あのフロイド メイウェザー(米)の叔父で、自らもWBAスーパーフェザー級とWBCスーパーライト級王座を獲得したロジャー メイウェザー氏が今月17日、亡くなられています。まだ58歳と男盛りの年齢でした。ご冥福をお祈りいたします。
(ロジャー氏(左)と甥っ子フロイド(右))
私(Corleone)がボクシングに興味を持ち始めた1990年代前半、ロジャー メイウェザーはボクサーとしてのピークは過ぎていましたが、世界一線級に何とか踏みとどまりながら懸命に戦っていました。
1961年4月24日生まれのメイウェザー氏がプロデビューを果たしたのは1981年7月29日。その後1999年5月18日に自身最後のリングに上がるまで約20年間、定期的に試合をこなしていきました。
プロデビューから僅か2年弱、日本でもお馴染みのサムエル セラノ(プエルトリコ)を破りWBAジュニアライト級(現在のスーパーフェザー級)王座を獲得したメイウェザー。打たれ脆さをつかれ、その王座とは2度防衛後に決別しています。その後フリオ セサール チャベス(メキシコ)やパーネル ウィテカー(米)等、ボクシング史に残る名選手たちに黒星を喫しながら実力を蓄えていったメイウェザー。1987年11月12日に、WOWOWでお馴染みの浜田 剛史氏からWBCジュニアウェルター級(現スーパーライト級)の王座を奪回していたレネ アルレドンド(米)を破り2階級制覇に成功。その王座は4度の防衛に成功しています。
(世界王者時代のメイウェザー氏。右はチャベスとの第2戦。結果はチャベスに10回終了TKO。)
2度目の王座から転落後、メジャー団体のタイトル獲得はならなかったメイウェザー。超一級選手たちには苦杯をなめ続けましたが、最後まで世界レベルの実力をキープしながら現役から退いています。終身戦績は59勝(35KO)13敗(6KO負け)。強打と打たれ脆さが同居した印象深い選手でした。