昨夜、録画した2年ぶりの党首討論を見たが、やはり大方の予想通りの中身の薄い45分間であった。
とりあえずは、視聴者の若者たちの素直な感想を・・・。
・なぜ、党首討論がこれ程までに短いのでしょうか? お互い納得の行くまで、そして観ている国民が納得いくであろうところまで、やっていただきたい。 ボロが出ないように時間を短くした作戦は、菅総理、失敗ですよ。 あなたの底の浅さだけが、白日の下にさらされてしまいました。 ・スカの冒頭のハッタリ「ロックダウンしてもコロナを抑えられた国はない」が速攻で撤回されててワロタ。枝野いいぞー! ・大丈夫か、この爺さん。あんたの思い出話聞きたい人なんかおらんわ。聞いとってもカミカミで何言うとんか訳わからんし、こんな人間が日本のトップって。もう自民党は必要ない、不快でしかないわ。 ・党首であり、総理であり、国会最高権力者、あなたの過去の思い出を党首討論で聞かされ、てうんざりです。オリンピックを開催したいんだ!オリンピックファ-ストで今この国を操作操業するべく内閣総理大臣をしているんだ!と、はっきりと言えばいいんじゃないの! ・党首の中で総理だけが危機感が感じられない。そもそも、やる気のない中途半端な検疫が根本の原因。だからオリンピック時、国民が不安になるのは当然。本当は何を守りたいんだ? ・スガ~ 「そうした」「こうした」「この~」など,本当,スガ~は話が下手ですな.政治家にとって致命的欠陥です.「安心・安全・・」しか言わないのは,マジで計算やシュミレーションやっていないのとちゃうか?って思いました.「責任は私がとる」・・じゃどうやって取るんですか? ま~いつもと同じことを繰り返しでしたね.残念&腹立つ!! |
「菅首相、初の党首討論『あの瞬間忘れられない』…論点かわし五輪の思い出 「真剣さに欠ける」批判も」
【東京新聞より】
真面目に質問しているのに、はぐらかし、ずらし、誤魔化し、狡猾というにはあまりにも稚拙な言い逃れをするこの国の最高権力者、菅義偉さんの、あまりにも無様な状態をご覧ください。 https://t.co/E0LCnaccwG
— 松尾 貴史 (@Kitsch_Matsuo) June 9, 2021
志位「そうまでして、五輪を開催しなければならない理由は?」
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) June 9, 2021
菅「国民の命を守るのが私の責任」
???#党首討論 https://t.co/gdeZcA9dSm
そして答弁の中では事実に反することを平然と言っていた。
「首相、1日100万回接種を党首討論でアピール 実際は60万回か」
《9日夜に記者団からの取材に応じた首相は、「1日100万回」を超えたとする根拠を問われ、「毎日毎日、過去のやつ(数字)が上がってくるので、どこで100万回というのは分からないが、このところは大体その数字になっている」などと述べた。》https://t.co/QFNnDDPrpf
— 南 彰 / MINAMI Akira (@MINAMIAKIRA55) June 9, 2021
野党党首の質問中に菅義偉は官邸官僚が用意した付箋付きの大量の答弁資料を取り出し探し出すというお粗末さ。
あらかじめ提出された質問に対する答弁書の朗読では、予算委員会での答弁の焼き直しであり、とてもじゃないが党首討論とは程遠い代物であった。
思わず脱力感を覚えたのは、菅義偉の57年前の東京五輪の思い出話。
高校生だった菅義偉は秋田の田舎でテレビで見た感想をとうとう話し始めた。
「57年前の東京五輪の時、私は高校生だったが、『東洋の魔女』の回転レシーブ、マラソンのアベベ選手、敗者に敬意を払ったオランダ柔道のへーシング選手など今も鮮明に覚えている。こうしたことを子どもたちにも見てほしい」
思わず録画したテレビ画面に向かってこう叫んでいた。
「あのね~、その頃は日本中にコロナのコの字もなく、緊急事態宣言もなく、外出の自粛もないときだから、国民がこぞって日本選手を応援していたんじゃないか!
