存在する闇の部分に迫ってゆく。

 とにかく、彼の国では現在においても先住民を実質的に“隔離”するような政策が罷り通っていることに、改めて驚かされる。もちろん、先住民側にも“民族性”があり、そう簡単にアメリカ社会と同化出来るものではないことは分かる。しかし、映画で描かれているように、彼らが住む土地にはめぼしい産業も無く、厳しい生活を強いられている状況は、とても正常とは思えない。さらに、この地には食い詰めた貧しい白人達も流れてやってくる。治安が悪化するのも当然だ。

 シェリダンの演出は弛緩した部分が見当たらず、後半に見られる回想部分のトリッキーな御膳立てや、終盤に突如現出する近距離での銃撃戦の激しさなど、引き出しの多さを見せつける。コリーが自身の辛い過去に折り合いを付け、またジェーンも捜査員としての成長を見せるという、人間ドラマとしての側面も忘れてはいない。

 主演のジェレミー・レナーとエリザベス・オルセンは、言うまでもなく「アベンジャーズ」の構成員である(笑)。もちろん今回は正攻法の演技に徹し、それなりの成果を上げている。これまでいくつかの主要アワードにノミネートされてきたレナーの健闘ぶりは予想通りだが、オルセンはアメコミ作品に出ているときよりも数段魅力的に見える(メイクが薄めであることも大きいかもしれない ^^;)。

 ベン・リチャードソンのカメラによる、身を切られるように冷たいアメリカ中西部の山間地帯の情景。ニック・ケイヴとウォーレン・エリスの音楽も効果的だ。なお、本作はかの悪名高きハーヴェイ・ワインスタインが製作に関与している。第70回カンヌ国際映画祭では“ある視点”部門に出品され監督賞を受賞する等の実績を上げたが、米国内の賞レースには縁が無かったのは、そのためかもしれない。
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「ユーズド・カー」

2018-08-05 06:43:15 | 映画の感想(や行)

 (原題:USED CARS )80年作品。ロバート・ゼメキス監督の初期作品だが、後年アカデミー賞を取るほどに“出世”した彼からすれば、本作はもはや思い出したくもない“黒歴史”になっているのかもしれない(笑)。それほどこの映画はグダグダで、質的には語るべきものはない。ただ、向う見ずな勢いだけはあり、ところどころに面白いモチーフは散見される。その意味では、存在価値ナシと片付けるのも早計だろう。

 アリゾナ州フェニックスの郊外で道を挟んで建つ2軒の中古車販売会社は、互いに熾烈な販売競争に明け暮れていた。その一つであるニューディール中古車販売の社員ルディは、将来政治家になりたいという野望を抱いており、選挙資金を貯めるために積極的なセールスを敢行。そんな中、社長のルークが心不全で急逝してしまう。

 困った社員たちは、社長が長期休暇に入ったことにして、好き勝手に仕事を始める。だが、そんな時に10年間行方不明だったルークの娘バーバラが突然帰宅する。真相を知った彼女は、怒って全員を解雇。自分が社長を継ぐことにする。その隙をついて道向かいの業者の社長ロイ(実はルークの弟)が、あくどい方法でバーバラを窮地に追いやる。以前より彼女を憎からず思っていたルディは、ロイに敢然と立ち向かう。

 出てくる連中が、いかにもアメリカの地方在住者らしく、良く言えば皆ノンビリとして、悪く言えば能天気で垢抜けない。そんな奴らが巻き起こす珍騒動も、別に興味を覚えるようなものではない。この映画を観る直前に、たまたま“アメリカの中古車屋は実にいい加減だ”みたいな記事を偶然雑誌で見かけたので、さもありなんという感じである。

 ゼメキスの演出はテンポが悪くてパッとしない。それでも、ルディが宣伝のために電波ジャックを実行し、一般家庭のテレビにお下劣な画像が流れるシーンは笑えたし、ロイの陰謀を打ち砕くために、大量の車が店舗に突入する場面はちょっとした見ものだった。そしてラストのオチには思わずニヤリだ。

 主役は若き日のカート・ラッセルで、抜け目ないキャラクターを楽しそうに演じている。ルークとロイの一人二役を引き受けるジャック・ウォーデンも、さすがの海千山千ぶり。ただ、残念ながらそれ以外のキャストは精彩を欠く。なお、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグとジョン・ミリアスが名を連ねているのが(今から考えると)何とも場違いでスゴい(^^;)。
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「ワンダー 君は太陽」

2018-08-04 06:17:20 | 映画の感想(わ行)
 (原題:WONDER)あまりにも御都合主義的な設定とストーリー展開には呆れたが、作劇は工夫されており、キャストの好演もあって鑑賞後の印象はそれほど悪くない。観客のウケも良く、長期の公開になっているのも納得だ。

