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ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国オタクのための連休プラン] えっっ、佐賀県!?

2010-04-21 18:11:43 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
ゴールデンウィークが近づいてきました。
 幸いにして暦通りに休みがとれる私ヌルボとしましては、家でグータラしてるよりも、残り少ない人生(ってほど年寄りでもないが)、どこか旅にでも出かけるか、と思案中です。

 旅のコンセプトは、もちろん韓国オタクらしい自己研修ですねー。

 で、近場であれば、たとえば埼玉の高麗神社方面。現在は日高市になってるんですね。

 あるいは箱根。報道によると、最近韓国人や中国人の観光客がずいぶん増えているようですよ。知り合いが1人でも安く泊まれる箱根のさるホテルに行ったところ、韓国人と中国人の泊り客が多くて驚いたと言ってました。
 つまり、そこに韓国語会話武者修行の旅に出るというのも一案かも、ということです。

 しかーし。せっかくの大型連休だし、もっと足をのばして・・・、といっても黄金週間中の航空運賃の高さを考えると韓国行きもあほらしいし、今からでは遅すぎるし・・・、で、国内で首都圏から離れて、しかも韓国についてのベンキョーにもなりそうだ、ということで私ヌルボが熟慮に浅慮を重ねて考えだしたプランが、ヂヤ~ン! と効果音を1発入れて発表すると、それは
佐賀県ですっ!!

 いかがでせうか?
 佐賀県というと、鹿児島や福岡はもちろん、長崎と比べても、あるいは別府温泉のある大分、阿蘇や熊本城のある熊本と比べても、はては(失礼っ! 宮崎の皆さん)そのまんま知事誕生以後は宮崎の後塵まで拝して、九州の中でいちばん影の薄い県、というイメージになっているのではないでしょうか? 少なくとも、以前のヌルボはそうでした。何年か前、佐賀県出身のはなわというお笑いのヒトが佐賀のことを自嘲的に歌っているのを聞いて、「あー、やっぱりそうなのか」と同情の念を禁じ得ませんでした。

 ところがその後、少しずつ朝鮮・韓国ゆかりの地についての知識が増えるにつれ、私ヌルボ脳内の佐賀県の評価は上昇の一途で、今やトップクラスまで上りつめたといっていいでしょう。
 たとえば、少し考えれば佐賀県内の有名な観光地や名産で、朝鮮・韓国と関係するものは実に多いことに誰しも気づくはずです。

①名護屋城跡は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時の根拠地。

②有田焼 と、③唐津焼 は、文禄・慶長の役の後渡来した朝鮮陶工によって窯が開かれました。

④吉野ヶ里遺跡からは、朝鮮半島風の土器が出土しています。
 マイナーなとこでは、4月2日の記事でも紹介した⑤「にあんちゃん」の舞台は今はない杵島炭坑大鶴鉱業所で、これも佐賀県東松浦郡肥前町です。

 それから、⑥佐賀県の県鳥はカササギなんですね。別名カチガラス。カチは韓国語の까치(カチ)そのまんま。韓国でふつうによく見かける、韓国リピーターにはおなじみの鳥ですね。
 あの鳥が佐賀県を中心に九州方面にいて、ウィキペディアによると1965年県民の公募で佐賀の県鳥に指定された、とあります。写真を見ると、電柱の上に巣を作ったりしてるんですねー。

     
      【カササギ(カチガラス)。ソウル・景福宮の敷地内で撮影。

 さらに続くマイナーなネタ。先日横浜の掃部山(かもんやま)公園での花見の席で初対面の佐賀県出身の方と話をしたのですが、その中で出たのが東京駅等を設計した明治~大正の大建築家の話。
 辰野金吾ですね?」と言うと、大変喜ばれました。ヌルボは出身までは知らなかったのですが、唐津の生まれだそうです。明治維新期に工部大学校(後の東大工学部)を優秀な成績で出て、東京駅の他、日銀本店、大阪市中央公会堂等々の優れた建築物を世に残した人物で、高校日本史の教科書にも名前が載っているはずです。
 辰野金吾がなんで朝鮮・韓国と関係があるのかというと、植民地時代に特殊銀行として朝鮮銀行券を発行していた朝鮮銀行も彼が設計しているというわけです。この建物は戦後も韓国銀行として長く用いられ、2001年からは韓国銀行貨幤金融博物館となっています。

     
      【旧・朝鮮銀行(現・韓国銀行貨幤金融博物館

 ・・・と、ことほどさように佐賀県は朝鮮・韓国関係に縁のある場所・モノ・人がいろいろそろっています。効率よく周るにはどこに泊ってどういうルートをたどればいいかなあ、とか「ぶるるナントカ」を眺めながら考えていますが、考えるだけで楽しんじゃって結局行かなかったという前例は過去何度もあったので今回もどうなるやら・・・。

※つけたし
 直接関係ないけど、ソフトバンクの孫正義社長は佐賀県出身の在日3世。今は日本国籍。
 直接関係ないけど、俳優三國連太郎は1943年、徴兵を逃れようと唐津市呼子の港から朝鮮に渡ろうとしたが、手紙を受け取った母親の手配で直前に官憲に捕まった。ウィキ中の「来歴・人物」はオモシロイです。誰が書いたんだか・・・。

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