DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

この階級、この選手(コンスタンチン チュー:スーパーライト級③)

2017年12月07日 00時24分21秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。早い話、個人的に思い入れのある選手ということになりますが、思い入れといえば今回登場するコンスタンチン チュー(露/豪)。そのデビュー当初から、引退した現在に至るまで非常な思い入れがある選手です。

でも、何ででしょうかね、チューに対してこんなに興味があるのは?

チューは1991年に豪州のシドニーで行われたアマチュアの世界選手権に出場し、ライトウェルター級で優勝(プロでいうスーパーライト級)。翌年3月には同地(試合地はメルボルン)でプロデビューを果たします。このアマチュア・エリートはプロ初陣の年に6戦こなし、当然の如く全勝(5KO)。白星の中には元WBCフェザー級王者ファン ラポルテ(プエルトリコ)に大差の判定勝利を収めたものも含まれています。

ちょうどこの時期ですよ、彼の名前が日本のボクシング雑誌を賑わせたのは。チューがプロで活躍し始めたころ、米国では1992年のバルセロナ五輪に出場し、ライト級で金メダルを獲得したオスカー デラホーヤ(米)がプロボクシングに参戦。チューといえば、将来スーパースターに成長するであろうデラホーヤの最大級のライバルとして取り上げられていました。そして何よりも、雑誌(主にボクシング・マガジン)で将来の有望の選手を取り扱う欄では、「チューは本当に凄い」という記事を何度も何度も目にしました。多分、それらの活字の影響が大いにあるのではないでしょうかね。

   
(1990年代初頭に台頭した新星チューとデラホーヤ)

同じ頃、リング・ジャパンから2本のチューのビデオが販売されましたが、当然のように2本とも購入。それらがいまだに実家に残っているかは当の本人にも分かりません。


(リングジャパンから購入したチューのビデオ。DVDではなくてビデオです)

それらのビデオの映像を見ての正直な感想は「何じゃ、これ?」でした。チューのボクシングスタイルはシンプルといえばシンプルなんですが、違和感を覚えるボクシングというのでしょうか。当初は不思議な感覚で彼の試合を見ていました。左ジャブで相手をけん制し、妙な角度で右ストレートを放つ。後にジョー小泉さんのコメントで「ほかの格闘技の選手がボクシングをしている」ようなものがありましたが、正にその通りだと思いました。

そしてその外見であるヘアースタイルにも強い印象を受けました。その髪型はラーメンマンを彷彿させる辮髪(べんぱつ)。私(Corleone)も真似しようかと試みたのですが、短い髪しか受け付けない性格なため数週間で断念。しかし本家チューは今でのその髪型を貫いているようです。


(ラーメンマン。のちのモンゴルマン)  

 
(チューの特徴的な髪形)

一戦ごとにその評価を高めていったチュー。プロ2戦目の1993年は4戦全勝で3KO勝利。判定決着は、元WBAライト級王者のリビングストン ブランブル(米)戦のみ。チューのキャリアを見返すと、ラポルテといいブランブルといい、落ち目の元世界王者とそのキャリアの節目で対戦し、確実に勝利を収める。マッチメークの上手さも目につきました。1994年には世界王座への挑戦を持っていたヘクター ロペス(米)やアンヘル エルナンデス(プエルトリコ)に快勝し、世界へ接近していったチュー。1995年1月に満を持して世界王座へ挑戦します。

チューの世界初挑戦は1995年1月28日、本場アメリカのラスベガスのリングで当時のIBFスーパーライト級王者ジェイク ロドリゲス(米)に挑戦。試合開始早々からチューがダウンを奪うという、どちらが王者だか分からないワンサイド・マッチを演じ、苦もなく世界のベルトを腰に巻くことに成功しました。


(チュー、プロ初のベルトはIBFスーパーライト級王座)

その王座は元2階級制覇王で、フロイド メイウェザー(米)の叔父にあたるロジャー戦での勝利を含め5度の防衛に成功。しかし以前から指摘されていた緩いガードを突貫型のビンス フィリップ(米)に衝かれ陥落。プロでの初黒星を喫すると共に、その前途へ大いなる不安を残してしまいました。

