昨日発売の「週刊文春」(4月8日号)はいろいろ興味深い記事がそろってました。
シネマチャートでは、なんと前週の「息もできない」に続いて「第9地区」が合計★24の高ポイント。おすぎは「早々ですが”今年ナンバー1”の映画です」とまで書いてます。そういえばこの映画も、3月21日の記事で紹介したニッポン放送の映検1級の放送作家松崎氏が推薦してましたねー。
興味深い記事その2は堀井憲一郎のずんずん調査。今号ではサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」の野崎孝・訳と村上春樹・訳の比較。この件については今までもいろんな所で取り上げられていますが、具体的な比較を見たのは初めて。違いがよくわかります。
野崎・訳「たまったもんじゃないよ」⇔村上・訳「めげるしかないじゃないか」とか、野崎・訳「やぼくさい冗談」⇔村上・訳「気の抜けたジョーク」等々、村上・訳の方が当世風(現代的とすべき?)でしょうが、昭和人の私ヌルボとしては野崎・訳に親しみを覚えます。ただ、野崎・訳「よた者」(⇔村上・訳「やくざっぽい連中」)でさえ死語になりつつある今、野崎・訳「一席、よたをとばしてやった」なんて「意味わかんなーい」という日本人は多くなっているでしょう。(⇔村上・訳「ひとしきりまくしたてた」)
その3。これが本題です。
林真理子の「夜ふけのなわとび」。概して「そいつぁけっこうなことで・・・」という内容で、小林信彦の「本音を申せば」ほど気を入れて読んではいないのですが、今号は安本末子「にあんちゃん」(角川文庫)についていろいろ書かれているので精読しました。
「にあんちゃん」という本は、半世紀も前のベストセラー。安本末子さんという佐賀県の炭坑町で暮らす在日朝鮮人4人兄妹の末っ子の日記なのですが、母は彼女が3歳の時に死別。そして9歳で父も亡くなるのですが、日記はその49日後から始まります。20歳の長兄を筆頭に、困難な境遇の中で健気に生きる姿が綴られた内容に多くの人が感動したのです。
林真理子の一文を読むまで、この本が最近文庫になってるとは知りませんでしたよ。昔の本が文庫化されるというと、ドラマ化・映画化等と連動してということが多いようですが、これはそうでもなさそう。さっそく最寄りの書店で買ったら、帯に「私の座右の書だ。斎藤孝先生大絶賛!」とありました。さらに、「座右の書だ」の上は「この日記を読むと、真人間になる。何かがしゃんとする。」ですよ。私ヌルボなんか、読んでなくても真人間なんですけど・・・。斎藤先生推薦だけでってことはないでしょうが、角川書店ではなんでだか売れると判断したんでしょうね。
しかし、今「にあんちゃん」と聞いて「ああ、あの・・・」となにかしら思い浮かぶ人は何歳以上になるんでしょうか? 最初に光文社のカッパブックスとして刊行されたのが1958年、映画化されたのが翌59年。1954年生まれの林真理子が「小学生の私の愛読書だった」ということは、50歳以下の人は知らなくて当たり前ってことですかねー・・・。
私ヌルボは、小学校だかで映画は観たような気もしますが、本は読んでいません。しかしおよそどんな内容だったかは記憶に残っていました。
数年前、特別上映だかで「にあんちゃん」の映画を観る機会があって、その時炭坑があった場所が佐賀県入野村の大鶴だったこと等を知りました。(半世紀どころか数年前の記憶も定かではないとはナサケナイ。) 今観ても、とても感動的な映画でした。(陳腐な表現で、これまたナサケナイですが・・・)
今日の記事では、「にあんちゃん」の内容自体についてはふれません。じっくり読み通し、もう少し関連事項を調べた上で続きの記事にまとめます。
韓国ドラマや北朝鮮の拉致や核問題等の情報は各メディアに溢れていますが、在日に対する関心は薄くなっているようです。このような本を通じて、今一度見つめなおす意義もあると思います。
ただ、今の若い世代の人たちが読んで、半世紀前の日本人と同じように感動するかどうか? ヌルボは予測がつきませんです。
※あれっ? アマゾンを見たら、この本「一時的に在庫切れ」だって。もしかして「週刊文春」効果?
