Nov. 8 2005 銭湯の絵

2005年11月08日 | 風の旅人日乗

11月8日 火曜日

 

本日も穏やかないい天気。

自宅2階から

富士山と江の島がセットで見える。

銭湯の壁の絵のような、おめでたい光景だ。ただし、風はない。

 

コンパスコース社の事務所は

今のところ自宅2階。

早く独立した事務所を構えられるよう、

いい仕事をしてきたいな。

 

午前中、

会社専用回線の電話工事が完了した。

 

午前、午後とも

事務所で今週の出張手配や原稿書き。

その後、

スポーツクラブのプールでひと泳ぎ。

 

夕方からお通夜。悲しいな。


Nov. 7 2005 訃報

2005年11月07日 | 風の旅人日乗
11月7日 月曜日

都内某社でミーティング。
その席で急きょ今週の木曜日から1週間、
スペインに行くことになった。

すぐに飛行機を手配するが、
出発日が近過ぎるため
JAL悟空チケットがもう無く、
結構高いチケットしか残ってない。

今週末の13日は、
東京・夢の島マリーナ主催の月例レースに
Oオーナー艇に乗りに行くことに
なっていたのだが、
残念無念キャンセルさせていただく。

電話で関係先と連絡を取り合った後、
虎ノ門・砂場のざるを食べて、一息付く。

夕方事務所に戻ってパソコンを開くと、
セーリングの大先輩の奥様が
昨日お亡くなりになったことを知らせる
メールが入っていた。

奥様も優秀なセーラーで、
とても美しい方だった。
関東のセーリング界では評判の
おしどり夫婦だった。

先輩の悲しみは想像を絶する。
どうして、いい人から先に
居なくなってしまうのだろう。

Nov. 6 2005 猛練習猛飲酒

2005年11月06日 | 風の旅人日乗
11月6日 日曜日

逗子マリーナのMオーナーとそのチームに
セーリング・クリニック。

関東地方南部は午後から雨
という予報が出ていたが、
相模湾には8~13ノットの
気持ちのいい秋の北風が吹いている。

なのに葉山・逗子沖で
セーリング練習しているキール・ボートは
葉山のMオーナーの〈S.J.〉と、
逗子の2隻のプラトーだけ。
風がもったいないぜ。

我々の本日のテーマは、
ダウンウインドのヘルムと、
波のある海面での
クルーズホールドのステアリング。

ダウンウインドでは、
ヘルムスマンとトリマーの間で
コンスタントに会話をしながら、
艇を常に最適なアングルとスピードで
走らせることに集中してもらう。

雨と共に来ると予想していた
南の強風が来なかったため、
波のある海面でのクローズホールドの
ステアリングはできなかったが、
その代わりに、
山のようにタッキング練習をした。

ヘルムスマンとジェノア・トリマー、
そしてメイン・トリマーのトリオで、
タッキング後のボトム・スピードが高く、
しかも短時間でスピードを回復できたタックが、
2度だけだが、できた。
こういうタックが毎回できるようになれば、
レース全体では10艇身も20艇身も
前に行くことができる。

バウマンが風邪で寝込んで欠席だったため、
久し振りにバウをやらせてもらって、
楽しんだ。

降り出した雨の中を
タッキング練習しながら逗子に戻り、
艇を片付けた後は、
いよいよ本日のメインメニュー、
オーナー夫人手作りの夕食会。

みんなこれが楽しみで練習に耐えている、
とも言えそう。

メニューをここに書くと
嫌味になるので書かないが、
美味しい食事をいただきながら、
前半はこの日の練習の反省会、
後半は、
酔っ払い談義を果てしなく。

Nov. 5 2005 パソコンの謀反

2005年11月05日 | 風の旅人日乗
11月5日 土曜日

朝、ニュージーランドの提携会社と
電話で打ち合せ。

ニュージーランドはいよいよ冬が終わり、
ゆっくりといい季節に向っているとのこと。
桜をはじめ、
家々の庭の自慢の花々が
美しく咲き始めたらしい。

NZとの打ち合わせが電話になったのは、
パソコンが壊れて修理に出したから。
電源スイッチが機械的に壊れたのだ。

どうも、
パソコンという物体に、
不信感が拭えない。
一般的な電気製品の常識からして、
二桁万円もする電化商品のスイッチが、
買ってわずか1週間で
押せなくなったりするものなのか?

