内閣広報室が「日本版CIA」と称されている内閣情報調査室もどきの仕事(?)をしていたことを、赤旗が報じていた。
「官邸のTV監視ここまで 出演者発言・ナレーション・見出し…詳細に 3月前半分 A4で700枚 本紙が記録入手」
これは酷い。内閣広報室がテレビのニュース・情報番組の出演者の発言を詳細に書き起こした記録文書を、「しんぶん赤旗」が情報開示請求で入手。テレビでの発言を官邸が日常的に監視し、政権の意に沿わない報道に対抗措置を取る狙いがうかがえます。 pic.twitter.com/0nPkkh0aAi
— 山下芳生 (@jcpyamashita) October 22, 2020
対象となっていた番組は、ひるおび!、ミヤネ屋、スッキリ、モーニングショー、とくダネ!、報ステ、ニュース23、サンデーモーニング、サンデーステーション、日曜討論、ウェークアップで、この2週間あまりでA4で700枚分もあるらしい。
— 渡辺輝人 (@nabeteru1Q78) October 22, 2020
確かに上記の対象となっていた番組では正面切った政府批判をする内容は皆無となっている。
たまに政策的なことを報道する場合は必ず田崎史郎のような御用ジャーナリストもどきの提灯持ちを出演させて、政府の政策を擁護させているのが現状であろう。
かつては連日のように「モリ・カケ疑惑」を特集していたテレ朝のモーニングショーも「さび抜き」の消費期限切れの寿司のように成り下がっている。
テレビメディアが取り上げ、騒がなければ政権側は何をしても多くの国民からの批判は免れてしまう。
安倍政権継承内閣を標榜していた菅義偉は徐々に悪質な体質を露わにしている代表的なのが今週初めに掲載されたこの記事であろう
「首相の著書、改訂版が発売 公文書管理の記述消える」
菅義偉首相の著書「政治家の覚悟」(文芸春秋)が20日に発売される。野党議員時代の2012年に刊行した単行本を改訂した新書で、全244ページ。官房長官時代のインタビューが追加収録される一方、「公文書の管理の重要性」を訴える記述があった章は削除された。 12年の単行本「政治家の覚悟 官僚を動かせ」は首相の就任後、ネット上で高額で取引されていた。 今回の改訂版で削除されたのは、旧民主党の政権運営などを批判した章。この中で、東日本大震災後の民主党政権の議事録の保存状態を問題視し、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」と公文書管理の重要性を訴えていた。 首相は官房長官だった17年の記者会見で、加計学園問題に関する議事録公開に関連し、記者がこの部分を読み上げて「これを本に記した政治家は誰かわかるか」と尋ねたのに対し、「知らない」と答えていた。 文芸春秋の関係者は改訂について「民主党批判よりも直近のインタビューの方が読者ニーズにかなう」と話している。 |
今朝の東京新聞の朝刊では「政治家の覚悟」が「政治家の欠く語」とおちょくられていたが、むしろこんな指摘が核心を突いている。
「過去の正論と現在の不正が整合性とれなくなったら、不正を改めるのではなく正論のほうを削除。さすが改竄の菅。」
ところで、著書の改訂版では削除された内容が、実は2012年1月28日付けの菅義偉の過去のブログには削除されずに残っている。
「議事録も作成しない『誤った政治主導』」」
今週、東日本大震災に対応するために立ち上げた多くの会議で議事録が作られていないというずさんな実態が、次々と明らかになりました。 歴史的な危機に対処していることへの民主党の意識の薄さ、国家運営への責任感のなさが如実に現れています。 公文書の作成は、政党の主義主張とは全く関係のない、国家運営の基本です。 公文書管理法では、記録を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」とし、意思決定に至る過程の文書を作成することを義務付けています。 1000年に一度という大災害に対して、政府がどう考え、いかに対処したかを検証し、そこから教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録はその最も基本となる資料です。 それを作成していなかったのは明らかな法律違反であるとともに、国民への背信行為です。 人類が原発事故を二度と起こさないために、事故が起こった原因、被害の拡大を防げなかった理由を徹底的に究明することは、国民や世界に対し、国が果たすべき重要な責務です。 しかし、福島第一原発の事故に対処した原子力災害対策本部でも議事録は残されていませんでした。 これでは国会の事故調査委員会の検証にも支障が出るのは避けられません。 