   
(ロジャー メイウェザーに判定勝利を収めたチュー(左)。フィリップスには根負け(左))

チューが獲得した王座(獲得した順):
IBFスーパーライト級:1995年1月28日獲得(防衛回数5)
WBCスーパーライト級:1998年11月28日(8)
(*暫定王座獲得後、正規王座に昇格)
WBAスーパーライト級:2001年2月3日(4)
(*スーパーライト級王座の2団体統一王座に)
IBFスーパーライト級:2001年11月3日(3)
(*スーパーライト級の3団体王座の統一に成功。当時、WBOはまだまだマイナー団体扱い)

再起後のチューは逞しく成長した姿を見せていきます。特に元IBFライト級王者ラファエル ルエラス(米)、元WBCライト級王者ミゲル アンヘル ゴンザレス(メキシコ/東京三太)等実力選手達との対戦では、相手をボコボコにする勢いでライバルを撃沈。ディオベリス ウルタド(キューバ)とはダウン応酬の激戦を演じてしまいましたが、勝負強さを見せつけてWBCの暫定王座ながらも世界王者に復帰することに成功。


(ルエラスをサンドバックのようにしたチュー)


(キューバの実力者ウルタドとはダウン応酬戦を展開)

20世紀末にルエラス(メキシコ系アメリカ人)、東京 三太、そしてあのフリオ セサール チャベスというメキシカン包囲網を突破したチューは、スーパーライト級での王座統一戦線を力強く歩んでいきます。スピード型の技師、シャンバ ミッチェル(米)にはその技術を上回るテクニックで勝利。WBA王座を吸収。こちらもまたスピーディーなザブ ジュダー(米)には、その速さに大いに苦戦。しかしその卓越した距離感、パンチの当て感で一発でジュダーをKO。メジャー3団体のみだった世界王座の制覇に成功しました。


(ミッチェルのスピードには苦戦するも、徐々に自分のペースに)

   
(ジュダーに右の標準を合わせるチュー)

その後防衛回数を伸ばしていくも、自身の負傷によりブランクがちなキャリアを加えていったチュー。2005年6月に、英国の激戦王リッキー ハットン(英)とのまさに激闘に敗れ、引退を表明しています。


(最終戦となったハットンとの大激戦)

チューの終身戦績は31勝(25KO)2敗(2KO負け)。スピードに欠けるボクシングでしたが、パンチを当てる感は素晴らしく、そのすり足気味のフットワークで絶妙な距離感を醸し出したユニークなスタイルの持ち主。リカルド ロペス(メキシコ)に劣らないぐらい大好きなボクサーでした。

個人的に気に入っているチューの試合は、1995年6月25日に行われたロジャー メイウェザー戦と、2001年11月3日に行われたザブ ジュダー戦。メイウェザーには、ベテランを技術で上回り大差判定勝利。キャリア初期の方が体全体に躍動感(きびきび)がありました。ジュダー戦の逆転劇はお見事というしかない試合。第1ラウンドにジュダーのスピードに全く対抗出来ないも、次の回には見事に修正。右一発でジュダーをマットに沈めました。


(3本のベルトに加え、リング詩のベルトを手にするチュー)

引退後は後進(クルーザー級のデニス レべデフやヘビー級のアレクサンダー ポベトキン)の指導にあたるなど、随分とボクシングに携わっていました。しかし2012年に前妻と離婚を期にロシアに帰郷。現在は2年前に結婚した女性と新たな家庭を築いて静かに暮らしているとの事です。前の奥さんとの間に生まれた3人のお子さん達との関係は現在も良好で、現在までにプロ7戦のキャリアを持つティムを全面的にサポートしています。

息子さんのティムが今後どう成長していくか。親父さんと似たボクシングを展開するだけに、今後注目していきたいです。


(現在プロ7戦のキャリアを誇る長男ティムと)

アルファベットでは「Tszyu」と表記するチュー。アメリカなど英語圏では、動物園と同じく「Zoo、ズー」と発音されることが多いです。また、キャリア前半は速攻型というイメージが持たれていましたが、中盤以降はどちらかというとスロースターターとして認知されていました。こういう変化もチューらしいと言えばチューらしいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする