新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

日本人」として恥ずかしい人権国家の現状

2023年04月28日 11時51分58秒 | 岸田統一教会内閣

昨日は、「衆参補選で全敗。自民党を“救った”立憲民主党の『戦略的だらしなさ』」という記事を引用して、「今の立憲民主党では岸田文雄内閣は永遠なり!か」とつぶやいた。
 
これはあくまでも衆参の補選の結果だけからみた批判であったのだが、統一地方選全般から見れば、決して自民党の一人勝ちとは言えず「東京21区議選の結果に自民真っ青…首都圏の議席壊滅危機で衆院解散に急ブレーキ」という記事によれば、「自民は21区議選に計295人の公認候補を立て、70人が落選。16人中7人と候補の半数近くが敗れた杉並をはじめ、各区で議席を取りこぼし、改選前から総獲得議席を10減らした」という。
 
さらには、あまりメディアは騒いでいなかったが、こんな事態になっていたという。
 
自滅した高市、世耕、西村。地方選と補選でポスト岸田を狙う面々の手痛い「敗戦
  

■実力者たちが次々自滅。地方選と補選で露呈した自民が抱える深刻な問題
統一地方選と5つの衆参補欠選挙が終わって、何がどうなったかと問われたら、関西圏における日本維新の会の勢力拡大がやたら目立ったと答えるほかないだろう。
自民党は衆参補選で4勝1敗だと言っても、衆院千葉5区、山口2区、参院大分は僅少差で、時の運しだいでは1勝4敗もありえたほどの大接戦だった。
そんななかで、筆者が関心を向けたのは、地元で候補者を擁立したすえに“敗者”となった自民党実力者たちの姿だ。いずれもポスト岸田を虎視眈々と狙う面々だけに、権力レースのうえで痛い黒星といえる。
自民党参議院幹事長の世耕弘成氏は和歌山1区に元衆院議員、門博文氏を擁立し、維新の新人、林佑美氏に敗れた。
周知の通り、世耕氏は安倍派に所属し、安倍晋三元首相が亡くなって10か月近く経ってもなお決まっていない後継会長の有力候補の一人である。
その地元・和歌山の衆議院1区で補欠選挙が行われることになったのは、2009年以来5回にわたって議席を獲得していた岸本周平議員(当時・国民民主党)が昨年11月の和歌山県知事選に出馬したからだ。
空いた議席をめぐる自民党和歌山県連の候補者選びは難航をきわめた。県連の最高権力者である二階俊博元幹事長は当初、直系の参院議員、鶴保庸介氏をくら替え出馬させる案をまとめようとしたが、世耕氏が横やりを入れた。
岸本知事の誕生を後押ししたのも二階なら、鶴保氏の参院から衆院へのくら替えを主導するのも二階という県連の権力構造を打破したかったからだろう。
世耕氏自身が総理の座をめざすため、衆院にくら替えするチャンスをうかがっている。だが、近いうちに衆院解散が予想されるなか、今回の補選には出たくなかったに違いない。
狙うとすれば解散後の総選挙だが、昨年11月28日に公布された改正公職選挙法により、「10増10減」の新区割りが適用され、和歌山の衆院小選挙区は3から2に減ることになっている。ただでさえ狭くなる門に、参院から割り込むのはかなりの荒業だ。
そこで世耕氏にとって重要なのは、県連における二階氏の主導権を奪い取ることだった。鶴保氏に替わる候補者として世耕氏が推した門博文氏もまた二階派ではあるが、なにより世耕氏の人選が通る形をつくることが大切だった。
もちろん、推す候補者が負けては話にならない。門氏で勝てると踏んで後押ししたのだが、党勢拡大をはかる維新が和歌山まで進出し、保守王国の牙城を崩すとは想像も及ばなかったに違いない。
門氏の落選が確実になったあと、二階氏は集まった支援者になにも語ることなく、選挙事務所を後にした。
世耕氏は「和歌山選出の議員として地元を落としてしまい申し訳なく思っている。かつてないほどの運動を展開したつもりだが…」と悔しさをにじませた。
二人の姿が全てを物語っていた。世耕氏が責任を引き受けた瞬間だった。
■自業自得の高市早苗、相手が強すぎた西村康稔
維新の凄まじい勢いは高市早苗氏(経済安全保障大臣)の野望も打ち砕いた。前半戦の奈良県知事選。高市氏が会長をつとめる自民党奈良県連は、高市総務相時代の秘書官、平木省氏を推薦したが、それに現職市長の荒井正吾氏が反発し、自民の一部県議らが荒井氏の支援に回る保守分裂選挙となったため、維新が公認した元生駒市長、山下真氏の圧勝を許した。
