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DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

続「ボクシング 10年」PartXVII(スーパースターになれなかった王者たち)

2022年08月05日 05時54分36秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年2020年の9月にSuperchamp1991というものを入手。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして各階級の世界王者たちを簡単に紹介しています。

今回は常に世界ボクシングの中心的階級となるウェルター級となります。66.69キロ/147ポンドが上限のクラス。残念ながらこれまで、日本人選手が世界のベルトを獲得した事のないクラスとなります。

まずは1991年春先時点での同級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAウェルター級:メルドリック テーラー(米/防衛回数0)
WBCウェルター級:サイモン ブラウン(米
/0)
IBFウェルター級:サイモン ブラウン(米/8)

1991年春の段階で、全階級を通じて世界的評価が最も高かった選手たちは、ヘビー級統一王者のイベンダー ホリフィールド(米)、メキシコの生きた伝説フリオ セサール チャベス、ボクシング史上最巧選手の一人として挙げられるパーネル ウィテカー(米)、そしてヘビー級王座への返り咲きを虎視眈々と狙っていたマイク タイソン(米)。テーラー、ブラウンは共にそれらの選手たちに次ぐ評価を受けていた王者たちでした。しかし二人ともスーパースターになり切れなかった選手たちです。

テーラーは前年1990年3月に、フリオ セサール チャベス(メキシコ)と伝説の死闘を演じ、偉大なる敗者としてその名をボクシング史に残しました。しかしこの年の1月に行った再起2戦目のリングで、実力者アーロン デービス(米)を破りWBA王座を獲得。2階級制覇達成を果たしています。対するブラウンはこの年の3月に、親友モーリス ブロッカー(米)を下しWBC王座を吸収すると共に、IBF王座の8度目の防衛に成功するなど安定政権を築いていました。

(ブロッカー(左)とブラウン(右)の親友対決)

テーラーとブラウンが、当時きっての実力者だったことは疑う余地はありません。しかし両選手揃って何かが足りませんでした。テーラーはチャベスに敗れるまで、とんでもないスピードと技術に加え、タフネスも売りにしていた選手。しかしチャベスに黒星を付けられると同時に、そのタフネスまで打ち砕かれたといって過言ではないでしょう。事実チャベス戦を境に、コロコロとダウンをするシーンをしばしば見せるようになりました。それでも十分強かったですが...。

チャベスに付けられた初黒星後、僅か8ヶ月後には世界2階級制覇を達成したテーラー。あれだけの大激戦を演じながらも階級を上げてあっという間に世界王座に返り咲くとは。やはりその才能は飛び抜けていたのでしょうね。

(その才能は「超」一流だったテーラー)

1991年春の時点でのブラウンの戦績は34勝(26KO)1敗と大変すばらしいもの。数字だけでなく、内容もそれに伴っており、まさに世界的に評価の高かった選手でした(俗に言うパウンド フォー パウンドというものです)。そして何よりもブラウンは、当時きってのハードパンチャーとしてその名を知らしめていました。ただブラウンの強さは、大雑把というか雑というか。ツボにはまれば見事な勝利(KO/TKO)を収めるのですが、その攻撃を外されると少々手こずるという場面もしばしば。案の定この年の11月に、1988年秋にテーラーにスーパーライト級王座を負われていたジェームス マクガート(米)の技巧の前に完敗し、世界王座から陥落してしまいました。

ちなみにブロッカーとの親友対決後、IBF王座を返上したブラウン。その王座にはブロッカーが就いています。

(同級で一時代を築いたブラウン)

この時期を境に、両者のキャリアは徐々に、徐々にと下降線を辿っていきました。強豪ルイス ガルシア(ベネズエラ)、グレンウッド ブラウン(米)を相手に防衛回数を伸ばしていったテーラーは1992年5月、大冒険を試みます。当時「怖い(Terrible)」ほどの強さを見せつけていた一階級上のWBC王者テリー ノリス(米)に果敢にも挑戦したテーラー。しかし飛ぶ鳥をも落とす勢いだったノリスに全く歯が立たず、僅か4回で敗れ去ってしまいました。ウェルター級に戻ったテーラーに待ち受けていたのは、欧州を起点に実力を培っていた曲者クリサント エスパーニャ(ベネズエラ)。長身でガードが固く、ピンポイントでパンチを放ってくるエスパーニャの基本的なボクシングの前に、テーラーはお手上げ状態。ノリス戦に続いて一方的な試合展開の末、8回TKO負けでウェルター級王座から決別してしまいました。その後、チャベスとの因縁の再戦に敗れるなど、這い上がす事が出来なかったスピードスター。2002年の試合を最後に、静かにリング生活を終えています。

マクガートに王座を破れていたブラウンは、階級を上げ、コツコツと白星を積み重ねていました。1993年師走、驚くことにブラウンは、テーラーや親友ブロッカーを一蹴していたノリスをTKOで破りWBCスーパーウェルター級を奪取する事に成功。大番狂わせで2階級制覇を達成してしまいました。殊勲の勝利から僅か40日後に初防衛に成功したブラウンは、1994年5月に再びノリスと対戦します。その再戦では手綱を締め直したノリスが、見事なアウトボクシングで快勝し王座奪回に成功。ブラウンの栄光は半年も続きませんでした。

その後ビンセント ペットウェイ(米)の持つIBF王座や、ミドル級王者ロニー ブラッドリー(米)、あのバーナード ホプキンス(米)に挑戦するも勝利ならず。キャリアの最後は6連敗(2KO負け)を喫するなどして、2000年1月まで戦い続けました。

テーラーとブラウンが実力を備えながらもスーパースターとして名を残せなかった理由の一つに、キャリア後半に黒星を重ね過ぎた事も要因でしょうね。そして両者の2代後の王者たちに、アイク クォーティ(ガーナ/WBA)やパーネル ウィテカー(米/WBC)、そしてフェリックス トリニダード(プエルトリコ/IBF)といった、スター選手が揃う様に出現してしまった事も致命傷になったのではないでしょうか。

さて、まだまだマイナー団体だったWBOのウェルター級王者はマニング ギャラウェイ(米)という選手でした。ギャラウェイは前年1990年8月に、当時空位だった同王座決定戦に判定勝利。2代目のWBOウェルター級王者となりました。その王座を1993年2月に手放すまで7度の防衛に成功。マイナー王座とは言え、その防衛戦のほとんどをデンマーク(4度)、南アフリカ、豪州と海外で行っており、その点は評価されるべきでしょう。ただその実力はというと、63勝(14KO)19敗(6KO負け)1引き分けという終身戦績が表すように、マイナー王者に相応のもの。今でいうなら、IBOやWBF王者レベルだったでしょう。

(マイナー団体だったWBO王者ギャラウェイ。こんな姿をした方だったんですね)

シュガー レイ レナード(米)、トーマス ハーンズ(米)等が去り、ウィテカーやトリニダード、オスカー デラホーヤ(米)が活躍する前の比較的地味な階級だった期間のウェルター級に世界王者として君臨したブラウン、テーラー、そしてブロッカー。不器用というか、泥臭いというか、運が悪いというか...。ただ、きらびやかな選手たちの陰で、しのぎを削っていった選手たちというのも、味があって良いものだと思います。というか、こういう選手は味わい深く、面白い側面を持っており、スター選手たちとは違った意味で目が離せない、と言っていいでしょうね。

(テーラー(中央)は、ウィテカー(左)、イベンダー ホリフィールド(右)とロス五輪の同期生です)


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