大槌町訪問
大槌町へ行ってきた。
小さな町であるが、その町はなくなっていた。
5月15日(日曜)、東北新幹線・新花巻経由で釜石まで行き、釜石からバスで大槌へ向かう。
釜石には13時21分に着いた。そこから大槌まで電車だと16分ほどで着く。
山田線は運行していない。バス乗場を捜す。
大槌への直行は16時02分までない。バス停にいた人に尋ねると、
「道のやまだ駅」行きが、幸いなことに、大槌付近を通る。
停留所名を見ても、「吉里吉里」」と記憶にある名前がある。
次便は14時57分である。
駅の待合室には、高校生らしい15、6人の男女がいた。皆、ジャージー姿である。
どういうグループだろう? 大槌高校か、 釜石高校あたりの生徒で、部活後の帰りか?
それにしては何も持っていない。
バスには彼らも乗り、満員であった。
下車する所を「大槌バイパス(ローソン付近)」と見当をつけて、降りる。
先程の女子高校生の5、6人も一緒であった。
彼女達が丸くなって喋っているのを後に、大槌の町と思われる方向に歩く。
途中、ガレキの中に夫婦と思われる人がいた。
「大槌へはどう行けば良いのでしょう?」
不幸に直面した人の硬さが見える。
「赤浜に行きたいのですが」
表情が和らぎ、歩いて行くのは大変だが、3、4km先の左手が赤浜地区だと教えてもらう。
町には人はいなかった。
時折、車が通る。
消防隊員らしき人たちが土を掘り起こしている。
パトカーが一台通った。
自衛隊のショベルカーが廃材をトラックに積み込んでいる所が一箇所あった。
どこかで作業をやっているのか、自衛隊のトラックが何度も通る。
町は、残骸を残すばかりだった。
湾口に防潮堤があった。
壊れている。
地震で地盤が崩れたところへ、波の力が加わって壊れたのだろう。
赤浜地区に入り弁天島前に来る。
岸壁は海面すれすれである。
確かこの岸は海面より高かった筈だ。
沈下したか、基礎が破壊されたものと思われる。
八幡宮を見つける。
下の家屋は全て壊れている。
途中、若い夫婦らしい三人の家族連れに出会った。
「○○さんは無事でしたか?」
昔の知人の姓の消息を聞いてみる。
「○○はそこ(私達が会話をしているすぐ下)と、この上の地区の○○にある」。
御主人らしい人の返事が返って来る。
「そこです」と、私は下を指さし、今度は「○○さんです」と名前で尋ねる。
長い年月を経ているため、私の尋ねた人の消息はよく分からないらしい。
「旦那さんが○○大に勤める○○様ですか?」と、奥さん。
(この地区では人に様をつける風習がある)。
「時間が経過しているため、そこら辺の事情は分からないのです」と、私。
「○○様はダメだった」と、御主人。
「そうですか、○○さんはどうでしょう?」と、私は再び尋ねる。
「○○はたくさん居る」、と御主人。
「そうです」と、私。
「この地区の者は、赤浜小学校に避難している。そこへ行ってみると良い」と、御主人。
「そうですか。どうもありがとうございます」と、私は答え、会話は終わった。
御夫婦は○○の一族の人であったのかも知れない。
旅は緊張を強いるものであった。
不幸の渦中に入るのである。当然であろう。
若いご夫婦は、このブログなぞ見られる由もないであろうが、
偶然にお目にかかり、良くお相手してくださった。
改めて感謝を申し上げさせて頂きたい。
地区を出る帰路、一人路上にたたずむ年配の男性と会った。
「ここら辺でバスは来ませんか?」と聞いてみる。
「ここがバス停だ」という返事が返って来る。
標識も何もない。
ここら辺に住んでいた人なのであろう。
私: 「きれいに流されましたね」
その人: 「はい」
あとは言葉が継げない。目の前に広がる光景に出す言葉はない。
一緒にバスに乗った。
男性は涙をぬぐい泣いていた。
帰路は、釜石17時42分発の盛岡行に乗れた。
普段は、新花巻で19時56分のやまびこ68号に乗り継ぎ、東京から千葉に帰って来れる。
しかし当日は、臨時ダイヤでそれがなく、20時56分発のはやて150号で仙台まで行き、郡山まで乗り継いだ。
郡山の安いビジネスホテルで一泊した。朝食サービス付きで、4980円であった。
前日の夕食は、駅売店で買ったピーナッツと水だけであったので、朝食には助かった。
帰って来たのは16日朝である。
大槌に行ってみて思う。
復興は一地方自治体の手を越える。
そして、今回の3月11日の地震と津波の被害は、福島原子力発電所の傷を含め、
当初思ってより深い。
どうすれば良いか?
考えて見る。
A.復興
1.先ず、地場の主力産業が稼働するプラットホームを再び作ることと、ガレキの撤去を同時進行で行う。
大槌・赤浜の場合、見たところ港は平坦に片付けられているように思えた。
これから岸壁を造り、船が着けられるようにするのだろう。
2.「平成23年(2011年)東北・北日本大震災特別復興法」を作る。
そこで、ガレキの撤去は自衛隊が行うことと、補助人員の動員を明文化する。
補助人員は、全国から募集した有給の人達(失業対策にもなる)と、ボランティアの人たちで構成する。
ガレキは地域毎に集積するか、一箇所に集積し埋め立てに使用する。
沖の鳥島を埋め立て陸地を造っても良い。(しかし、可能か?)
3.資金は「特別復興法」に基づき、政府特別債を発行し日銀より調達する。
インフレ懸念は、先ず人と物と金がまわることが大切で、
政治家たらんとするものは、それ位の腹をくくる必要がある。
そして、国と地域のビジョンを描き、そこに人と金を集中して行く。
4.防潮堤は、国交省が計画・築造・管理を行う。
B.福島原子力発電所事故対策
1.東電から福島原子力発電所を切り離し、経産省内ないしは政府内に直轄のプロジェクトチームを新たに作る。
事故対策は国のプロジェクトとし、チームは人と物の配置と調達に対して自由に行える権限を持つ。また、独立行政法人とはしない。
事故補償も同チームが行う。
2.事故対策プロジェクトチームの権限と資金の法的根拠は、Aの「復興」で述べた「特別復興法」に明文化するか、別に
「東北・北日本大震災福島原子力事故特別対策復興法」を立法する。 資金も長期政府特別債を発行し日銀より調達する。
C.内閣
1.5月16日、テレビ報道によれば、枝野官房長官が東電に対する債務放棄を銀行に求める旨の発言をし、
銀行株が値を下げていると言う。考えるに、現内閣は、先の事業仕訳における蓮肪さんの「二位じゃダメなんでしょうか」発言といい、
今回の枝野氏といい、国の政策に対する広角的視野を欠く発言をされる皆さんばかりで、その二番煎じの安易な政策の羅列は、
日本と経済を縮小させる方向にしか動かない。現在は非常時である。
非常時には非常の事態に対する手当てが行え、尚、経済を縮小させず、拡大させる政策立案を行える人物と内閣が必要だ。
NHK諸氏の言葉を借りれば、今、それが求められている。
旧大槌町役場 1
旧大槌町役場 2
町長は津波にさらわれ、死亡された。
倒壊した橋脚
倒壊した防潮堤
弁天島 1
井上ひさし氏の「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われる。
弁天島 2
消防団の消防車
人々の津波に対する意識は常に高いものがあり、無念さが思われる。
赤浜小学校(左側)
左側建物 常楽院?
八幡宮 1
八幡宮 2
八幡宮前の大木
倒壊した赤浜地区の一部と大槌湾