なぜ高市氏が荒井氏を擁立しなかったのかについては、世論調査の結果だとか色々な理由があげられているが、要は、自分の扱いやすい平木氏にすげ替えたかったということだろう。
だが、荒井氏は頑として引き下がらず、党本部に泣きついた。昨年11月に、森山裕・自民党選対委員長から電話で「出馬した方がいい」と励まされたのに意を強くしたのか、12月には党本部を訪れ、二階元幹事長から「がんばれ」と尻を叩かれた。
荒井氏が出るとなれば、県連は一枚岩というわけにはいかない。文字通りの分裂選挙となり、票は大きく割れた。高市氏の敗戦の弁も、恨み節に終始した。
「県連推薦以外の方を党本部が応援したのではないかという疑問の声も上がっている」「県連が分裂したように報じられることは、平木候補を全力で応援してくれた県連の皆様から耐え難いという声をいただいている」
荒井氏とうまく話をつけることをせずに、党本部が悪い、メディアが悪い、とまくしたてても、後の祭りだ。問題は高市氏自身にある。
世耕氏と同じく安倍派の後継会長の座を狙う西村康稔氏(経産相)もまた、今回の統一地方選では痛い目にあった。
明石市長選。といっても、戦う相手は維新ではない。子育て支援で全国的な知名度を誇る明石市長、泉房穂氏が2011年2月に設立した地域政党「明石市民の会」だ。
暴言問題の責任をとり4月末の任期満了で退任する泉氏が「明石市民の会」推薦の後継者として送り出した丸谷聡子氏が大差をつけて当選し、西村氏が担いだ林健太氏はあえなく落選したのである。
西村氏は明石市と淡路島を区域とする衆院兵庫9区で7期当選を続けている。泉氏とは東大時代からの知り合いだ。泉氏の動きに対抗するため、県連の意向をさしおいて、自民党市議のなかから「若い力に期待したい。全責任を取る」と林氏を指名した。
しかし、泉氏の人気は並外れていて、明石市議選でも「明石市民の会」に所属する5人が全員当選した。
西村氏は選挙結果を受け「完敗だ。候補者自身はよく頑張ったと思う。全責任は私にあると考えている」と語った。
西村氏は4月16日放送のBSテレ東番組で、「日本の将来のため、リーダーとしてやらなければならないという気持ちは強く持っている」と述べ、首相をめざす意欲を示したばかりだ。
しかし、西村氏については、その過度な要求にストレスをかかえた秘書が次々と辞めていったことが週刊誌で報じられるなど、人望のなさが問題にされることが多い。
西村氏と灘校・東大の同窓である精神科医の和田秀樹氏は「頭はすごくいいけれど、人の気持ちへの共感能力が極めて低い。地元兵庫や記者も、上から目線で不遜なところがある嫌な人という印象を持っているようだ」(PRESIDENT Online)という。それが本当だとすれば、とても首相に向いているとはいえない。
■一連の選挙で露呈した自民党の抱える深刻な問題
以上、三人の自民党実力者たちに共通するのは、自信過剰ゆえの視野狭窄であり、欲深さゆえの自滅だ。
ただ、これらの選挙における敗戦を、首相候補を自任する彼らの力をもってしても十分に選挙組織をまとめ切れなかったという点でとらえると、自民党のかかえる深刻な問題がくっきりと浮かび上がる。
創価学会や統一教会の票に依存する病が全国の党組織に広がり、自民党の集票基盤が想像以上に傷んでいるのではないかということだ。
政局的には、5月19日から3日間のG7広島サミットが終わったあと、来秋の自民党総裁選をにらんで、岸田首相がいつ解散、総選挙に踏み切るのかが焦点になる。
岸田自民党の側から冷静に見ると、維新の躍進は今のところほぼ関西に限られており、在阪メディアの報道ぶりの影響も大きいため、さほど切迫した脅威とはいえないかもしれない。軸足の定まらない立憲民主党は言わずもがなである。
しかし、だからといって、自民党が安泰であるとも思えない。野党の弱さにかまけて、人材を育てることを忘れ、そのために党内に切磋琢磨する気風が乏しい。それが、先にあげた3つの選挙の敗戦にもつながっているのではないだろうか。

 
もっとも、高市、世耕、西村が、「三人の自民党実力者たち」と呼ばれるほど自民党も人材不足であり、順調に後継者らが育っていないことを如実に表している 
 
それでも自民党内最大派閥の「安倍派」の会長ポストを狙っているコヤツも、旧統一協会にドップリ浸かっている「壺議員」なのだが、その人権感覚の欠如も甚だしいものがある。
 
