ポリネシア航海学会のパルミラ環礁航海(その4)

2009年12月08日 | 風の旅人日乗
【今回のパルミラ環礁航海で、サポート艇カマヘレのキャプテンを務めたマイク・カニンガム。アイリッシュ・マイクのニックネームでホクレアのクルーたちの信頼を集める。ボストン出身。photo copyright/Samuel Monaghan】


パルミラ環礁を出航した翌日からずっと、悪天候が続いた。
太陽はなかなか顔を出さない。
数時間おきにスコール雲が通過して
突風(スコール)と共に激しい雨(シャワー)が襲ってくる。


【設計上の問題なのか、カマヘレの揺れは激しい。その揺れで、ホクレアのベテランクルーであるバディーが足と腰に怪我をして歩けなくなった。激しい痛みだったに違いない。それを黙って我慢し続けた。回復するまでの数日間、ほとんど食事に手をつけなかった。カマヘレのトイレは壊れていて、小はペットボトルを尿瓶代わりに使えばなんとかなるが、大はデッキに出て船尾まで行かなければならない。バディーは、デッキに出る階段を自力で上がれなかったのだ。クルーに迷惑をかけることを嫌っての断食だった。photo copyright/Samuel Monaghan】


サポート艇のカマヘレのコクピットはパイロットハウスに囲われていて雨を凌ぐことができるが、
ホクレアのデッキにいるクルーたちはその激しい雨にさらされている。
北緯5,6度の中央太平洋の海面とその上空は、不穏なエネルギーに満ち満ちている。

ここは、そのエネルギーがハリケーンや強い低気圧を誕生させる海なのだ。
魚も釣れず、鳥たちの姿も見えない。
東に向かってひた走るカマヘレと、それに曳航されたホクレアだけが、この陰鬱な海に浮かんでいる。


【パルミラ環礁の珊瑚で怪我をしたサムの足。珊瑚の海でできた傷は治癒しにくい。やっと乾いてきたその傷口は、パルミラ環礁の形にそっくり。ホラー小説に使えるような、ホントの話。パルミラ環礁ではかつて有名な殺人事件もあったそうな。photo copyright/Samuel Monaghan】


パルミラ環礁を出航してから丸4日近く経った3月27日。未明。

空には相変わらず雲が多いものの、時折雲間から星も見える。
〈ホクレア〉を曳航する〈カマヘレ〉のGPSモニターが、
あと2時間ほどでハワイ島に向けての変針点に到達することを表示している。
パルミラ環礁出航前のクルーミーティングでブルースが指示した、
北緯6度、西経154度だ。

〈カマヘレ〉では、夜が明けるのを待ってそれをVHFで〈ホクレア〉に伝えることにしていた。
しかし、曳航索に曳かれて150メートルほど後ろにいる〈ホクレア〉を見ると、
夜明け前の薄い闇空の中を、クルーたちのヘッドランプと思われる赤い明かりが、忙しく動いている。

セーリングを始める準備をしているのだ。

ご存知の方もいるかと思うが、
ポリネシア航海学会のナビゲーターたちが身に付けている航海術は、
太平洋に伝わる伝統航海術に、近代天文学の知識を補足して補強している。

近代天文学の知識が加えられているとは言え、
時計はもちろん一切の航海用具を使わず、
天体の動きや海洋のうねりなどの、
自然現象だけを頼りにして大洋を渡るという点は、
古代から太平洋に伝わる伝統航海術と、まったく同じだ。

このトレーニング航海でも、
〈ホクレア〉にはもちろんGPSも六分儀も何も積まれていないし、
出航前にはクルーたちが腕にはめている時計も、
箱の中に入れられて封印されている。

それなのに〈ホクレア〉は、
曳航索を離す地点が近づいていることを知っていて、
セーリングの準備を始めている。

ナビゲーターのブルースは、この4日間、時折にしか見えない星や太陽から、
〈ホクレア〉の緯度を把握し、
曳航される〈ホクレア〉の推測スピードと、北赤道海流の流速の事前調査だけで、
〈ホクレア〉の経度を割り出しているらしい。

本や話では聞いていたが、
彼らの航海術を現実のものとして初めて目の当たりにして、
鳥肌が立った。

ハワイ時間午前6時。
春分の日から1週間後のこの日、真東よりも少し北側の水平線から、
雲の切れ間を縫って太陽が顔を出す。
それとほとんどタイミングを合わせるようにして、
曳航索をレッコせよ(離せ)との指示が〈ホクレア〉から出され、
〈カマヘレ〉のスターンのビットから曳航索を外す。

GPSのモニターを見ると、
その位置はまさしく、北緯6度、西経154度の海上だった。


【photo copyright/Samuel Monaghan】
(つづく)