電話で相談した
サポートセンターの男も、
どうも、そういう世の中の常識を
持ち合わせてないらしく、
会話が激しく噛みあわない。

コンピュータと話しているようだった。
不信感は募るばかりだ。

Nov. 4 2005 かつて生きた海の文人

2005年11月04日 | 風の旅人日乗
11月4日 金曜日

逗子駅前の本屋さんで、
葉山でセーリングを楽しんでいるMさんに
久し振りにお目にかかる。

Mさんは元・全日空のキャプテンで、
定年後の現在も、
別の会社でまだ空を飛んでいる
ベテラン・パイロットだ。

別れ際、
「2年後くらいに面白いことを
計画しています。
そのときには報告します」
と嬉しそうに話してくれた。


その本屋さんで探していた本は
見つからなかったが、
『海のサムライたち』という、
白石一郎氏著の面白そうな本を発見して
購入。

かつて白石氏の直木賞受賞作
『海狼伝』をメチャ楽しんだ。
白石一郎氏は、
日本ではメジャーになれない「海洋文学」に
こだわって作家人生を貫いた人だ。

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「日本は
四面を海に囲まれた島国でありながら、
日本国民の海への関心はきわめて低い。
 これは環境に適応するはずの
人間としては
おかしなことと言えよう。
本来、人々は海を眺めれば、
遥か水平線の彼方に
何があるだろうと空想し、
その彼方からやってくる船や人物に
大きな興味を寄せるはずだ。・・・」
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という文章で始まる前書に、
強く同感し、心を惹かれた。

不肖ワタクシがK誌に不定期連載中の
「海人 ウォーターマンの肖像」という、
海に関わって生きている人間を
紹介するページに、
是非登場いただいてお話を伺いたい
と思うのだが、
現実には、氏は残念なことに昨年、
志半ばで亡くなってしまっている。

日本人に、
自分たちが海洋民族であったことを
思い出してもらいたい、
という氏の願いと志を、
別の形で引き継いでいきたいと
願う。

Nov. 3 2005 ビールの願いは叶うのか

2005年11月03日 | 風の旅人日乗
11月3日 木曜日

普段は、日祭日はほとんど間違いなく
仕事なんだけど、
本日は、休日にすることにする。
弁当を持って、
葉山の森戸神社から降りていく
磯までのんびり散歩。

うららかな微風の中、
菜島の沖では、
ディンギーやクルーザーのレースが
いくつか行なわれているのが見える。

弁当を広げ、ビールを飲みつつ見学。
周囲の人間に、
「あの船はいい走りをしている。
あっちの船はセールの張り方に
少し改善の余地があるようだ」
などと解説して、うるさがられる。

しかし、いつも思うのだが、
海をセーリングで船がのんびり走っている光景は、
それそのものが、平和の象徴のようだ。

日本という国で、
セーリング文化が
もっともっと根付くことを、
ほろ酔いの頭で願った。

Nov. 2 2005 Team Nishimura

2005年11月02日 | 風の旅人日乗
11月2日 水曜日

午後から東京で、
あるチームの定例ミーティング。

このチームの仮称は、
Team Nishimura。

『日本の海洋文化を掘り起こし、
それによって多くの日本人たちに
自分たちが本来優秀な海洋民族であることを
思い出してもらい、
それをバックボーンにして
アメリカズカップへ再度挑戦をする』

という西村の夢に
賛同する人たちの集まりであるこのチームは、
放送関係者、広告企画・制作会社の社員、
大学の教授、助教授、
一般メーカーの営業部長、
などなど様々な分野で活躍する人たちで構成されていて、
まったくの仕事抜きで、
Team Nishimura Projectの準備推進を
手分けして進めてくれている。

この日も、
それぞれの仕事の時間をやりくりして、
約4時間、
来年春から始める計画のひとつについて
それぞれのアイディアを出し合った。

午後7時過ぎにミーティングが終わったが、
チームの皆さんはそれからまた
本来の仕事に戻るために
それぞれのオフィスに戻っていった。

重要なポストにある人たちが、
このTeam Nishimura Projectを
本気で応援してくれている。
嬉しいと思うと同時に、
改めて強い責任を感じている。

Nov. 1 2005 牡蠣の決意

2005年11月01日 | 風の旅人日乗
11月1日 火曜日

それにしても昨夜の牡蠣は美味しかった。

コンパスコース社の設立を祝う会を、
某外資系船会社役員のTさんと、
某大手電気メーカー部長のIに
催してもらい、
品川駅ビルのオイスターバー
「グランド・セントラル」で
牡蠣とワインを、
お勘定を気にせず思いっ切り
御馳走になった。

グイグイと出世していく友人を持つことは
とても有り難い。

このお店の本店は、
ニューヨークのセントラル駅にあって、
開高健のエッセイにも出てくる。

オーストラリアのタスマニア産の
牡蠣とワインを次々にやっつけながら、
厳しかったシドニー~ホバート・レースの
思い出話で盛り上がった。

TさんとIとは、
2度もシドニー~ホバート・レースを闘った戦友だ。
最初は惨敗したが、
2度目の挑戦では
日本艇最高位の3位を取った。

ワタクシが社長を務める新会社、
コンパスコース社でも、
いろんなセーリングファンのお手伝いをして、
その人たちの笑顔に囲まれたいと
決意を新たにした。