パルミラ環礁から、〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉の2隻がホノルルに戻った翌日、
それはぼくが日本に帰国する前の日でもあったが、
ポリネシア航海学会のリーダーであるナイノア・トンプソン氏の母上のご自宅での夕食に招待された。
その夕食の前に、ナイノアが少し話したいことがあるという。
約束の時間に、ハワイカイに近いトンプソン家に行くと、
そこには、ホノルル短期大学の講師でもあり、ポリネシア航海学会の若いナビゲーターでもあるカイウラニ・マーフィーと、
その短期大学の総務担当者も顔を揃えていた。
少し遅れてブルース・ブランケンフェルド一家もやってきた。
その席で、ナイノアはぼくに、驚くような話を始めた。
彼ら、ポリネシア航海学会の伝統航海術をこれから学びなさい、と言う。
そして、それを身に付けた上で、日本の子どもたちも入学することのできる、航海を核にした教育を目指す学校をハワイに作ろう、と言う。
その学校で、海や航海から学んだことを通じて地球や人類の未来を考えることができる子どもたちを育てよう、と言う。
実は、現在計画されている〈ホクレア〉の世界一周航海でも、
ぼくは〈ホクレア〉が日本に来たときと同じように、
エスコート艇に乗ってサポートするという立場で参加できれば嬉しいな、と思っていた。
とは言え、日本人である自分がしゃしゃり出ることができるのはそこまでで、
〈ホクレア〉そのものに乗ることなど願ってはいけないだと思っていたし、
ましてや、彼らの伝統航海術を身に付けようとすることなど、
自分のような年齢の人間が考えることすらいけないことだと思っていた。
とりわけ、ブルースの奇跡のような航海術を見た直後なだけに、
一層その思いを強くしていたところだった。
〈ホクレア〉や伝統航海術に対してはそういうスタンスでいたものだから、
この話に、ぼくは非常に混乱した。
夕食が、ほとんど喉を通らなかった。
ナイノアもいっさい食べ物を口にせず、
食事の間中ずっと、彼の考えをぼくに話し続けた。
単なる思い付きを口にしているわけではない、君ならできると思うから話しているのだ、と言う。
しかしぼくには、どう考えても、考えれば考えるほど、自分には無理なことのように思えてならなかった。
食事が終わり、デザートも終わり、
ビールの残りを手にして、トンプソン家のテラスのベンチにぼんやり座っていると、
カイウラニが、肩にポンッと手を置いて、「多分、できるようになるよ」と一言、声をかけてくれてから帰って行った。
(続く)