ある月曜日の夕方 パリ

2011年10月10日 | 風の旅人日乗
ある月曜日の早朝、
イギリスのプリマスからロンドンに出て、
ロンドンからユーロスターに乗って
夕方、パリ北駅に着く。

翌日火曜日には、早朝暗いうちに
パリを出なければいけなかったから、
その月曜日の夕方からの数時間を、
パリを楽しむ時間として使うことにした。

今度の仕事旅に、ただ1冊だけ持参したのは、
開高健の『夏の闇』。
フランス滞在が長くなる今回の旅に
日本から1冊だけ携行するとしたら、
パリから始まるこの物語しかないでしょ、
という1冊。
もうすでに何度も読み返しているから、
ボロボロになってしまっている文庫本だ。

この物語のはじまりで、
主人公はセーヌ川越しにノートルダム寺院が見える
学生宿に宿泊している。



「いつ見ても川は灰黄色にどんよりにごり」
と表現されているセーヌ川は
これまで何度か見たことがあるけど、

「木立に囲まれた寺院が対岸にある。」
と書かれたノートルダム寺院は見たことがなかったし、
それだから、「寺院の屋根の怪獣はぬれしょびれている。」
と書かれている「怪獣」も、見たことがなかった。

その月曜日夕方からの数時間のパリ観光を、
その主人公とそれを書いた作家が寝泊りした宿の近くを散策することと、
「怪獣」の正体を見ることに使う時間にしようと思った。

パリでなくても、
たまに東京に出たりすると、仕事の前後に
池波正太郎のエッセイに出てくる場所や
山本一力や宮部みゆきの小説に出てくる
門前仲町界隈を歩いてばかりいるし
最近なんだか、やることが、
いよいよ年寄りめいてきた。

まあ、いいか。
だって、それが心地良いんだもの。

で、パリ北駅近くのホテルに
チェックインしたときにもらった地図を頼りに、
ノートルダム寺院に徒歩で向かう。

ホテルからは、ほぼ真南の方向。
セーヌ川に行き着いたら橋を渡る。
その先の最終アプローチは、
セーラーとしてのとしての勘に頼ることにする。
西に沈む夕陽を右に見て、パリ市内をずんずんと南下する。



最初は、
立派な建物のフランス最高裁判所をノートルダム寺院だと間違えた。
築地本願寺の雰囲気にになんとなく似てたものだから、
寺院というのは、洋の東西を問わず似るものだと感心した。

そこで一所懸命「怪獣」を探したんだけど見当たらず、
寺院の割にはやけに多いなと思っていた警備の警官のひとりに尋ねたら、
ことのほかマジな顔で「ノンノン、あっち、あっち」
とあっちを指差されて追い払われ、

次は、「あっち、あっち」と言われた方向の先にあった
大きな病院をそれと間違えた。
思いっきり陰気な雰囲気が、
西洋の寺院のイメージにピッタリと合致していたのよ。
「ノートルダムのせむし男」も出てきそうだったし。
ここでも、「怪獣」発見できず。

それからやっと、
その少し先にあるノートルダム寺院とおぼしき建物を発見。

なんだか写真で見たことがあるような気がする建物だし、
観光客もたくさんいるし、
これをノートルダム寺院だと判じて
ほぼ間違いなさそう。



建物の真下に行って、
そびえる建物を見上げて「怪獣」を探したら、
ある、ある。

建物の至る所から、ねこ科の動物の首のような
オブジェが突き出している。



それを見ながら、
「咆哮しようとして口をあけた瞬間に
凝視を浴びせられた姿勢で怪物は凍りついている」
という文豪・開高健の文章を思い出して、
改めて、身体ごと感動する。鳥肌が立つ。



ワタクシのような、
ただのセーリング馬鹿には知る由もないことだが、
この開高健の表現は、旧約聖書とギリシャ神話の故事に由来する、
奥深い表現らしい。

でも「寺院の屋根の」怪獣ではないなぁ。
すでに入館時間は終わり、屋根に登って確かめるも術ない。
ま、それを確かめるのは次の機会としよう。

セーヌ川越しにこの寺院が見えたのであれば、
『夏の闇』の主人公が寝泊りしていた宿は、
このノートルダム寺院がある川中島のシテ島の対岸にあったはずで、
橋を渡って、日没が迫るその界隈を散策する。



そのあと、日が暮れ切ったパリの街を、
ウッディー・アレンが監督した最近の映画、
「Midnight in Paris」
の主人公になり切って
ちょっとドキドキしながら脇道に入ったりして、
ホテルまでの夜の散歩をのんびりと楽しむ。



あわただしい旅の中で見つけた、わずか数時間の
観光だったけど、
とても充実したパリの時間になりました。