議事録のないことは昨年5月の時点で問題になって、当時の枝野官房長官は改善を約束し、野田総理もこのことを十分認識している立場にあるにもかかわらず、 その後も作成されずに、23回にわたる昨年末までの原子力災害対策本部の議事録は一切残されていません。 これでは、民主党政権のが自らの失敗を隠そうとしたと疑われるのは当然です。 総務大臣を務めた私の経験からしても、官僚は法令順守意識が高く、政治家に聞きもせずにこのように基本的な事柄を放置するとは到底考えられません。 事実、震災から1ヶ月後の4月の時点で、全省庁の官僚のトップである官房副長官が、文書の作成と保存の徹底を指示しています。 民主党は野党時代に政府の文書管理の不備を責め、情報公開を声高に叫んでいました。 しかし政権交代後、政治主導の象徴とした政務三役会議など、政策決定過程の多くは非公開で議事録も作成されず、「密室政治」となっています。 議事録作成という基本的な義務も果たさず、「誤った政治主導」をふりかざして恣意的に国家を運営する民主党には、政権を担う資格がないのは明らかです。 国会の審議で厳しく質してまいります。 |
今から読めば明らかに当時の民主党政権批判のための内容であることがよくわかる。
そして、当時の「民主党」を現在の「自民党」に置き換えればそのまますんなり読めてしまう。
このブログもそのうちに削除される可能性があるので、その時はこちらを参照のこと。
改めて、「菅首相の著書改ざんは“都合の悪い記録は残さない”という宣言! 森友・加計、桜、コロナで文書隠蔽を主導してきた過去」をおさらいしておく。
“菅義偉首相らしい”としか言いようがない。今月20日に文春新書として刊行された菅首相の著書『政治家の覚悟 官僚を動かせ』の改訂版で、公文書管理の重要性を説いた箇所を削除していたという問題だ。 今回の改訂版で削除された部分で問題になっているのは、東日本大震災に対応した民主党政権下で会議での議事録が作成されていないことが判明した問題についての、こんな一文だ。 〈政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為であり、歴史的な危機に対処していることへの民主党政権の意識の薄さ、国家を運営しているという責任感のなさが如実に現れています。〉 国民の誰もが異論のない、まったくのド正論だろう。しかし、菅氏は総理大臣になった途端、『政治家の覚悟』と冠した著書からこの箇所を削除してしまったのである。 今回、「文春新書」編集部は「特定の文言の削除を意図したものではなく、全体のバランスを考え、編集部の判断で割愛した」などとコメントを出している。民主党政権批判の2章をまるごとカットしていることをもってそう言っているのだろうが、到底の説得力のある説明ではない。しかも著者への相談もなく勝手に「編集部の判断で割愛」することなど、まずありえない。版元は著者との付き合いに対する慎重さやきめ細やかさで有名な、あの天下の文藝春秋である。菅首相側からの要望や同意があって削除したことは明白だ。 では、なぜ菅首相はこの〈あらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料〉という正論を削除したのか。 実は、菅首相は安倍政権になってから、この箇所の記述について突っ込まれ、赤っ恥をかいていた。 加計学園にかんする議事録が問題になっていた2017年8月8日の官房長官会見でのこと。朝日新聞の記者で、その後、新聞労連委員長として活躍(現在は再び朝日新聞記者に復帰)した南彰記者が、菅氏がしたためたこの文章を読み上げた上で「その発言をしていた、本に記されていたのはどなたか、官房長官はご存じでしょうか」と質問。すると、官房長官だった菅氏は「知りません」と返答していたのだ。 自分が出した本について感想を聞かれ、「まだ読んでない」と答え、ゴーストライターが書いていたことをばらしてしまった松本伊代を彷彿とさせるが、しかし、今回の著書の改訂でその忌々しい過去をなかったことにしようとしたというだけではないはずだ。 総理となったいま、菅首相が、これから都合の悪い記録は一切残さないと考えていることを証明するものと言っていいだろう。 実際、菅首相は安倍政権時代、それこそ率先して「議事や面談記録の隠蔽」を推進してきた。 森友・加計学園問題、公文書改ざんや自衛隊日報隠蔽などを受けて、安倍政権は2018年4月に行政文書の管理に関するガイドラインを改正。〈政策立案や事務及び事業の実施の方針等に影響を及ぼす打合せ等の記録については、文書を作成するものとする〉とした。 ところが、実態はまったく違っていた。ガイドライン改正後に毎日新聞が安倍首相と省庁の幹部らの面談議事録や説明資料などの記録を官邸に情報公開請求したところ、すべてが「不存在」という回答が返ってきたのである。 ガイドライン改正から2019年1月末までのあいだに首相動静で記録されている安倍首相の面談は、約1000件だ。