
今年最初の映画鑑賞は「はちみつ色のユン」。
昨日(1月6日)下北沢トリウッドに行きました。初めて入ったどころか、これまでその名前も記憶にない映画館です。
公式サイトを見たら、2000年に上映を始めたshort film theaterだそうですが、若松孝二監督の「キャタピラー」や「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」等の他、つい先月には「トガニ 幼き瞳の告発」のようなわりとメジャーな長編作品も上映しているのですね。


【階段を上って行くと、小ぢんまりとした映画館の入口に。】
12時30分の回の開映10分前に行ったら、客は私ヌルボ1人だけ。先月のインディスペースを思い出しました。ソチラは映画が始まる頃には結局7人になってましたが、コチラは直前に1人入ってきて結局2人。ま、1人だけのこともあったから最少記録ではないんですけどね。しかし、もっとたくさんの人に観てほしい作品です。
※この映画の公式サイトは→コチラ。
映画が始まって早々に「あっ、そういうことだったのか!」と気づいたのが「はちみつ色のユン」というタイトルの意味。
なんの予備知識もなければ「はちみつ色のユン」という言葉のからは、意味はわからなくてもなんとなく甘く温かな印象を受けるのではないでしょうか?
ところが、これは韓国人の子どもユン(=監督(原作者)自身)が1971年国際養子としてベルギーに渡った時に、個人データファイルに記録された彼の肌の色だったのですね。
その記録は単なる識別のためであったにしても、一目で東洋人とわかる肌の色は、差別に直結する要素であり、本人の葛藤も大きかっただろうことは想像するまでもありません。
この自分史的ドキュメンタリー作品は、内容的にも、またたぶん養家の親が撮った少年時代の8mmの映像と落ち着いた色調のアニメのコラボによる画面からも、ユンや家族の優しさ・温かさが感じられます。しかし、それも「はちみつ色」という言葉にこめられた、ほとんど乗り越えることも困難な厳しい現実にどれだけ対峙し得るのかと考えると、心動かされにしても安易に「感動した」という言葉を発するのはまずいのでは、と思います。
韓国の<入養児(입양아.イビャンア)>=国際養子の問題については、本ブログでも映画「冬の小鳥」の感想とともにけっこう詳しい記事を書いたことがありました。(→コチラ。)
(※どちらもホルト児童福祉会の斡旋だったのですね。)
「冬の小鳥」が海外に出る前の体験と「心の傷」を描いているのに対して「はちみつ色のユン」はベルギーに来てからのことを中心に描いています。
しかし共通するのは、漠とした自らのアイデンティティを求める気持ちの切実さ。ユンや「冬の小鳥」のルコント監督のように自伝的な漫画を描いたり映画を作ったりしてそれを昇華できればまだいい(←これも大変なことだと思いますが・・・)ですが、この映画でも、精神科に入院したり、薬を大量に飲んだりした韓国の養子のことや、ユンと同じ養家に来た韓国人少女が25歳の時「奇妙な自動車事故」で死亡したこと等が語られています。
やはり本ブログの過去記事で、ベトナム戦争の頃の、韓国生まれの脱走米兵について書いたことがありました。(→コチラ。)
その金鎮洙(キム・ジンス)も朝鮮戦争当時の<入養児>で、脱走という行為も彼の生い立ちと密接な関連があったといってよいでしょう。
近年、韓国ではドラマや本で彼らが登場する物語が近年多数つくられていますが、その例は上述の「冬の小鳥」についての過去記事でいくつかあげておきました。(とくにドラマの中での入養児の描き方については、私ヌルボは見てないので語る資格はありません。)
※国際養子に関連する映画では、ほかに大ヒット作「国家代表!?」や、日本で一般公開はされてませんが「木のない山/Treeless Mountain」、今韓国で上映されている「バービー」があります。
この「はちみつ色のユン」、あるいはそのプログラムで少し気になったのは、国際養子を朝鮮戦争(1950~53年)と関連づけて説明していて、それは間違いではないのですが、1965年生まれで71年にベルギーに渡ったユン監督が孤児になった理由について誤解されるのでは、という点。両親とも朝鮮戦争で死亡していたら彼が生まれるわけはありません。
つまり、戦争や貧困だけでなく、かつての韓国社会ではシングルマザー、「非嫡出子」に対する差別が非常に強かった、ということが、1953~2004年に20万人に上るともいう<入養児>を海外に送り出した大きな要因だったのです。
昨年(2012年)5月、フルール・ペルランという名の韓国系の養子出身女性がフランスで中小企業・革新・デジタル経済担当相に就任したことが伝えられました。(→コチラ。)
彼女は1973年ソウルで生まれた「孤児」で、生後6ヵ月でフランスの養父母にもらわれて行きました。
韓国人の中には、彼女のように成長した国際養子の成功を「韓国人の優秀性の証明」と誇る早トチリの人もいたようですが、<海外養子の成功が韓国の自慢?>と題した「中央日報」の記事(→コチラとコチラ)ではそれを批判するとともに、「現在でも年間1000人近く海外に養子を送っている点を考えると、‘成功した養子’への照明が私たちの軽薄な自画像を表しているようで顔が赤くなる」とまっとうなコメントで結んでいます、・・・と、このヌルボの記事もしめくくろうとしましたが、問題は「かつての韓国社会」ではなくて「現在の韓国社会」も続いているということなんですね。
そういえば、<シネマコリア>掲載の井上康子さんのレビューにも「筆者は、ソウルの金浦空港で養子として出国を待つ乳幼児を何度も見かけたことがある」と書かれていました。
やっぱり、こうした現実を前にして「感動した」とはとても書くことはできません。