『サミットで切るのは筋が違う』 LGBT法案で自民・萩生田氏」 
 
    
 
こんな最近の風潮について、東京新聞の「本音のコラム」でジャーナリストの北丸雄二は「そして誰もいなくなった」というタイトルでこんなことを言っていた。

 「不当な差別は許されない」には二つの解釈が可能です。差別は不当だという共通認識を基に、「不当な」という本来はなくとも通じる形容を敢えて「差別」にかぶせて強調する意味。もう一つは差別には正当なものもあり、そちらは許されるという暗示。性的少数者(LGBTQ)の人権保障に関し、自民党は2年前に党内右派が頓挫させた「理解増進法の差別は許されない」との表現を、後者のさらに狭義の「差別」に後退させたいようです。それも前者の擬態を纏わせて。
自民右派はどうしても少数者たちの人権を制限したいんだな。それは旧統一協会や神道政治連盟などの差別集団がまだ選挙では蠢いていたのを黙認(あるいは裏で歓迎)していることからもわかる。それでもG7が来月に迫り米国が「差別の禁止こそ必要」と迫るもんだから、法制化が必要なら骨抜きだと法案の有名無実化に舵を切った。
このままではこの国はダメになると言われ始めて30年。その間に原発事故は起き、気候変動は激化し、経済は覇気を失い、政権交代はあったものの政治は保守を装い過去の栄光にしがみつき、理解増進の口先主義入管法改定の排外主義夫婦別姓拒否の男性主義原発60年超運転の楽観主義で日本の新たな可能性を潰し続けている。そして次の30年後には現政権の誰もが責任を取らず消えていくのです。

 
「原発60年超運転の楽観主義」の表れがこの記事である。
 
原発政策の大転換なのに…拙速な審議、再生エネなど5本の『束ね法案』が衆院で可決
 
       
              東京新聞より  
 
さらに、「入管法改定の排外主義」に関してはこんな怒りの声がある。
 
人権国家」なんて言うな!」 
 
「外国人嫌い」な人たちの矛盾
不思議に思うことがある。
 少子化を嘆き、労働力不足に陥り始めた日本で、なぜこんなにも外国人を排斥し、国外退去を迫る人が多いのだろうか?
 むしろ、彼らを大切にして、仲間として一緒に暮らすほうが、衰退し始めた日本にとっては必要なことだとぼくは思うのだが、そうは思わず、やたらと外国人嫌いを声高に叫ぶ一群の人々がいる。そういう人が、政府官庁にもいるのだから始末に負えない。
 街を歩いてみるがいい。工事現場などで懸命に働く人々の中には、必ずといっていいほど外国人が混じっていることに気づくだろう。いや、むしろ外国人ばかり、という現場さえある。日本の労働現場のかなりの部分は、外国人労働者に頼っているのだ。そうしなければ、もはや日本の現場は回らなくなっている。
 少子化が進行し、労働力不足が深刻化している日本にとって、外国人労働者は、何にも勝る貴重な戦力だ。積極的に受け入れて、不足している労働力を補ってもらい、共に暮らしていくというのが、衰退日本のこれからの道ではないのか。
 だが、外国人を差別し、何かといえば「国へ帰れ」などと言い募る連中には、では、不足した工事現場の労働者に自らがなり替わるという決意でもあるのか。イヤな仕事を押し付けておいて、期限が切れたから不法滞在だ、さっさと帰れ、などと言い立てる神経が、ぼくにはよく分からない。まるで江戸時代末期の鎖国主義者みたいだ。
 そのくせ、外国人観光客の使う金に頼っている日本経済。あからさまな矛盾について、この類いの人たちは沈黙している。
人間を「処理する」という発想
 普通に暮らし、働き、税金も払っていた外国人が、ある日突然「不法滞在者」というレッテルを貼られて、本国への帰国を迫られる。中には日本で生まれ、日本語しか話せない外国籍の子どもを、親からむりやり引き離してしまうという、ほとんど“人非人”まがいのことをすることもある。拒否すると、「牢獄より非人間的」といわれる「入管施設」に強制収容されてしまう。
 入管施設、すなわち出入国在留管理庁の収容所のことである。
 なぜこれが牢獄以上に非人間的か?
 それは、収容期限がまるで分らないということからくる残酷さである。普通の刑事被告人であれば、裁判所の判決によって刑期が決まる。懲役〇年と示されて、釈放されるべき時期が本人にも分かる。指折り数えて刑期終了の日を心待ちにする。それが収容者にとっての希望である。
 しかし入管の収容者には、その期間が分からない。指折り数える夢さえ奪われてしまうのだ。いつ解放されるか分からない「牢獄」である。裁判も何もない。収容期間は入管当局者に恣意的に決められてしまう。これほどひどい「刑罰」があるだろうか?
 しかも、それを受けるのは、いわゆる「犯罪者」ではない。殺人犯でも強盗でも詐欺犯でも交通事故を起こしたわけでもなく、「不法滞在」と一方的に決めつけられてしまった人たちである。一旦収容されれば、いつ果てるとも知れない監禁状態に置かれたまま、日々を過ごさざるを得なくなる。
 死刑囚として世界最長の拘束を受けた袴田巌さんは、その延々と続く監禁状態に耐えきれず、ついに「拘禁反応」を発症、妄想の世界へ逃げ込んだ。そうしなければ、自己を保つことができなかったからだ。同じことは、入管収容所でも起きている。大声を上げたり、あらぬことを口走ったりするという症状が、収容者に出てくるのだ。これを非人間的といわずして何と呼べばいいか。
 実際、入管当局は収容者を人間扱いにしていないと思う。出入国在留管理庁のHPを覗いてみると、そんな気がするのだ。
 そのHPの中に「令和4年における難民認定者数等について」というページがあるが、そこには、(1)難民認定申請数 (2)処理数…などと言う記述が出てくる。
 何気なく書かれたものだろうが、ぼくはこの「処理数」という言葉遣いにゾッとしたのだ。必死の思いで難民申請したであろう人たちを「処理」するという。人間に対する言葉遣いとは思えない。難民申請をするような人は「人間扱い」しなくてもいい、という考えが底に潜んでいるとしか思えない。
入管法の「改定案」を巡って
 こんなひどい状況の基になっているのが「入管法」だが、その改定案(決して「改正」ではない)を巡っては、世界から厳しい目が向けられている。5月19日から始まるG7サミットを前に、日本はさらに醜態を晒そうとしているのだ。
 国連の人権理事会の専門家たちは、こんな日本の状況に厳しい勧告を行った。毎日新聞(4月21日付)の記事を見てみよう。
 