しかし、官邸の文書を管理する内閣総務官は〈いずれの記録も「存在しない」と回答〉。首相の議事録などの記録がつくられているのかどうか、それさえ不明の状態だったが、さらなる取材によって、そもそも面談の記録を官邸では作成していないことが判明。官邸は「(記録は)官庁側の責任で作るべきものだ」と主張したというが、一方の相手官庁側がきちんと作成して情報開示しているというわけではない。 なかでもひどかったのが、菅首相が当時、官房長官として率いていた内閣官房だ。内閣官房は安重要政策や災害・テロ対策などを担う立場だが、毎日新聞がおこなった情報開示請求に対し、「外国人材の受け入れ」「西日本豪雨」「台風21号」などにかんする安倍首相と内閣官房幹部の面談時の説明資料計47件を開示したが、打ち合わせ記録は〈47件中1件もない〉と回答したのだ。 ■安倍・菅官邸は“記録を作成しないよう”指示していたと複数の省の幹部が証言 しかも、官邸は各省庁にとんでもない指示を出していた。複数の省の幹部職員がやはり毎日新聞の取材でこんな証言をおこなっている。 「官邸は情報漏えいを警戒して面談に記録要員を入れさせない」 「首相の目の前ではメモは取れない。見つかれば、次の面談から入れてもらえなくなる」 「面談後に記録を作っても、あえて公文書扱いにはしていない」 「幹部は面談後、記憶した首相とのやり取りを部下に口頭で伝えてメモを作らせている」 また、西日本新聞でも、都市圏総局次長の植田祐一氏がこんな話を明かしていた。植田氏の〈旧知のキャリア官僚〉の弁によると、ガイドラインが改正される直前の2018年3月末、上司から公文書管理にかんしてこんな指示がなされたというのだ。 〈「機微に触れるものは記録に残さず、頭の中にメモせよ。報告する際は口頭で」。首相官邸で首相秘書官らと打ち合わせる際は「メモ厳禁。録音不可」の徹底が言い渡されたという。〉(西日本新聞2018年7月13日) つまり、官邸はほとんどの打ち合わせや面談を「記録の不要なもの」として、逆に記録を作成しないようにしたのである。 しかも、こうした公文書管理のとんでもない実態が露呈したというのに、当時の菅官房長官はこう主張したのだ。 「安倍総理大臣の打ち合わせ等の記録については、説明・報告をおこなう各行政機関において、公文書管理法等の規定に基づき、必要に応じて作成・保存している」 さらに、政策決定過程を記録できているかという問いに対しても、菅官房長官は「できていると思っている」と言い張ったのだ。 「桜を見る会」問題でも同様だ。招待者名簿廃棄が明らかになっているのに、当時「公文書管理法に基づいて対応している」と言うだけで、批判をシャットアウトしていた。 だが、こうした記録の隠蔽がいかに危険なことであるかは、その後、はっきりとした。 言うまでもない、新型コロナ対応だ。安倍前首相が事実上、新型コロナ対応を決めてきた「連絡会議」の1月26日?3月5日のあいだの議事概要など40回分の記録を毎日新聞が調査したところ、〈議事内容の記載は平均で10行しかなく、首相ら高官の発言の記載は一切なかった〉(9月11日付)のだ。 当然、菅氏も「連絡会議」の主要メンバーのひとりだったが、この会議でどんな発言をおこなったのか、安倍前首相が具体的にどんな指示をおこなったのか、まるで見えてこない。つまり、その判断や意思決定が適切なものだったのかを検証することさえできない状態なのだ。 その結果、コロナ対応の何が問題だったのかを検証することもできず、抜本的な体制見直しをすることもなく、感染再拡大の季節を迎えようとしている。 菅氏が著書から削除した記述には、記録の作成を怠ったことが「国民への背信行為であり、歴史的な危機に対処していることへの政権の意識の薄さ、国家を運営しているという責任感のなさ」の表れだという指摘があるが、この言葉はそっくりそのまま菅首相にあてはまると言っていいだろう。 過去の自分が主張していた記述を削除したからといって、批判そのものを封じ込めることはできない。菅首相にはあらためて、いま「国民への背信行為」をはたらき、「歴史的な危機に対処していることへの政権の意識の薄さ」「国家を運営しているという責任感のなさ」を自ら露呈させていることについてどう考えるか、国民にしっかり説明していただきたい。 |
「菅首相は所信表明演説もせず、自分のやりたいことを好き勝手やっているのですから、国民主権に対する冒涜以外の何物でもない。野党は法にのっとり、これまでの言動の矛盾をきちんと問いただすべきでしょう。国会では、官房長官時代のような『ご指摘には当たらない』なんて答弁は許されません。野党は連携して徹底的に追い込むべきです」と金子勝も言っているように、臨時国会での予算委員会で早くも菅義偉の力量が問われることになるであろう、とオジサンは思う。