 ニューヨークで暮らす10歳のオギー・プルマンは、生まれつきのハンディキャップ(トリーチャーコリンズ症候群)によって顔の形が変形しており、何度も手術を受け、長らく療養生活を送っていた。やっと容態が安定したオギーは、初めて学校に通うようになる。しかし、クラスメートたちの偏見の目はかなり厳しく、シビアな現実に打ちのめされて塞ぎ込んでしまう。それでも何人かの友人を得て、家族の支えもあって前向きに努力するようになる。やがてオギーの外観に対して違和感を抱いていた他の生徒も、彼の存在を認めるようになるのだった。R・J・パラシオによる小説の映画化だ。



 オギーは見かけこそ超ユニークだが、もとより性格が良くて頭も良い。そしてポジティヴで勇敢だ。両親は仲が良く、いつも息子を応援している。クラスメートにはイジメっ子もいるが、大半の者は善良である。教師陣も出来た人物ばかり。オギーがピンチに陥っても、誰かがタイミング良く救いの手を差し伸べてくれる。斯様に“都合の良い”設定で、話もいたずらに主人公に重大な試練を与えずにスンナリと進む。

 ただ、それだけの映画だったら退屈極まりない展開になっていたところだが、オギーを取り巻く人物達を独自に掘り下げることによって、作劇に深みが出てきた。具体的にはオギーの高校生の姉であるヴィア、その友人のミランダ、そしてオギーの友人になるジャックの3人だ。

 題名通りオギーは太陽のように人を惹き付けるが、その影に隠れて微妙な屈託を抱いてる者達をクローズアップさせるという作戦には感心した。特に、随分前からプルマン家と交流を持ちながら、自身は家庭環境に恵まれずにヴィアと距離を置くようになったミランダの境遇には同情してしまう。



 スティーヴン・チョボスキーの演出はこれ見よがしなケレンを抑え、ソツがなくスムーズにドラマを進めていく。両親に扮したジュリア・ロバーツとオーウェン・ウィルソンは、正直大したことは無い。ある程度の演技力があれば、誰でもこなせる役柄だ。それよりも、オギー役のジェイコブ・トレンブレイの芸達者ぶりには感服する。「ルーム」(2015年)に続いて良い仕事をしていると思う。

 脇のキャストでは、ヴィア役のイザベラ・ヴィドヴィッチ、そのボーイフレンドを演じるナジ・ジーター、そしてミランダ役のダニエル・ローズ・ラッセルの3人の若手が要注目だ。これからキャリアを追ってみたくなる魅力がある。ドン・バージェスのカメラによる、透明感のあるニューヨークの情景。マーセロ・ザーヴォスの音楽も良い。
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「スニーカーズ」

2018-08-03 07:00:02 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SNEAKERS)92年作品。当時の製作陣は先進的なネタであると思い込んでいたようだが、大して上手く“料理”されておらず、冴えない出来に終わっている。

 1969年、二人の大学生が政府機関の銀行口座にハッキングして、寄付と称して慈善団体に送金するという事件が起きる。一人は逮捕されて獄中死したが、もう一人は逃げ延びた。90年代、逃亡に成功した元大学生(ロバート・レッドフォード)はサンフランシスコに“スニーカーズ”というチームを結成。セキュリティ・システムを通り抜けてその信頼性をチェックするのが彼らの仕事である。



 彼らは全員コンピューターに通じたプロだが、人の言えない過去を持つことでも共通していた。ある日、政府組織と称する一団から“ブラック・ボックス”と呼ばれるチップの盗みを依頼される。だが、それは彼らが国際的な陰謀に巻き込まれていくきっかけであった。

 監督は「フィールド・オブ・ドリームス」(89年)のフィル・アルデン・ロビンソン。レッドフォードをはじめ、ダン・エイクロイド、シドニー・ポアチエ、リバー・フェニックス、ベン・キングズレーなどが顔を揃えるオールスターキャスト映画でもある。

 さて、この映画の脚本に参画したウォルター・F・パークスは、ジョン・バダム監督の「ウォー・ゲーム」(83年)のシナリオも手掛けている。ハッカーが主人公なのも同じだが、力を合わせれば核戦争を回避できるといった理想主義的テーマを持つ前作と同じく、陰謀の真の目的がいわばユートピアを求めるものであったという結末も、何となく共通しているようだ。しかし、今回はその目的・手段があまりにも現実離れしていて青臭く、観ていて笑ってしまった。「フィールド・オブ・ドリームス」にもあらわれた60年代のカウンター・カルチャーへのオマージュなのかもしれないが・・・・。

 衛星回線を何重にも利用して政府機関に取り引きの電話を入れる場面を除いては、アッと驚くようなハッキング・テクニックは登場しない。クライマックス敵の本拠地への潜入シーンも、普通のサスペンス映画と同じで盛り上がることはないし、何よりもプロットが甘く、「ウォー・ゲーム」ほどハラハラする場面はなかった(ただ、デイヴィッド・ストラザーン扮する盗聴とオーディオのエキスパートでしかも盲目、というキャラクターは出色)。

 なお、ロビンソン監督はこの後はあまり作品を撮っていない。何となく「フィールド・オブ・ドリームス」だけの“一発屋”のような印象を、今のところは持ってしまう。
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