 国会で審議中の入管法改正案について、国連人権理事会の専門家らが「(内容が)国際人権基準を満たしていない」として、21日までに共同書簡で日本政府に見直しを勧告した。18日付で公表された書簡によると、難民認定申請が3回以上の場合は強制送還を可能にしている点や、裁判所による収容の当否の審査を欠き、収容期間の上限を設けていないことなどを指摘している。(略)
 書簡は、法案について「我々が同様の指摘をした2021年の法案(入管法改正案)と根本的に変わっておらず、国際人権基準を満たさない」と明言した。具体的には、難民認定申請が3回以上の場合に強制送還を可能にすることについて、危険な場所に難民を送還しない難民条約の原則に反していると指摘。送還対象者全員を収容する原則収容主義が維持され、収容を例外として自由を原則とする国際諸条約に沿っていないと記した。収容せずに送還手続きを進めるための新たな「管理措置」についても、保証金支払いや対象者の生活報告を求める内容が残っており、「差別的でプライバシーに反する」と批判。子どもの収容をしないなど、子どもの権利にも反すると強調した。(略)
 
 国連機関の専門委員たちに、これほど徹底的に批判されるのも珍しい。政府は口を開けば「日本は人権尊重国家である」と強調するが、こんな「改定案」を出してくる政府のどこが人権尊重なのか。この日本への勧告に対して、斎藤健法相は「この勧告は、国連人権理事会からの正式な指摘ではなく法的拘束力はない。一方的な公表に抗議する」と言明、もはや逆ギレ状態である。
 痛いところを突かれると逆ギレするのは、どうも自民党閣僚らの性格らしい。あの高市早苗経済安保担当相の開き直りぶりを見ると、それがよく分る。それにしても、これだけ具体的に「非人権的法案の瑕疵」を指摘されながら「一方的な公表に抗議する」とは、恐れ入谷の鬼子母神である。
外国人永住に猛反発する極右派
 以前からその非人間性について、入管は、ずいぶん指摘され批判も浴びてきたのだが、あのウィシュマさんの「獄中死」(としか思えない)をきっかけに、日本の「難民認定制度」や「入管収容施設の非人道性」について、世の中の目が厳しいものになってきた。それに伴い外国人労働者の問題も浮上してきた。
 「特定技能」という、きちんと考えて作られたとは思えない制度の問題もそうだ。朝日新聞(4月25日付)が以下のように報じている。
 