シネマチャートでは、なんと前週の「息もできない」に続いて「第9地区」が合計★24の高ポイント。おすぎは「早々ですが”今年ナンバー1”の映画です」とまで書いてます。そういえばこの映画も、3月21日の記事で紹介したニッポン放送の映検1級の放送作家松崎氏が推薦してましたねー。
興味深い記事その2は堀井憲一郎のずんずん調査。今号ではサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」の野崎孝・訳と村上春樹・訳の比較。この件については今までもいろんな所で取り上げられていますが、具体的な比較を見たのは初めて。違いがよくわかります。
野崎・訳「たまったもんじゃないよ」⇔村上・訳「めげるしかないじゃないか」とか、野崎・訳「やぼくさい冗談」⇔村上・訳「気の抜けたジョーク」等々、村上・訳の方が当世風(現代的とすべき?)でしょうが、昭和人の私ヌルボとしては野崎・訳に親しみを覚えます。ただ、野崎・訳「よた者」(⇔村上・訳「やくざっぽい連中」)でさえ死語になりつつある今、野崎・訳「一席、よたをとばしてやった」なんて「意味わかんなーい」という日本人は多くなっているでしょう。(⇔村上・訳「ひとしきりまくしたてた」)
その3。これが本題です。
林真理子の「夜ふけのなわとび」。概して「そいつぁけっこうなことで・・・」という内容で、小林信彦の「本音を申せば」ほど気を入れて読んではいないのですが、今号は安本末子「にあんちゃん」(角川文庫)についていろいろ書かれているので精読しました。
「にあんちゃん」という本は、半世紀も前のベストセラー。安本末子さんという佐賀県の炭坑町で暮らす在日朝鮮人4人兄妹の末っ子の日記なのですが、母は彼女が3歳の時に死別。そして9歳で父も亡くなるのですが、日記はその49日後から始まります。20歳の長兄を筆頭に、困難な境遇の中で健気に生きる姿が綴られた内容に多くの人が感動したのです。
林真理子の一文を読むまで、この本が最近文庫になってるとは知りませんでしたよ。昔の本が文庫化されるというと、ドラマ化・映画化等と連動してということが多いようですが、これはそうでもなさそう。さっそく最寄りの書店で買ったら、帯に「私の座右の書だ。斎藤孝先生大絶賛!」とありました。さらに、「座右の書だ」の上は「この日記を読むと、真人間になる。何かがしゃんとする。」ですよ。私ヌルボなんか、読んでなくても真人間なんですけど・・・。斎藤先生推薦だけでってことはないでしょうが、角川書店ではなんでだか売れると判断したんでしょうね。
しかし、今「にあんちゃん」と聞いて「ああ、あの・・・」となにかしら思い浮かぶ人は何歳以上になるんでしょうか? 最初に光文社のカッパブックスとして刊行されたのが1958年、映画化されたのが翌59年。1954年生まれの林真理子が「小学生の私の愛読書だった」ということは、50歳以下の人は知らなくて当たり前ってことですかねー・・・。
私ヌルボは、小学校だかで映画は観たような気もしますが、本は読んでいません。しかしおよそどんな内容だったかは記憶に残っていました。
数年前、特別上映だかで「にあんちゃん」の映画を観る機会があって、その時炭坑があった場所が佐賀県入野村の大鶴だったこと等を知りました。(半世紀どころか数年前の記憶も定かではないとはナサケナイ。) 今観ても、とても感動的な映画でした。(陳腐な表現で、これまたナサケナイですが・・・)
今日の記事では、「にあんちゃん」の内容自体についてはふれません。じっくり読み通し、もう少し関連事項を調べた上で続きの記事にまとめます。
韓国ドラマや北朝鮮の拉致や核問題等の情報は各メディアに溢れていますが、在日に対する関心は薄くなっているようです。このような本を通じて、今一度見つめなおす意義もあると思います。
ただ、今の若い世代の人たちが読んで、半世紀前の日本人と同じように感動するかどうか? ヌルボは予測がつきませんです。
※あれっ? アマゾンを見たら、この本「一時的に在庫切れ」だって。もしかして「週刊文春」効果?