日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

法と正義  3

2011年12月04日 | 日記

A. 昨日(12月3日・土曜)、NHKが ”真珠湾から70年 第1回)”というドキュメンタリーを放映しました。

その中で、新聞のテレビ欄には「沈黙を破る涙の告白」とある、フィリピン戦線に従軍された86才の男性の回顧の1シーンが非常に印象に残りました。

そのシーンとは、米軍の上陸によって島の村民の男たちに武器が支給され、守勢に回っていた日本兵に、更に日本兵を殺し耳や鼻などを持参すれば米軍から賞金を貰えるという、賞金目当ての彼らのゲリラ攻撃が加わり、戦況は日本兵が無残な死に方をして行く一方の状況となって行く。そんな中で、日本軍の指揮官はまだ前面の米軍との戦闘を維持するため、後方のゲリラ掃討の作戦を立てた。そして男性はその作戦に従事される。以来、男性はその記憶を封印され、誰にも語って来られなかった。その男性が、封印されていた記憶を話されるというシーンです。

ここには、前回取り上げました、マイケル・サンデル氏が、 ”JUSTICE What's the Right Thing to Do ? ” (『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』 早川書房 2010.5)の中で問い掛けている、「歴史と責任」・「アフガンのヤギ飼い」・「暴走する路面電車」と同じ考えるべきテーマがあります。

1.その前に本ブログは、「NHKよ、何故老兵に鞭打つのか!」と問いかけます。

2.「歴史と責任」ということで言えば、告白された男性に罪はありません。国家としての戦争責任は、東条氏を始めとするいわゆる「A級戦犯」と呼ばれた人々が取られました。現地での個々の行為にの責任については、いわゆる「B・C級戦犯」と呼ばれた人々が取られました。

3.サンフランシスコ平和条約に従って支払い義務が発生した国家賠償金は、フィリピンをはじめすべて決着済みです。(参考資料:外務省 ”歴史問題Q&A”

4.起こした事実に対する道義上の責任については、私達はより善い社会を形成して行こうとする意志において、世代を継いでそれを負います。そしてここで「世代を継いでそれを負う」とは、一つのコミュニティの連続性においてであり、更にこの「コニュニティの連続性」を補足しておくならば、それは日本の社会を、明治維新以降現代までを一つの連続するコニュニティと考えるという意味においてです。このコニュニティのなかで起きた事象は、私達の次の世代もそこに私達祖父祖の道義上の責任があるなら、それがなぜ起きたかを明らかにし、正して行くという、あくまでもコミュニティ建設にプラスに関わる前向きの責任を全員で負います。

5.それ以外の非連続のコミュニティ、例えば豊臣秀吉の朝鮮出兵や、私達の祖先はアッシリアの地をくぐって来ているいるのは確かなのですが、その戦役などは現在は全く不明なのですが、それらの考証は、哲学者や思想家、歴史家や社会学者・文学者、或いは経済史家の範疇に属します。

6.以上のように考えますと、昨日の男性の告白を求めたNHKの放送スタンスは男性を傷つけただけなのではないかと、疑問が残ります。また、日本やアジアの反日家の人々を完全に利することになります。NHKの良心とは国を分断し、アジアの国々と人々を離反させることなのでしょうか?

B. 次に、マイケル・サンデル氏が「アフガンのヤギ飼い」と「暴走する路面電車」で提起されたテーマに移ります。

1.先の男性が回顧されたシーンには、マイケル・サンデル氏が自著で問い掛けられた「アフガンのヤギ飼い」と「暴走する路面電車」のテーマを完全に含みます。
指揮官は部隊の兵員を守るために、おそらく火力・兵力において圧倒的な優位にあったアメリカ軍を見て、現地の人々の殆どが反日ゲリラとなっていた思われる状況の中で、ゲリラ掃討の作戦を立てます。この作戦は村落の非戦闘員も死ぬというものでした。この指揮官は誤っていたでしょうか? 

2.指揮官は、劣勢な火力で正面のアメリカ軍に対するにあたって、最小の犠牲で最大の効果を求めるには、周囲のゲリラは部隊にとって大きな脅威であると考えたと思われます。

3.それでも、彼の作戦と命令は非戦闘員も死に至るという意味で、指揮官は裁きに値します。

4.これに類した作戦を、アメリカ軍はベトナム戦争で行いました。そしてアメリカ軍は敗北しました。

5.上記二国の例から、「アフガンのヤギ飼い」も「暴走する路面電車」も、行為のもたらす効率をもって考えられる戦争行為は、それが人道に反するものであれば、それは許されるものではなく、ひいてはその戦争を行う国に対して人心は離反し、国は亡びるという結論を得ます。

6.当たり前の結論ですが、軍は人々の支持と法と共になければなりません。

7.そして法は、人々が善を実践し、善き生活を送り、社会を建設することをを支えるものでなければならないと考えます。

 

 

 

 

 



                   

                                  12月の朝


 

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