外国人労働者「永住」拡大へ
特定技能2号、11分野に
 人手不足の分野で外国人労働者を受け入れる在留資格「特定技能」について政府は24日、在留期間の更新に制限がなく、家族も帯同できる「2号」を現行の2分野から11分野に拡大する方針を自民党に示した。(略)
 経済界からの要望を受けた措置で、幅広い分野で外国人の永住に道を開く転換点となるが、自民党保守派などからは「事実上の移民の受け入れにつながる」といった反発が予想される。
 特定技能は、深刻な人手不足に対応するために、一定の専門性を持つ即戦力の外国人を受け入れる制度。2019年4月に導入され、1号と2号がある。
 1号には飲食料品製造、産業機械など、製造、農業、介護の分野などの12分野があり、「相当程度の知識または経験」が求められる。在留期間の上限は5年で、家族は帯同できない。(略)
 
 現行の「特定技能制度」も、考えれば相当に「非人道的」だ。何しろ5年間は家族と暮らせないのだ。子どもがいた場合、5年間の離れ離れ生活が親子にとってどんなに切ないものか、こんな制度を作った連中の、それこそ人権感覚を疑わざるを得ない。
 「2号」はもっと熟練した「特定技能」を求められるが、こちらは人手不足が特に深刻な建設と造船・舶用工業の2分野に限られている。要するに、財界からの要望が色濃く反映されている措置なのだ。
 ところが現在、1号の外国人労働者が約14万6千人なのに対し、2号はたったの10人である。たったの10人だよっ!
 2号は家族を連れてくることも可能だが、それがわずか10人である。政府はほとんど認めていないのだ。つまり、家族みんなで日本へ…などというのは、自民党政府お得意のゴマカシ政策に過ぎない。はなっから、外国人労働者の日本永住を認める気などないのだ。それを指摘されるのが嫌だから「特定技能2号」などという使う気もない制度を付け足したに過ぎない。そうでないと言うのなら、〈14万6千人:10人〉という圧倒的な非対称をどう説明できるのか。
 それを今度は改定して、家族帯同で永住も可能の分野を、2分野から11分野に広げるという。けれど、名目上は拡げたとしても、認定はかなり難航するだろう。岸田政権は、自民党極右派の「外国人永住に反対」という声を無視できないからだ。
 例の「日本は単一民族国家」という、まさに江戸時代から変わらぬ偏狭な民族主義を標榜する極右派が、自民党のかなりの部分を占めている。世界の潮流から取り残され、世界の孤児になる道を自ら選ぼうというのだから、それこそ「反日集団」だ。
 何かかがあれば、すぐさま「国へ帰れ!」と喚きたてるネット右翼を支持基盤とする連中なのだからどうしようもない。
現代の奴隷労働
 「現代の奴隷労働」とまで言われる「技能実習生制度」に関しては、もっとひどい。
 日本で様々な職業技能を学んで帰国し自国でそれを生かす、というのが建前だが、実際はほとんどが低賃金で過酷な労働を強いられているのが現状だ。「日本へ行けば稼げる」などという甘言に乗せられて来日したけれど、約束上の賃金は支払われず長時間労働を強いられる、という事例が頻発している。彼らは日本へ来るために多額の借金を負っており、それを返さなければならないから、条件が違うからといってすぐには仕事を辞められない。それをいい事に、雇用主がパスポートを取り上げたり、多人数を狭い部屋に押し込めたりといった報告が数多い。
 さすがに耐えきれずに逃げ出せば、入管によって「不法滞在」と認定され、強制収容の地獄が待ち構える。それが「現代の奴隷労働」と呼ばれる所以なのだ。そして、それをさらに推し進めようというのが、「入管法改定」なのだ。
 また、実習生は日本滞在中に妊娠すると、それも強制帰国の名目にされる。つまり、技能実習生には恋愛の自由さえ与えられていないのだ。
 これが「人権国家ニッポン」における外国人労働者の現状である。
 「日本で優れた技術を学んでもらい、帰国してからも日本と祖国をつなぐ礎となってほしい」などという綺麗ごとを並べ立てて、その実、使い捨ての低賃金労働力確保に走った日本の政策の酷さが露呈している。
 ぼくは日本人である。
 こんなことを書かなければならないことが、「日本人」として恥ずかしい。

 
その「日本人」の中には、口を開けば「中国や北朝鮮は独裁国家で人権が無視されている」と批判し、「日本は人権国家である」とのたまう輩が多い。
 
しかし自らの出自も曖昧なまま中途半端な「国粋主義者」たちが外国人に対する排外意識をむき出しにしている。
 
経済もかつてはアジアでは常にトップであったが今ではそのような面影もない。
 
そして人権問題では明らかに「後進国」に成り下がっている、とオジサンは思う。 
   
    
 

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