パリのゴーヤー

2011年10月11日 | 風の旅人日乗


ラロッシェルでの仕事を終え、
風向きによっては、
4階の部屋の、窓の目の前に茂る銀杏の木の、
例の、変てこな匂いに悩まされもしたけど、
おおむね快適だったラロッシェルの宿を出て、
ある水曜日の朝、パリに向かう。




このホテルの近くには、
魚介類、野菜、果物、花、お菓子などのマルシェが毎朝2つ立ち、
仕事の合間の時間に、異食文化と触れ合う時間を
興味深く過ごすことができた。






今回の移動も、フランス国営鉄道のラロッシェル駅から、
パリのモンパルナス駅への、高速列車TGVでの旅。






自分はもしかしたら鉄道旅行ファンなのかも知れないと、
今回初めて自覚した。

鉄道での、
田園や森林の風景を見ながらの移動がちっとも億劫でなく、
楽しい。寛げる。

自分はせっかちなだけの人間だと思っていたけど、
どうも、それは時と場合によるらしい。

ラロッシェルで仕入れたパンとチーズをかじりながら、
フランスの農村地帯の風景を楽しんだ鉄道旅行のあとの、
その日のパリでの宿は、
翌日早朝のユーロスター、ロンドン行きに乗るのに便利なように
パリ北駅すぐ近くのホテルを予約していたのだけれど、
行ってビックリ、そこはインド人街のど真ん中。

インド人もビックリしたかも知れないけど、
ニッポン人もビックリした。

街全体に、インドの匂いが充満している。
いや、比喩ではありません。
通りという通りが、インド原産の香辛料の香りに満ち満ちている。
通りを歩いている人のインド人率、95%強。
耳に入ってくる会話のインド語率、90%強。
花の都の意外な側面。

パリの中に、いきなりインド。
そんな感じ。
知ってましたか? 
パリ北駅の東側一帯がインドだってこと?
ワタクシはちっとも知りませんでした。

ニュージーランドのデイリーストアは
なぜかインドからの移民の人たちが経営していることが多いけど、
ここ、パリの中のインドでは、もっと当然のことのように、
デイリーストアもインド人が経営。

ここのデイリーストアでは、店先に野菜や果物も並べている。
今しも売り台に並べられようとしている野菜をよく見てみると、
なんと、ゴーヤー。

「この写真撮っていいか」
「おう、これ旨いぞ。安いぞ。買え買え」
「いえ、私はホテル。これ買うコマル。
写真に撮るだけ撮るだけ、しるるぷれ」
「おう、撮れ撮れ」
てな会話を店のオヤジさんと目と手で行なった後、
撮影。



憧れのカトリーヌ・ドヌーブも住む(たぶん)
花の都パリで会うなど、
思いもしてなかったゴーヤー、あるいはニガウリ。

いつもの夏は三浦半島の家の庭で次から次に生り過ぎて困るのに
今年は一つも実らなかったゴーヤー。
三浦半島に見切りを付けたキミがパリと深い関係になっていたなんて、
ボクは全然知らなかったよ。

あとで調べてみるとニガウリの原産地はインドなんですね。
知ってましたか?
ぼくは知りませんでしたので、激しくビックリした。
思わぬところで思わぬ勉強をさせてもらいました。

ところで、ゴーヤー元祖のインドでは、
ゴーヤーはどんな料理に使うんだろ?

ラロッシェル

2011年10月11日 | 風の旅人日乗
ラロッシェルの旧市街にあるホテルから近い
お気に入りのカフェの、お気に入りの席。



ラロッシェル滞在中3日間の毎朝毎夕、
一日の始まりのコーヒーとパンと、
一日の終わりのビールとワインを、
旧い歴史を持つ港の光景を眺めながら楽しむ。

日本の海洋マリンレジャーの黎明期、
操作のすべてを経験と勘に頼るしかなかった当時の難しいカメラで、
モノクロにこだわったセーリングシーンを撮り続け
ヨット雑誌『舵』に傑作の数々を発表していた
岡本 甫(はじめ)カメラマンは、
実は大のフランス・ファンで、
仕事中に海で着るセーターであれウールのコートであれ、
フランス製にこだわっていた。

フランスのブルターニュ地方に起源を発するデザインである
ボーダー柄のサマーセーターも、とてもお洒落に着こなした。

ラロッシェルという港町は、
そんな岡本さんの特にお気に入りで、
セーリングの仕事の後のコーヒーやお酒の時間、
大好きだったパイプたばこをくゆらせながらの話題に、
よく登場する街だった。

ぼくたち若いセーラーは、
そんな岡本さんの話を聞くのが嫌いではなかった。

岡本さんの発音する「ラロッシェル」の「ろ」の部分は、
フランス語の、例の、
鼻の裏側にいきなり異物が貼りついたかのような「R」の発音に限りなく近く、
その頃フランスなど行ったこともなかった
ぼくたち日本の若造セーラーも、
なんだかフランスの匂いをかいだような気分にさせてもらった。




【大時化の相模湾を走る名艇<月光>。撮影/岡本 甫 写真提供/舵社】


岡本さんは、88歳で今年の5月に亡くなった。
できれば、もう一度お会いしておきたかった。
かつて日本のセーリングを支えた人たちが
どんどん姿を消していく。
自分の歳まわりでも、世代交代が盛んになってきた、ってことだな。

そんな物思いにふけったりしながら
朝のコーヒーを楽しんだ後、
1時間ほどかけて、この3日間の仕事先、
ラロッシェル市のパブリック・マリーナまで歩く。





途中、日本では雑誌でしか見られないような
高速長距離航海専用ヨットたちが、
いたるところに係留されたり上架されていたりする。
見ているだけで心が躍る。

現在はこのラロッシェルのすぐ近くの港に上架されている
110ftのトライマランに乗って
太平洋を飛ぶように走った日々の思い出と感覚が戻ってくる。

夢を見失いつつあるような日本の若者たちに
これらのヨットを見せてあげたい。
これらのヨットに乗せてあげたい。








あの、唐突だけど、
100歳の詩人、柴田トヨさんって、素敵ですね。
100歳になって、自分より若い人たちを勇気づけることができるって、
本当に素晴らしい。

辛いことや苦しいことを乗り越えてきた100歳の
トヨさんが心を込めて語りかけてくれるからこそ、
その言葉のひとつひとつが
辛い思い出や苦境から立ち直ろうと頑張っている
東北の人たちの心に染み入る。

100歳だからこそ、できることがある。

叶わないかもしれないけれど、目指したい。

セーリング ビスケー湾180海里

2011年10月11日 | 風の旅人日乗
ある土曜日の朝。
フランスの、とある海辺の、とある村の、
小さなマリーナを静かに出航して、
おおよそ180海里先にあるラロッシェルに向かう。



今回のフランスへの旅の目的は
まだここでは話すことはできないものの、
この180海里のセーリングは
その仕事の重要なパートだったから、
カメラを取り出す心の余裕はなかった。

カメラを取り出す気になどなれないくらい
五感を集中して真剣にステアリングして
セーリングに没頭してはいたけども、
セーリングそのものも、
ビスケー湾の海と風も、
身体全体で楽しんだ。

この海を走るのは、
もう何年も前に日本チームとして
セーリングの『ツールドフランス』に参戦して以来のことだ。

約18時間、平均10ノットのセーリングのあと、
夜明け前に入港したラロッシェルの港の雰囲気も、
心に染み入るものがあった。

この街に、3日間ほど滞在することになる。