運動会や修学旅行が中止になったり、部活もできない、大学に入っても1年間も友人ができなかったという今の子供たちが、喜んで回転レシーブをみて興奮すらのか!!」
まあ、うがった見方をするまでもなく、延々6分45秒にもわたって1964年の東京五輪の思い出を語り続け、そうやって適当に時間稼ぎをしながら、あと1か月半を切った東京五輪の開催を強行するつもりなのだろう。
開催してしまえば、あとはオフシャルスポンサーのマスメディアが朝から晩まで五輪情報を垂れ流すであろう。
しかしあふれる五輪情報に「コロナウイルス」が流されるわけはなく、むしろその頃には日本は梅雨が明けて猛暑になっている可能性があり、それでも菅義偉は小学生たちを五輪観戦に動員する意向らしいので、とんでもない人間である。
昨夜の毎日新聞の夕刊にこんな記事がでていた。
「東京五輪は誰のため? スポーツジャーナリスト・谷口源太郎さんは問う 理念失い形骸化、政治利用は許されない」
残念ながら有料記事のため肝心な部分は見ることができなかった。
この記事を読んだ澤藤統一郎弁護士はわかりやすく解説してくれた。
スポーツジャーナリストというのも大勢いるのだろうが、社会現象としてのスポーツを見据えた論稿にはなかなかお目にかかれない。その中で、谷口源太郎は異色であり貴重な存在である。 その谷口が本日の毎日新聞夕刊の「特集ワイド」に登場している。タイトルは、「東京五輪は誰のため? スポーツジャーナリスト・谷口源太郎さんは問う」「理念失い形骸化、政治利用は許されない」と、極めて辛口である。権力や体制に迎合する姿勢が微塵もなく、スポーツ愛好家の好みにおもねるところもない。これがスポーツライターではない、スポーツジャーナリストの真骨頂なのだろう。 谷口が五輪に関心を持ったのは、1980年夏のモスクワ大会以来だという。当時は東西冷戦のまっただ中。社会主義国では初めての大会で、「IOCをはじめ、多くの人が興味を抱いていた。大会を開催すれば、ソ連の現実を知ることができる。私も注目していました」という。 だが、米国が、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、モスクワ大会のボイコットを呼びかけ、日本もそれに追随した。谷口は、「政治的対立を乗り越えて開催することで、国際協調主義の実現と大会成功が期待されていたが、カーター大統領がボイコットに出て五輪の存在意義を否定した。五輪の理念、平和主義はふっとび、政治によってずたずたにされた」と解説する。 IOCは76年夏のモントリオール大会が赤字となり危機に陥ったが、状況を反転させたのが84年夏のロサンゼルス大会だった。スポンサーを1業種1社に絞って広告価値を高め、テレビ局から高い放映権料を得るなどして黒字化に成功したのだ。市場経済にのみ込まれていった五輪を目の当たりにした谷口はこう振り返る。 「ロサンゼルス大会は商業主義が露骨。ショーアップもすさまじかった。IOCも五輪ビジネスを展開し始めた。これで五輪の質は変化した。五輪の歴史を振り返る時、モスクワとロサンゼルスはエポックメーキングな大会ととらえています」 誰のための、何のための五輪なのか――。そんな疑問を抱き、スポンサー契約、テレビ放映権といった五輪ビジネスの裏側などについて取材を重ねた。その谷口の結論である。「五輪自体、もういらない。やめたほうがいい。そうしないとスポーツが殺されてしまう。政治利用や商業主義を排除することなど、できっこないのだから」「オリンピックが理念を喪失して形骸化し、政治利用されるだけだとすれば、東京五輪は中止すべきです」。 谷口はこうも語っている。「この機会にもう一度、誰のためのスポーツなのかと見直し、すべての国民、市民が主人公となるスポーツ活動ができる世の中をどうつくるかを考え、一から議論しなければいけない」。パンデミックの中でオリンピック開催の意義が問われている。改めて五輪の原点をすべての人が考える必要がある。 本日の国会での党首討論。共産党の志位和夫と菅義偉首相との、たった5分の「論戦」。志位がパンデミック下での東京五輪開催の意義を問うた。「国民の生命をリスクにさらしてまでオリンピックを開催しなければならない理由を聞きたい。答えてください」。これに対する菅の答が、「国民の生命と安全を守るのが私の責務です。守れなければやらないのは当然じゃないでしょうか」という、典型的なヤギさん答弁。語るべき五輪の理想や原点をもちあわせていないのだ。まさか、「政権浮揚のため、カネのため、ナショナリズム高揚のためだよ」と、ホンネも言えないし。 |
本音はもちろん言えないが、国民のために「五輪中止」も、「主催者はIOC」と言って憚らない菅義偉にとっては、もはや言葉でごまかすしかなく、あと10日で延長した緊急事態宣言期間が終了する。
これ以上の延長はありえず、東京について緊急事態宣言をまん延防止措置に切り替えるなどして、事態が改善に向かっているかのように説明し、五輪中止の判断を下すことを回避しようとするだろう。
ここで、政府から疎まれている分科会の尾身茂会長が、「いや、総理、この状況で1カ月後に五輪を開催することは不可能です」と言い放ち、国民から見て常識的な選択は、菅にとっては自らの引責辞任に直結しているので99%ありえない。
そうなれば、今までと同様、専門家の意見はあくまで参考程度であって、決めるのは「最高権力者である俺だ」という傲慢な態度で尾身会長を突き飛ばして前に進むしかないことになる。
そうなると、尾身会長がが辞表を叩きつけて抗議の意を示せば世論の称賛を得るし、半面、菅義偉は非難囂々の嵐にさらされることになるだろう。
まさに、「菅首相にとって『進むも地獄、退くも地獄』のデッドライン」が近づいてきたということであろう、とオジサンは思う。